阪神・原口文仁選手から「ファン投票で僕に入れてくださった皆様へ」

この背番号がすっかり定着した原口選手。憧れのオールスター、初出場なるか?

今月15日にヤフオクドームで、16日に横浜スタジアムで開催される『マツダオールスターゲーム2016』。先月27日のファン投票の最終結果に続き、30日は『選手間投票』の結果が発表されました。タイガースの選手の名前はなかったですね。

この選手間投票は2008年から実施されていて、NPBの公式サイトによると、投票するのは12球団の支配下登録選手全員。各球団が選出したファン投票リスト記載の30名の中から、各ポジションにつき1人ずつ(セ・リーグは9ポジション9名、パ・リーグはDHを含む10ポジション10名。※外野手はポジションごとではなく3名記入)を選んで投票するもの。

昔は他チームのみだったのが、今は自チーム選手への投票も可能になっています。ただしファン投票の場合は記載されていない選手への投票もできますが、選手間投票の場合はノミネート選手の中から、だと聞きました。マークシート方式じゃないらしいんですけどねえ。なお選びたい選手がいなければ「該当選手なし」ということで、未記入で提出できます。そうそう!ノミネート選手なら、自分自身に投票してもいいんですって。

集計の結果、両リーグそれぞれのポジションごとの最多得票選手がオールスター出場となります。ファン投票と両方で1位になった場合は2位からの繰上げをせず、その枠を監督推薦に移行するシステムなので、捕手部門のヤクルト・中村悠平選手はファン投票も選手間投票も1位でしたが、選手間投票2位の巨人・小林誠司選手ではなく、監督推薦で選ばれた選手が出るのです。つまり原口選手の出場チャンスがまた増えたってことですね。

ファン投票での球宴出場はかなわず…

4月27日に支配下選手に復帰したばかりの阪神タイガース・原口文仁選手(24)が、5月のセ・リーグ月間MVPを受賞するほどの活躍だったのは記憶に新しいところ。5月24日から始まったオールスターファン投票は、中間発表の初期(6月1日~3日)でヤクルト・中村選手が1位だったものの、6月6日に逆転してから6月20日の中間発表最終回まで、原口選手がずっと1位をキープしていました。このままいくんじゃないかと思って、いろいろと調べたんですよね。

6月14日、甲子園の試合前に行われた『セ・リーグ月間MVP』の表彰。
6月14日、甲子園の試合前に行われた『セ・リーグ月間MVP』の表彰。
6月17日には放送局や新聞社制定の月間MVPの表彰式もありました。
6月17日には放送局や新聞社制定の月間MVPの表彰式もありました。

阪神のキャッチャーがオールスターゲームに出場するのは2013年の藤井選手以来。そしてファン投票1位での出場となると、2010年(原口選手が入団した年)の城島選手以来です。しかし…6月27日の最終結果発表で中村選手に再逆転されてしまいました。中間発表最終回の時点では原口選手が124,378票、中村選手は111,836票だったんですけど、最終結果で中村選手が269,953票、2位の原口選手は174,556票。

中間発表最終回以降の開票で、中村選手が一気に16万票近く伸ばしたことになります。原口選手も「ああ逆転されたんだなと思いました。いや、逆転どころじゃないな。9万票以上も離されたわけですもんね」と苦笑い。我々が、もう決まったかのようなことを書いたり言ったりするもので、謙虚がモットーの原口選手もさすがに少しは期待していたでしょう。ガックリ落ち込むというところまではいっていませんが、すっかり乗せられちゃったなあって感じの…まさに苦笑でした。

阪神の他選手の投票数を多い順に見ると

高山選手 (外野手3位)  261,453

鳥谷選手 (遊撃手2位)  223,453

ゴメス選手 (一塁手4位) 138,536

藤浪投手 (先発投手4位) 129,741

西岡選手 (二塁手5位)  78,579

となっています。高山選手は外野手3位なので、ファン投票での出場!おめでとうございます。原口選手はチーム3番目の多さで、しかも上記はすべてノミネートされていた選手だから立派なものです。ちょうど投票が始まる直前にサヨナラヒットでお立ち台に上がったり、時期もよかったかな。開幕時にこのような状況で、球団のノミネート選手に入っていたら…もしかして。というタラレバはやめておきましょうか。

自分でも驚いた得票数に、感謝のみ

ノミネートされていなかった原口選手が、ここまで票を伸ばしたのは大健闘です。どうせならファン投票での選出!という、さらなる快挙も期待していた私としては少し残念でしたが、監督推薦での出場は十分に考えられますからね。話はその時に詳しく聞こうと思っていたところ、本人から珍しく「お願い」をされたのです。

月間MVPの表彰式にて。あらまたカメラ目線?と思ったら、たまたまだったようです。
月間MVPの表彰式にて。あらまたカメラ目線?と思ったら、たまたまだったようです。

なかなか言い出せない様子で迷いながら、やがて意を決して口にしたのは、これが本当に原口選手らしい望み。自分に投票してくださった皆さんへ感謝の思いを伝えたい、というものでした。

「ファン投票でダメだった時、記者の人に聞かれて『仕方ないです』とは答えたんですけど、そのまま機会がなかったので。改めて見たら、ものすごい数字じゃないですか!170000って。すごい数ですよね。『仕方ない』だけでは片づけられないことだと思いました」

「しかも僕の場合はマークシートに名前がなくて、だからすごく手間もかかるのに。こんなたくさん入れていただいて嬉しいです。本当にありがとうございました!ファン投票では出られませんが、これからも精一杯の気持ちを込めて、まだまだ頑張りますので」

というのが原口選手から託されたお礼の言葉です。きっと監督推薦で出るに違いないと言っても、本人は「それはないでしょう。まさかですよ」と取り合ってくれません。だけど、もし出られたらホームランでも打ってもらいましょう!皆さんへの感謝を込めて。

『124』でも出場可能だった1軍戦

少し脱線しますが、支配下選手に復帰して即1軍昇格となった4月27日と、翌28日は山田ファームバッテリーコーチのユニホームで試合に出た原口選手。あの時、なぜ124のままで出場できなかったのかと長らく気になっていました。他の人のを借りて出場した選手は過去にもありますし、事前に届けて承認されれば可能なはず。じゃあ124番も同じことではないかと。

バント練習をする原口選手。とっても真剣です。
バント練習をする原口選手。とっても真剣です。

周囲の記者陣は「3ケタでは1軍戦に出られない」と言っていたんですけど、それも違和感がありました。確かに支配下選手は『003』などの3ケタの背番号使用を禁止されていますが、育成制度のまだない時代のこと。ルールに、育成選手が1軍戦に出られないと書いてあっても「3ケタのユニホームで出てはならない」とは記されていませんよねえ。

あまりに急な昇格だったため新しいユニホームが間に合わなかったとしても、前もって届け出れば『124』で出られたのではないか、とNPBの方に聞いてみました。すると「はい、出場は可能です」という返事。やっぱり!そうなんですよ。遠征で荷物が着かなかったり、忘れたりした場合に他の選手のユニホームで出場することはあるので、それなら3ケタでも選択肢の1つとされて然りでしょう。届け出さえすれば。

キャッチボールをしていた時、高代ヘッドコーチからスローイングのアドバイス。
キャッチボールをしていた時、高代ヘッドコーチからスローイングのアドバイス。

原口選手がそれをできなかったのは、この時期のタイガースが期間限定の“輝流ライン”ユニホームで戦っていたためです。復刻版ユニホームは過去にも何度かあり、数年前は交流戦仕様のものを、同時期にファームでも採用していました。大和選手がファームにいた頃に昔の水色を着ていたり、黒い上下に黄色と黒の縞模様ソックスという、我々はミツバチと呼んでいたユニホームがあったり。それで公式戦も行うので、育成選手も当然作ってあったのです。

しかし今回の輝流ラインは、監督、コーチと支配下選手のみでした。いつ1軍に呼ばれるかわからないので、ファームでも支配下選手は持っていたものの育成選手はなし。だから『3ケタのユニホームで1軍戦出場は可能』でも、輝流ラインを持たない原口選手1人だけが、白いホーム用を着て出るわけにはいかなかったというわけです。おかげで本人のみならず、山田コーチのユニホームも有名になりましたね。

原口選手は「印象に残って逆によかった」と言っていたけど、もし3ケタのユニホームで出たら、それはそれで歴史に残ったかもしれません。ちなみに6月11日と12日のファーム交流試合でイースタンの巨人と戦った時、ファームも輝流ラインユニホームを採用することになり、育成選手も新たに作られました。トラヴィス投手もちゃんと着ていたので、皆さんはご存じでしょう。

「今がんばります!今がんばらないと」

これまで3度経験したヒーローインタビューで、すべて『必死のパッチ』を披露していて「みんなに乱用しすぎって言われるんですけど、まだ3回ですもんね。それに神宮ではお客さんが急かしたから(笑)」と原口選手。スタンドから「必死のパッチは?」と急かされていたそうですよ。3度目は6月20日で、またしても「最初にマイク渡しますか?」「きょうはいいです」というやり取りが、しっかりマイクに入ってしまい「小さい声で言ってるのに全部入ってたんですか?」と恥ずかしそうでした。はい、バッチリ(笑)

練習の合間に見せる笑顔も、今は鳴尾浜でのそれと変わりませんね。
練習の合間に見せる笑顔も、今は鳴尾浜でのそれと変わりませんね。

そのあと最後にマイクを持ち、要望に応えて「必死のパッチ」を高らかに言ったのですが、それを思い出し「きょうはいいですって言いながらマイク持って、おまけにそのままインタビューを終わらせちゃった!あそこに上がると、なんか楽しくなっちゃうんですよ。そういうキャラじゃないのになあ」と自分でうなずき、楽しそうに笑っていました。

以前のように毎試合マスクをかぶることはないものの、出ても出なくても全部が勉強という1軍の日々。後半に登板する投手陣のピッチングを改めてチェックするなど、気を緩める時間はありません。ピッチャーが打ち込まれたり、盗塁を決められたり、自身の打席結果もよくない時は、かなり気にしていましたね。でも6月30日のDeNA戦で2つ盗塁を阻止!「盗塁を1つ刺したら大きいと、改めて思った」。しみじみと言います。

ことし6月、新潟県の三条パール金属スタジアムで見つけた2014年の写真。
ことし6月、新潟県の三条パール金属スタジアムで見つけた2014年の写真。

ただし、この試合では久保康投手を打てなかったこと、特に外角低めのスライダー3球で三振した8回の打席は「ダメだった。バットを止められなかった…」と猛省でしたが、きのう1日の中日戦では貴重な代打ヒットも放ち、そこからマスクをかぶっています。ちょうど2ヶ月前、ビシエド選手を抑え込んで、自身はプロ1号を打った相性のいいナゴヤドーム。きょうとあすの活躍を期待しましょう。

最後は「今がんばります!今がんばらないと!」と、いつものように締めくくりました。どんな試練も、今の彼にとって苦ではなく、辛いと言ったら罰が当たるとさえ思っているかもしれません。1軍で野球することを願って積み重ねた時間が、これからも原口文仁選手を支えてくれます。