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秀太選手、矢野選手、下柳投手、城島選手に続く “2軍での引退試合” 《阪神ファーム》

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
きょうが引退試合の阪神・狩野選手は、いつもこうやって周囲に声をかけていますね。

 きのう26日から今季最後のカード・広島3連戦を行っている阪神ファーム。きのうは予定通り鳴尾浜での開催でしたが、きょう27日とあす28日は場所が甲子園に変更されています。これは掛布雅之ファーム監督の退任が発表されたことによって、鳴尾浜では収容しきれないお客様が来られるだろうと予測し、1試合でなく2試合だったのはお天気を考慮したためでしょう。

 それに加えて狩野恵輔選手の引退発表もあり、きょう27日はセレモニーが予定されています。安藤優也投手も登板するみたいですね。そこで、もしかして狩野選手がボールを受けるのでは?なんてことをチラッと考えました。タマスタで軽くキャッチング練習らしきことをやっていたのを見て。これは単に私の“妄想”だと思っていたら…なんと!本当に実現するそうですよ。掛布監督、ありがとうございます。

22日、ソフトバンク戦(タマスタ)の試合前に、狩野選手はこんな構えを。
22日、ソフトバンク戦(タマスタ)の試合前に、狩野選手はこんな構えを。
これが2009年のキャッチャーミットです。
これが2009年のキャッチャーミットです。

 その時に狩野選手は「2009年に作ったんだけど、そのあと外野をやることになって。あまり使ってないんですよ」と言いながら、すごく手入れの行き届いたキャッチャーミットを持ってきていました。手を入れる部分に名前がずらりと刺繍された子どもさんたちも大きくなって…。春のキャンプ中に、安芸市営球場を走りまわっていた頃が懐かしいですね。

 同じく今季限りでの引退を発表した広島・江草仁貴投手も、きょう登板するそうです。1軍ではないのは残念だけど、両チームで労をねぎらってもらう、いいタイミングかもしれません。

 両チームといえば、1999年9月28日、由宇での広島戦に勝って2年連続9度目のウエスタン・リーグ優勝を決めた時、広島と阪神に在籍した片瀬清利投手も両チームの選手たちに胴上げされました。目を真っ赤にした片瀬投手を見て引退を悟ったことを覚えています。そして矢野耀大選手も、鳴尾浜のウエスタン・中日戦で両チームの選手たちにそれぞれ胴上げされましたね。その件はのちほど。

初めて場所を移して行われたのは…

 2009年9月23日のことです。同9月18日に引退を発表した(田中)秀太選手の引退セレモニーを行うため、場所が鳴尾浜から甲子園に変更されました。これは前代未聞のこと。しかも雨天中止になっていたソフトバンク主催ゲームを、前日に続いて阪神の本拠地で行う“振替試合”だったので阪神が先攻なんですね。でもユニホームは阪神がホーム用でした。

 試合は、1回に先制されますが4回に秀太選手の右前打から4安打を集めて追いつき2対2。ところが7回、四球で出した走者を犠打、内野安打で進め、なんとセカンド・秀太選手の送球エラーで還してしまいました。8回にも2点を追加され、9回に阪神が1点返したものの、5対3で敗れています。2番セカンド→ショートでフル出場した秀太選手は4打数2安打という結果です。

 甲子園でのファーム公式戦最多となる7054人のお客様に見守られた試合後のセレモニーでは、ソフトバンクの柴原選手、阪神の福原投手、そして秀太選手の子ども3人から花束が贈られました。続いてマウンドではなくセカンドの位置で胴上げ。そのあと、お客様やチームメイトに促され?走り出した秀太選手。二塁、三塁を回ってヘッドスライディングでホームイン!大きな拍手と声援の中、セレモニーが終了しました。

 会見で感想を聞かれ「もちろんさみしいですが、まだ実感がないと言えばないし。それよりも試合でミスしたことを反省している方が大きいかな。最後はいい結果でと思ってたんで、2本打てたことはよかったです」と答えています。ファンの皆さんの秀太コールは?「すごくありがたいし、こんなにもお客さんが入ってくれたことがうれしかった。こんなに応援してもらってたんだなと、今まで以上に感じました」と答えています。

 最後のヘッドスライディングについては「予定はなかったんですが、何かしろってみんなに言われて…。気持ちよかったです」とのこと。そして「こんなに盛大な引退試合をしていただいて、いろんな方に感謝の気持ちを伝えたいです。ほとんど2軍にいたし、チームメートはもちろん、本当にたくさんの人に支えてもらいました。きょうで終わりですけど、もうやり残したことはないと思って、あしたからまた違う道で頑張ります」と締めくくりました。

では続いて、過去に鳴尾浜で行われた“引退試合”を3つ、ご紹介します。すべて当時、私が書いた記事からの抜粋です。

2010年9月25日 矢野耀大選手

 25日は今季最終戦でした。そして、今季限りでの引退を表明している矢野選手が出場、試合後に引退セレモニーも行われました。警備上の問題もあり事前告知はなかったものの、スタンドは早くから入場を制限される満員状態。誰もが別れを惜しみ、ラストプレーを涙で見つめました。1軍最終戦(現段階では30日)でも引退セレモニーがあるとのこと。最後は甲子園で見送れることになって本当によかったです。

阪神-中日25回戦 (鳴尾浜)

中 000 000 020=2

神 200 000 01X=3

 鳴尾浜のスタンドが入場制限されることは何度かありましたが、6回あたりからガードマンだけじゃなく警察官数名も通路にスタンバイ。いつもと違う雰囲気が漂います。矢野選手が出るらしいという噂に半信半疑だったお客様も、これは間違いないぞと確信を抱かれたでしょうね。普段ならナイター観戦のため途中で甲子園へ移動されるのに、きのうはほとんどの方が動かずです。

 2点リードのまま迎えた8回。それまで中日打線を寄せ付けなかった蕭が、先頭の松井佑に右前打され、吉田の犠打で1死二塁。小笠原の代打・中田亮に右前タイムリーを浴びます。さらに岩崎恭が送って2死二塁、井端に左中間フェンス直撃の二塁打!追いつかれました。優勝のゆくえは?矢野選手の代打出場は?いろんなことが頭をよぎります。このあとは本当にもう肩が凝るほど集中しました。

 8回裏、中日は2人目の久本。まず狩野は左飛に倒れて1死。次の桜井が打席に入ると、ベンチからバットを持った矢野の姿が!スタンドは大騒ぎです。そんな中、桜井は左前打を放ち代走・田上。ゆっくりと打席に入り審判に会釈した矢野は、まずストライクを見送って2球目はボール。3球目にバットを振り、三遊間を抜けていく左前打!代走は出ません。

 やはり予定通り9回にマスクをかぶるんだと確信した時、岡崎が三塁線を抜く当たりを放ち二塁から田上を迎え入れました。勝ち越しです。なおも1死一、二塁で久本が降板。代わった小熊から野原将が左前打して1死満塁。次いで、この回3人目の三瀬に代わり代打の葛城は右直、代打の高橋勇が空振り三振に倒れ1点止まり。ただ…みんなが意地でもつないでやるという“気持ち”で持っていったような4連打でした。

 9回、マスクをかぶって現れた矢野に大きな拍手と声援。さらに「ピッチャー下柳」のコールで一層盛り上がります。ボールを受けて返すのも問題なさそうでホッとしました。まず平田を空振り三振、福田は中飛。中川には四球を与え、続く松井佑に左前打されますが、最後は代打のセサルを空振り三振で試合終了!その瞬間、下柳と抱き合う矢野に割れんばかりの拍手が降り注ぎます。(試合経過は敬称略)

 これが今季最終戦のためグラウンドに整列した全選手、平田監督やコーチ陣の真ん中に矢野選手と下柳投手が立ち、スタンドに一礼。続いて矢野選手の引退セレモニーです。まず花束贈呈は古巣・中日の中村コーチ、そして阪神の下柳投手。ここで再び抱き合う2人に大きな拍手が起きました。中日からの記念品(この4連戦が始まる時に中日側は用意)を井端選手が手渡し、中日の監督やコーチ、選手やスタッフに胴上げされた矢野選手。そのあと阪神の全員が力強く高い胴上げ。合わせて10回、宙に舞いました。

試合後の様子

 セレモニーが終わると全員でブルペンへ移動し、矢野選手から言葉が贈られたそうです。きのうは試合後の練習がなく、すぐに引き揚げてきた小虎たち。狩野選手も葛城選手も、みんな目を真っ赤にしていましたね。貴重な勝ち越しタイムリーを放った岡崎選手は「矢野さんがつないでくれはったので、もう絶対打ってやろうと…」と言ったあと、涙があふれて続きません。

 「ずっと目標にしていた人だったから。最後のブルペンでの言葉は全部が心に残る。『ここにいたら気持ちも切れそうになると思うけど、僕もこれから頑張っていくのでみんなも頑張って』と…」。声を震えさせながら話してくれました。葛城選手も「泣かんとこうと思っていたけど、先に矢野さんが泣いちゃったから…やっぱりツライでしょ」としばらく沈黙。何かをかみしめるようにうなずき、帰っていきました。

 平田監督も同じく涙目です。「やっぱり朝からきてるよ。2003年、2005年といい思いをさせてもらったもん。最後に出すのは決めていた。下柳も投げると言ってくれて…球団も了承してくれたし。選手たちにはこれ以上ない生きた教材。そこでポンとヒットを打つんだからすごいよ。そのあとをつないで勝ち越したのも、矢野にはそういう力があるんだろうな。試合後は若い選手たちにいい言葉をかけてくれた。俺らが言うより数段、効くよ」

出典:スポニチ夢☆阪神『岡本育子の小虎日記』

これは今季の鳴尾浜、バックスクリーンです。
これは今季の鳴尾浜、バックスクリーンです。

 次は、矢野選手が去って1年後の鳴尾浜です。下柳投手本人のコメント等がなくて…すみません。

2011年9月23日 下柳剛投手

 23日、鳴尾浜球場では普段と違う出来事がいっぱいありました。とにかく朝から予想を超える人出で、開門時刻が繰り上げられたうえ試合開始の2時間近く前に早くも入場制限。12時過ぎには待機する方々の列が球場側入口から寮側の門を通り過ぎ、角を曲がって寮の裏あたりまで続いていました。これだけの長い列を見たのは初めてのことです。

 ついにライト側の外野スペースを開ける異例の事態。過去には2003年5月22日、野村克也監督率いるシダックスとのプロ・アマ交流試合で1500人という来場者があり、鳴尾浜史上初めて外野を開放しました。ガオラで実況中継をして私はタイガース側のリポーターをやったので、しっかり覚えています。

 それ以降はことし3月に大学と交流試合をした時、学生さんだけ外野に入りました。でも一般開放はシダックス戦以降、私の記憶にないんです。球団に聞くと、もう一度あったという話でしたけど。覚えていらっしゃる方があれば、ぜひ教えてください。ちなみに、きのうの入場者は1300人。試合開始前に外野を開放したのは史上初です。

 それもこれも、下柳投手が阪神のユニホームを着て試合に投げるのは最後かもしれないという情報があったからですね。加えて故障明けの関本選手の先発出場。なんだか私まで落ち着かない状態でした。逆転、再逆転、9回に追いつき延長戦で引き分けた試合。これも調べてみないとわかりませんが、9人の投手をつぎこんだのも何年ぶりかの気がします。

阪神-オリックス25回戦 (鳴尾浜)

オ 001 000 500 0=6

神 000 003 003 0=6

※延長10回引き分け

 下柳投手の球を受けた橋本選手は「いつも通りやってました。僕はあまり新聞を読まないんで。最後に下さんから“ありがとう”と握手をしてもらいました。去年まで話す機会もなかったので、ことしは自分でチャンスだと思い、いろいろと話をしました。対バッターのことがほとんどですけど。下さんがサインに首を振る回数がだんだん減ってきたのが僕としてはよかったです。抑えるよりよかった」と振り返っています。

出典:スポニチ夢☆阪神『岡本育子の小虎日記』

お客様がおられない時のスタンドは、こんな感じです。
お客様がおられない時のスタンドは、こんな感じです。

 そして、その翌年には城島選手の引退試合が行われています。城島選手は1軍でのセレモニーを固辞、この日の鳴尾浜でマスクをかぶって別れを告げました。やはり本人のコメント等はありません。ご了承ください。

2012年9月29日

 29日の鳴尾浜は予想に違わず、超超超満員でした。城島選手の引退試合と前日から報道されていたこともあり、朝6時の段階で開門を待つ人がいたとか。8時10分前にスタンドが開き、10時前には入場制限。そして10時40分からライト外野スペースを解放したのは鳴尾浜史上初です。来場者1717人も史上最多。昨年9月23日の下柳投手ラスト登板試合は1300人で、2003年5月22日に行われたシダックス(野村克也監督)との交流試合は1500人でした。

 さらにきのうは城島選手の家族や親族、約40人が大型バスで来られていて「キャッチャーとして、キャッチャーのまま」去ることを選んだ城島選手を見守りました。藤川投手、新井貴選手、そして1軍からも岩田投手や渡辺投手、鶴投手、筒井投手、鳥谷選手、新井良選手をはじめ多数かけつけています。

阪神-オリックス26回戦 (鳴尾浜)

オ 010 000 001=2

神 110 000 01X=3

 まず1回。秋山、城島のバッテリーは安達を右飛、森山は投ゴロ、由田は空振り三振(城島がボールを逸らしますが一塁に送ってアウト、由田もゆっくり走る)の三者凡退でした。裏の攻撃は、先頭の一二三が左前打して柴田はバントの構えで左手指に死球を受け無死一、二塁。申し分ないシチュエーションで拍手と大声援に迎えられた城島は中前打!一二三が二塁から生還して先制タイムリーとなります。

 ここで代走に岡崎が告げられ、戻ってきた城島はホームベース付近でスタンド、外野のファンに手を振って挨拶。3人の子どもたちが花束を持って登場し、涙で顔が少しゆがみます。そのあと安藤投手、オリックス・新井監督から花束贈呈。さらに三塁ベンチからコーチ、選手らが出てきて胴上げが行われました。笑顔で7度、宙に舞った城島選手。「城島!」「ありがとう!」の声に応えながら引き揚げます。

 まさか試合を中断してのセレモニーになるとは…と戸惑いましたが、本人はオリックス側に申し訳ないと胴上げは遠慮したみたいですね。でも先導した藤川投手は、そのためにユニホームに着替えてベンチにいたそうで。そして約5分後にゲームは再開され、浅井が中前打して無死満塁。しかし黒瀬と橋本は連続三振、坂は二ゴロで3者残塁でした。(試合経過は敬称略)

出典:スポニチアネックス『岡本育子の小虎日記』

練習も終わって夕暮れが近づく鳴尾浜。
練習も終わって夕暮れが近づく鳴尾浜。

 ここでご紹介したように、引退という形で見送ってもらえる選手は、ごくわずかです。自分自身で“終わりのとき”を決められる選手も本当に少ないでしょう。中には「これが最後の打席」「これが最後のマウンド」と知らないまま、ユニホームを脱ぐ選手も…。そんな季節が、もうそこまで来ていることを改めて感じました。

     <掲載写真は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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