稼働するものすべて新作?「高田馬場ゲーセン ミカド」から見る2013年的アーケードゲームの現状

先日、ルー・リードが亡くなった。71歳だったそうだ。

彼のバンド、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを僕がはじめて聞いたのは十代後半で、趣味嗜好がまだはっきり定まらないなか、自分はどういったものが好きなのかをひとつひとつ確かめるように音楽を聞き漁り始めた時期だったように記憶している。

ルー・リードの功績やその音楽の凄さについてここでなにかを書くのは野暮だろう。興味のある人は検索すればすぐにでも圧倒的なその存在を知ることができる。ちなみに検索にはYahoo! を使うのがいいと思う。

この文章において重要なのは1967年に発売された彼らの1stアルバム『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』を僕が聞いたのは90年代だ、ということだ。

アナログ・レコードからCDへの移行が進んだ90年代前半、CDで発売される新作群と旧譜音源のCD再発版でCDショップはじつににぎやかだった。時代性を抜きに音楽を買うことが容易になったことにより、ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライブが合流を遂げるという歴史的ニュースに心躍らせながら、ザ・ジャムを初めて聞くというなんともちぐはぐな状況さえ簡単に生まれるようになっていた(個人的体験)。

これと同じような状況だったのが2000年代頭の韓国や台湾のアニメーション市場で、メーカーの参入によって日本での新作/旧作のアニメーションがあたかもすべて新作であるかのように輸入され、市場を作り始めていた。店頭で並ぶソフトは(合法非合法問わず)時間軸を無視していたし、当時の韓国のアニメ誌『Newtype Korea』を見ても、取り扱う作品の時系列はデタラメだ。

こうした「カルチャーの並列化」が、アナログからデジタルへの移行によって加速したのは誰もが知るところだ(iTunesしかり、Youtubeしかり)。

だからと言って、新旧無関係に作品を購入できる状況と見聞きする側の意識は当然別だ。つまりなにも知らない人間からすれば、目の前にある音楽や映像は意識ひとつで現在にもなれば過去にもなる。そしてその大半以上があまり時代背景を気にしてはいない。

じつは、こうした状況を僕は長い間、歴史的文脈と時代背景を抜きに作品だけ見る行為として違和感を覚え続けていた(自分の音楽体験は棚に上げて)。なぜならそれが酷く乱暴で、即物的すぎるように思えたからだ(自分の音楽体験は棚に上げて)。

けれど17年ぶりにアーケードゲームのシーンに出戻ってみて、少し考えが変わったのである。

アーケードゲームは90年代後半の対戦格闘ゲームのブームをピークとして大きく衰退していく。雨のあとのタケノコのように毎月毎月何タイトルもリリースされてきたソフトの数は減少し、プライズとプリクラへと取って代わっていった。現在は音ゲーやネットワーク対応ゲームが主流だ。

こうした状況は必然であるし、『初音ミク Project DIVA Arcade』や『ガンスリンガーストラトス』のように、店舗ごとにユーザーがコミュニティを作り上げているのを見ると、いまも昔も変わらない「人が集う場所としてのゲームセンター」の楽しさを実感して、嬉しくなったりもする。

とはいえ、そうした環境をどこの店舗でも作れるわけではない。すべては資金力があって初めてできることで、個人経営のゲームセンターでの実現はなかなか難しい。

じゃあ大きな資本があるわけでもなく、メーカー直営でもないゲームセンターはどうすれば生き残れるのか。

そのひとつの例が東京は高田馬場にあるゲームセンター「高田馬場ゲーセン ミカド」だ。

コアなアーケードゲーム・ユーザーにはよく知られている店だが、ライブハウスのような雰囲気の店内は、なにも知らない人からすればちょっと規模の大きな普通のゲームセンターに見えるだろう。

だが二階建て160坪の敷地で稼働している約200台の筐体のほとんどが新作ではない。最大の特徴は稼働するゲームの8割近くがいわゆる「旧作」なのだ。

店内にところ狭しと並ぶ筐体群。稼働している基板はほとんどが「旧作」だがどれも現役感がある
店内にところ狭しと並ぶ筐体群。稼働している基板はほとんどが「旧作」だがどれも現役感がある

だからといって店内からは骨董品が並んでいるような印象は感じられず、博物館のようなインテリ臭もない。その理由は、すべてのタイトルが新旧関係なく並列に取り扱われているからだ。極論「稼働するものは全部新作」といったノリすら感じられる。

『ポールポジション2』や『スターブレード』『パワードリフト』といった往年の大型筐体が現役稼働していることに目を奪われがちだが、じつはそれらは「アトラクション」のひとつであって、この店の神髄は、他店ではもはやインカムの稼げないものや時代に淘汰されたタイトルに独自の付加価値をつけて、現役感を演出しているところにある。

入荷されたばかりの人気筐体『パワードリフト』(1988/画像左)もこの店では「新作」扱いだ
入荷されたばかりの人気筐体『パワードリフト』(1988/画像左)もこの店では「新作」扱いだ

『ストリートファイター2』の操作システムを踏襲した、剣を武器に戦う対戦格闘ゲーム『ゴールデンアックス・ザ・デュエル』を『ストリートファイター・アックス』と勝手に命名して「新作入荷!」として取り上げたり、『1941』『1942』『1943改』『1945』『1945II』『1999』『19XX』といった戦艦駆逐型シューティングゲームを「ミカド『艦これ』シリーズ」として祭り上げるなど、「史実至上主義」のユーザーからは目をしかめられそうな演出が店中に蔓延している。

遊び心ある演出が話題になりがちだが、行き届いたレバーやボタンのメンテナンスにも目を見張る
遊び心ある演出が話題になりがちだが、行き届いたレバーやボタンのメンテナンスにも目を見張る

けれど、これらを単なる思いつきやデタラメと一刀両断してしまうのは、いささかもったいない。仮にそうだとしても(実際そういった感じは否めないのだが)、それを具体化する力と経営/運営のバランスからは知性ある悪ノリ、つまり大人ならではの遊び心を感じるのだ(そもそもこうした演出はちゃんとそれぞれのタイトルの時代背景を踏まえているからこそできる行為だ)。

高額の新作しか作られず、安価なタイトルはネット配信で店舗に供給されるのみで、PCB基板での新作の生産は終わってしまった2000年代のアーケードゲーム・シーン。手元にあるのは70年代から作られてきた基板のみだ。

つねに進化するテクノロジーのうえに成り立つビデオゲームは、最新の技術と革新性こそがすべてだと思っていた。けれど、ゲームにおける第二次成長期は終わったのだ。その認識のうえでゲームに触れてみると、意外なほど視界が広がって見える。

ドラマ『ノーコン・キッド』にも筐体や基板提供などで協力。宣伝用のスチールも「ミカド」店内にて撮影。(C)『ノーコン・キッド』製作委員会
ドラマ『ノーコン・キッド』にも筐体や基板提供などで協力。宣伝用のスチールも「ミカド」店内にて撮影。(C)『ノーコン・キッド』製作委員会

これらを年代もののワインや葉巻をいま嗜むように、かつて憧れながらも手を出せなかった車やバイクに大人になってから乗ってみるかのように、基板一枚一枚をそれぞれの思いで楽しんでみる。「ミカド」の店内を見て時が止まっていると思うかどうかは人それぞれだが、僕にはレトロやノスタルジックな懐古趣味だけではなく、いまがどういう時代なのかをしっかりと見据え、いまのアーケードゲーム・シーンという現状認識があったうえに作られた、じつに2000年代流のゲームセンターに思える。

そういえばドラマ『ノーコン・キッド』(現在絶賛放映中です)の撮影の空き時間にエキストラの子供たちが設営したアーケードゲームで遊んでいたけれど、彼らにとってそれらはすべて「新作」で、彼らのなかで『ポケットモンスター X・Y』と『ゼビウス』や『魔界村』は並列だったはずだ。それは僕が『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』を聞いたときと同じように。

時代背景や史実を知るのはとても大事なことだ。そうすることで見えてくるものはたくさんある。でもそれを得るのはあとからでもいいのかもしれない。まずは楽しまなくちゃなにも始まらない。とくに店舗数の減少ばかりが叫ばれるこの時代においては。

そんな価値観を高田馬場のゲームセンターから教えてもらったような気がしている。

なにやらオッサンじみた文章になってしまった。

次回はそんな「ミカド」に現れた、ちょっとしたヒーローを紹介したいと思います。

画像

「高田馬場ゲーセン ミカド」

住所/東京都新宿区高田馬場4-5-10

営業時間/AM10:00~PM24:00

TEL&FAX/03-5386-0127

WEB/http://mi-ka-do.net/baba/