喫煙? 禁煙? 分煙? 議論なき現実のなかで揺れるゲームセンター喫煙事情

長いこと嗜好してきた煙草を訳あって止めなくちゃいけなくなってしまった。まさかこんな日が来るなんて思いもよらなかった。

煙草を吸わなくなってすでに三ヶ月。体内からニコチンはすっかり抜けてしまったし、生活習慣としての喫煙欲求もさすがにもうない。ホルモンバランスの変化から肌質も変わったし、歯に付着していたヤニも綺麗さっぱり消えた。起床にかかる時間も二日酔いの辛さも大幅に軽減され、一日三箱分かかってた購入代金も当然のことながらそのまま財布に残るので、物心ついてから初めて「お金が減らない感覚」を味わってたりもする。買い置きの有無や残りの本数に夜な夜な不安になったり、駅や空港で喫煙所を探す苦労もなければ、長時間の移動もニコチン切れに怯えることもない。

これらはきっといいことなのだろう…と、ひねくれた物言いをするのは、こうした禁煙後の「良かった」をどれだけ羅列してみたところで煙草に対する思いは変わってはいないからだ。むしろ吸えなくなったことでその思いは増していると言ってもいいかもしれない。血中に溶けたニコチンが脳のなかでニコチン受容体とくっついて生まれるドーパミンの覚醒感。紫煙をくゆらすひとときもあの鼻腔をくすぐる甘い煙りも口に咥え吸うという行為や喫煙器具のひとつひとつまで、煙草にまつわるすべてが愛おしい。この文章がどんな禁煙団体にクレームをつけられたとしてもその気持ちは変わらない。人、場所、出来事。どれを思い返してもその傍らにはあの芳しき香りがある。いまはその愛すべきものを失った喪失感が他のなにかで埋めることのできないほど大きいことを痛感している。

そんな重度の依存症であるわけだから、各地のゲームセンターにお邪魔したときはその店の喫煙状況が気になるのだった。以前なら「ゲームセンター=喫煙可」が当たり前だったけれど、ここ最近は少し変わってきていて分煙や禁煙のお店がちらほら見かけるようになっているので、そうしたお店ではついお客さんの様子や店員さんに環境を変えたその理由を聞いてみたりするのだった(以前は喫煙所でだらだらと煙草を吸いながら)。

そもそもゲームセンターは長らく喫煙が前提だった。ただそれはゲームセンターに限ったことではなく、時代的に「どこでも吸えて当たり前」だったことに起因する。しかし、かつてのように喫煙をポジティブに捉えなくなった昨今では飲食店などでは受動喫煙防止のための禁煙/分煙が当たり前になりつつある。とくに近年、都市部においては路上喫煙禁止条例の施行など、禁煙化の波が急速に進んでいるのを多くの人が実感しているだろう。

ゲームセンターの事情で言えば、神奈川県は2010年4月1日から施行した「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」により、県内のすべてのお店は禁煙/分煙が義務づけられているし、それ以外の地域でも大手チェーン系のゲームセンターなどでは禁煙やフロア/時間帯による分煙など、その店舗特性にあったレギュレーションで受動喫煙防止を実施している。

とはいえ、飲食店以上に受動喫煙防止が遅れているのはアミューズメント産業に言えることで、全体を見渡せばいまだ旧態依然としていると言わざるを得ない。いまも多くのゲームセンターでは筐体のコントロールパネルの上に灰皿を礼儀正しく置いているのが現実だ。

こうした現状について、喫煙可能な個人経営店の経営者やオペレーターたちに話を聞いてみると、驚いたことに禁煙の是非を問うた途端に多くの方が感情的な態度を見せるのだった。彼らに共通したのは「そんなことをしたら古くからの常連たちが寄りつかなくなる」という言い分で、その口調はなぜか共通して荒々しかった。

実際問題として「禁煙による客離れ」というのはない話ではないだろう。ゲームセンターと煙草がどれほど蜜月の関係であったのかを示すエピソードとして、シューティングゲームの攻略パターンのなかには煙草に火を点けるタイミングまで組みこまれているものがあるのはよく聞く話だ。またゲーム開始直前に緊張緩和、リラックス目的で煙草に火を点ける愛煙家のプレイヤーたちも決して少なくない。こうした喫煙ゲーマーたちにとってゲームセンターは「喫煙できて当たり前」な場所であり、「ゲームをすること」と「喫煙すること」は密接な関係を持っている。お店側が「禁煙にすれば彼らが来なくなる」と考えるのはわからなくもない。

けど本当にそれだけなのだろうか? 面白い例を紹介しよう。

あるスコアラー御用達のゲームセンター「A」は数年前に客足の伸び悩みから経営が危ぶまれたとき、常連たちによる協議が行われ完全禁煙に。その結果、新規客が増加し売上は伸びたという。その一方で関西の個人経営店「B」は新規開拓を狙って全面禁煙にしたところ常連客が消えたうえ、思っていたほど新しいお客さんを得られなかった。また秋葉原の大型店「C」はあえて入り口に「喫煙可」の貼り紙をしたところ、入場者数が増え、売上も上がったそうだ。

「A」の場合は、会話もほどほどにストイックにスコアに挑むプレイヤーたちの集う店としての方向性とマッチした結果だろうし、逆に常連が離れた「B」は「禁煙であっても行きたい」店としてのウリに乏しかったのかもしれないし、立地の問題もあったかもしれない。秋葉原の「C」の場合は路上禁煙に厳しい千代田区にあって、さらに屋外の喫煙所の数が限られている秋葉原らしい傾向のように思える。また同じ地域のお店でも目玉のゲームが『セガNET麻雀 MJ』と『初音ミク project DIVA arcade』では求められるレギュレーションは異なるだろう。

考え方はひとつではないし、答えももちろんそうだ。ただ、僕はどうしても先の「そんなことをしたら古くからの常連たちが寄りつかなくなる」という言い分には違和感を覚えてしまう。それは、どうして感情的になるばかりで常連客と新規客、喫煙者と非喫煙者が共存できる方法を模索しないのか? と思うからだ。いまのままで経営が順風満帆ならそれでもいいだろう。だが、消費税増税のダメージに大いに受けているこの2014年的状況のなかでそんなわけがあるはずもない。それでもドラスティックな変化を起こさないところに、僕は多くのゲームセンターが古くから抱える「受け身体質」の問題を感じてしまう。

2020年開催の東京オリンピックを前に東京都でも受動喫煙防止条例が検討されるなど、今後ますます厳しくなること必至の喫煙事情。煙草を吸わない方や苦手とする方、忌み嫌う方たちからすれば、喜ばしい状況なのは間違いない。問題はつねに吸う側にあるのだ。個人の嗜みが文化や趣味の大義名部の元、他人に迷惑や害を与えてしまうのは決していいことじゃない。こうした流れは必然だと思う。

それでもやっぱり僕は煙草が好きだ。できることならいま一度吸いたいし、無菌室のように健全でクリーンなゲームセンターなんて…と心のどこかで思っている。世界中の愛煙家たちを肯定している。ワンチャン煙草になりたいまである。

だけど自分が吸えない身になったことで吸わない側がどれだけ我慢しているのかを知ってしまった。煙草の煙や匂いが付着するのがイヤだからゲームセンターには行かない(行けない)層が多くいることを実感できるようになった。「またゲームセンターに行きたいんだけど副流煙が辛くてね」という声を無視できなくなってしまった。喫煙者だけの理屈を押しつけるには相手の側の気持ちを理解しすぎてしまった。

そんな立場としていま思うことがあるのだ。

脈々と続いてきた煙草とアーケードゲームの関係に終止符や亀裂を入れたいわけじゃない。でもいまのままでいいわけでもない。ならばどうこれからのあり方にアップ・トゥ・デイトしていくのか。それは禁煙や分煙を推奨するだけではなく、シガーバーのように喫煙者たちだけが集うゲームセンターが生まれるだとかそんなことふくめて、なんでもいいのだ。このコラムがちょっとでも前向きな議論やトライのための火種のひとつになってくれればいい。それが「ニコチン依存症の非喫煙者」という、よくわからないアンビバレンツを抱えた僕のいまの思いなのだ。

これからのゲームセンターはどういう場所であるべきなのか、またどういう場所を提供したいと考えるのか。経営者の真価が問われ続けている厳しい昨今だが、喫煙についてもちょっとだけ考えてみて欲しい。