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開幕1軍メンバー発表 育成から飛躍の阪神・島本投手が夢舞台へ!

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
写真は昨秋のフェニックスリーグ。この約1週間後に支配下登録が伝えられた島本投手。

27日に両リーグが揃って開幕するプロ野球は、きのう25日に12球団の開幕1軍メンバーが発表されました。阪神タイガースは以下の27人が出場選手登録。ルーキーでは沖縄キャンプに参加していたドラフト2位の石崎剛投手と、3位の江越大賀選手の2人が選ばれています。

【投手】 10人

榎田、安藤、藤浪、岩田、呉、石崎、メッセンジャー、松田、桑原、島本

【捕手】3人

梅野、清水、藤井

【内野手】7人

鳥谷、関本、上本、ゴメス、西岡、新井、坂

【外野手】7人

柴田、大和、福留、マートン、江越、田上、俊介

そして5年目左腕・島本浩也投手は、初の開幕1軍ベンチ入りが決定!2010年の育成ドラフト2位で入団してプロ5年目で初というだけでなく、昨秋に念願の支配下選手登録を勝ち取ったからこそ味わえる1軍の公式戦。しかも開幕なんて、すごいですよね。一緒にプロ入りした同級生6人衆(一二三選手、中谷選手、岩本投手、阪口選手、島本投手、穴田選手)の中でも、支配下の3人を抜いて『開幕1軍一番乗り』となりました。

支配下、沖縄キャンプ、開幕1軍

まず感想を聞くと「まあ、わかっていたので」と島本投手。そうですね。確かに新聞等でもう“当確”と書かれていましたから。でもオープン戦でしっかりアピールできたという手応えもあったでしょう?「ここまで、いい感じできていますね。1軍キャンプに行って開幕1軍ってのを目標にしてきたので。でも沖縄キャンプへ行ったけど、開幕に左ピッチャーは2人と聞いて難しいかなと。でもシーズン中にチャンスはある。開幕が無理だとしても1軍へは絶対行くぞ!と思っていました」

オープン戦のラスト登板で、交代を告げられて無念の表情を浮かべる島本投手。
オープン戦のラスト登板で、交代を告げられて無念の表情を浮かべる島本投手。

オープン戦は「筒井さんとか高宮さんとか実績のある左ピッチャーばかり。その中で、自分がどこまでやれるか試されている。一度ダメだったら即ファームやと。なので失敗せずに乗り切りたい、食らいついていこう」という覚悟で臨んだと言います。「最後が一番悔いの残るものになってしまいましたねえ」と悔やむのは20日のオリックス戦(京セラ)。これがオープン戦最後の登板になったのですが、糸井選手を三振に取ったあと連続四球で交代しました。「それ以外は出来すぎたくらい。全体的に見たら“OK”ですね」

練習試合とオープン戦を合わせて12試合、計8回2/3を投げて3安打無失点。競った場面での登板も、そこでしびれる抑えっぷりを見せたこともありました。20日の試合は走者2人を残して交代後、桑原投手が併殺に打ち取ってくれて、最後まで無失点をキープ。

「絶好調でもないです。去年までと変わらない。もともとキャンプ中は調子いいんで。やっぱり気持ちの面が大きいのかな?試合に向けての持っていき方とか。目標にしていた1軍キャンプに選ばれた時、開幕もいけたら嬉しいやろな~と考えていましたが、いざそうなったら目標も変わってきましたね。実際に嬉しいですけど、ここからが悪いと何の意味もないので。また違う目標に向かって頑張ろうと、もう切り替えています」

ちょっと体が大きくなって、ちょっと球が速くなっただけ

甲子園で投げていて、2年前のオープン戦のことを思い出したりした?「あんまり。投げ終わってから『あの時は1アウトも取れんかったんやな~』って思ったくらい。先に考えたらアカンと思って」。頭をよぎりそうにはなったんでしょうね。2013年3月12日のヤクルト戦(甲子園)で初めて1軍に合流し、オープン戦初登板となった島本投手でしたが四球、2ラン、四球と1死も取れずに交代しました。

「あの時は練習すら1軍でやっていなかったし、皆さんへの挨拶回りで精一杯。マウンドに上がっても地に足がついていない状態でしたね。今はキャンプでずっと一緒に練習してきて、あとは自分のピッチングができるかどうか。2年前のあの時とは全然違います。それ以外は…ちょっと体が大きくなって、ちょっと球が速くなっただけ。何も変わってない」

“ちょっと”と言っていますが、一生懸命ふりかけ御飯を食べてトレーニングして、ようやく昨年の秋頃に「体大きくなった?」と聞かれるようになったのではないでしょうか。でも比例するかの如く球速も上がりました。その自信がさらに島本投手をパワーアップさせたに違いありません。

「オープン戦で使ってもらったのは、1軍のバッターに対してどういうピッチングをするか見られていたと思います。上でこれから投げられるかどうか。確かにすごいバッターばかりなんですけど、それはあまり気にならないですね。自分のピッチングができるかだけ。だって自分のピッチングができない時は大学生にも打たれます(笑)」

「タマイに行きたかった!」

ところでロッカールームは使えるようになった?「はい!」。といっても1月下旬からずっと1軍でしたけどね。鳴尾浜のロッカールームはそれほど広くないこともあって、支配下選手しか使えません。だから育成選手は寮の自室に道具を置かなくてはならないのです。「その時はそんなに喜びってのは感じなかったんですけど、キャンプから帰ってきて甲子園に行ったら、ロッカーに1人1人の名前が貼ってあった!」。ウエスタンの試合で何度も使っている甲子園とはいえ、1軍選手が使うロッカールームにファームの選手は入れないんですもんね。そこに『69 島本』と書いてあるなんて感激。

「嬉しかったですねえ。でもそれで喜んでいたらダメでしょう」と笑う島本投手。続けて「それよりキャンプですよ。僕ら育成選手はタマイじゃなくて清月やったから」と言います。安芸の春季キャンプの宿舎の話でした。ことしは選手みんな揃って同じホテルタマイにいたのですが、昨年まで育成選手はそこから徒歩数分の清月旅館に寝泊まりしていました。食事はタマイまで行って一緒に食べるシステムだったそうです。

タマイどころか沖縄へ行った春季キャンプ。この時間も島本投手を成長させました。
タマイどころか沖縄へ行った春季キャンプ。この時間も島本投手を成長させました。

「朝早く起きて、寒いからしっかり着込んでタマイまで歩いていくと、(そこに泊まっている)みんなは短パンにスリッパで食堂へ入ってくるんですよ。普通に。悔しかった。腹が立った」。新人の時は同期の選手たちの、以降は年下の選手たちのそういう姿をみて、余計に反骨心が芽生えたのでしょう。「うらやましかった。自分もタマイに行きたかった。で、ああやっとタマイに行ける!と思ったら、タマイを通り越して沖縄やった」。本当ですね、一気に。昨年までの悔しさも「今はいい思い出ですけどね」とポツリ。あと、遠征先の宿舎であるホテルも「部屋は広いですよ~。でもま、それは特に」と笑っていました。はい、そこで感動している場合じゃありませんね。

2年前とは顔が違う、とお母さん

母・礼子さんにも電話でお話を伺いました。開幕1軍ですね。「いや~もう支配下になれて沖縄キャンプにも行けて…怖いです!信じられないです。本人は開幕を目指していましたけど、まさか選ばれるとは。私はキャンプに行けただけで十分で(笑)、1軍にはシーズン中に上がれたらいいなと思っていました」。そうそう、沖縄キャンプは島本投手の“招待”でしたね。その後のオープン戦は「毎回ドキドキで、投げる度に抑えられるわけがないと怖くて」あえてテレビ観戦だったとか。でも抑えましたね。「最後の試合は、何してるねん!ですけど」と苦笑されます。

テレビで見る浩也くんはいかがですか?「2年前のオープン戦の時とは顔つきが違いますね。全然違いました。あのすごい応援の中でよう投げられるねえ。上がらへんの?と聞いたら『応援が嬉しい』って。やっぱり気持ちでしょうか。背番号が軽くなったことも、沖縄キャンプで過ごした時間も。それが2年前との違いですかね。あとは3月によくケガをしていたので、肩とか股関節とか。それがなくてホッとしています。打たれて落ちるのは仕方ないけど、故障だけはと本人も言っていましたし」

さあ今度は公式戦、生で見に行かなくてはなりませんね。でも中継ぎだと、いつ投げるかわからないし、投げないかもしれないので大変でしょう。「それより甲子園の試合まで残ってくれるかどうか」…え?「見に行くなら甲子園と思って。お父さんも休めないし、おじいちゃんも行きたいと言っているので土日のデーゲームしか無理で。となると4月11日、12日までないんですよ。そこまで持つかな。それが問題」とお母さん。大丈夫ですよ。何が何でも甲子園に帰ってきてくれると信じましょう!

16歳で逝った友だちの分まで

島本投手には他にも、甲子園へ来ていただきたい方があります。2009年7月11日の朝、大分県大会開会式へ向かう途中だった柳ヶ浦高校野球部のバスが横転して、2年生の吉川将聖(よしかわしょうせい)選手が亡くなり、大勢がケガを負った事故は覚えていらっしゃるでしょうか?その吉川選手は奈良・橿原コンドルズで島本投手がバッテリーを組んだキャッチャーで「高校は違っても一緒に甲子園へ行こう」と中学時代も励まし合った間柄でした。

阪神に育成ドラフトで指名されたあと、吉川選手のお母さんから「将聖が亡くなってから野球を見られなかったけど、島本くんがプロに入って初登板するところは見にいきたい」とお手紙をもらったそうです。入寮の前日に初めて自宅を訪れ、仏壇に手を合わせると「あいつの分まで、っていう気持ちが強くなった」と言います。胸の中で吉川くんに誓いました。

「僕がお前の分までしっかり野球をするから。頑張って活躍するから。何かあったら力を貸してな」

ケガでのリハビリ中や、大きなチャンスだったかもしれない昨年のシーズン後半で踏ん張れた時、もしかしたら将聖くんが少し力を貸してくれたかもしれませんね。これまでファームで先発しても、支配下選手になった際も「まだ」と言っていました。でも今回は開幕1軍になったので連絡するそうです。ただし「いつか先発で、と約束します!」とのこと。いつか先発のマウンドに上がる姿を見てもらうために「中継ぎで結果を出して、ことしの終盤や来年、“先発ができる”という印象をもってもらえるようにロングリリーフも頑張りたい」と決意表明。

「支配下→沖縄キャンプ→開幕1軍という、この勢いを逃してしまったら、あとはもうチャンスがないと思っています。ここからが勝負。本当の勝負」。島本投手は念を押すように繰り返しました。具体的には「50試合くらい投げたいな」との目標を掲げ、支配下1年目の挑戦が始まります。

島本投手に関する記事はこちらです。

『島本浩也投手が育成から支配下へ タイガースの育成投手では初!』2014年11月25日

『フェニックスリーグで進化した島本投手 体重3キロ増で自己最速の146キロ!』2014年10月25日

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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