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直前復習。芥川賞候補の尾崎世界観『母影』ってどんな話?

大森望SF翻訳家、書評家
「母影」が掲載された〈新潮〉2020年12月号の表紙(部分)

 第164回(2021年下半期)芥川龍之介賞の候補作に選ばれたことで注目を集めているのが、尾崎世界観『母影(おもかげ)』。

 ロックバンド、クリープハイプのギター&ヴォーカルで作詞作曲を担当する著者が文芸誌〈新潮〉の2020年12月号に発表した最新作だ。

 2016年に尾崎世界観の初長編となる自伝的青春小説『佑介』が文藝春秋より書き下ろしで刊行されてから4年半。今回の『母影』では、前作とはまったく違う文体で、小学校低学年の女の子(私)の視点から、母親(および母娘をとりまく人々)の姿を活写する。

 版元の内容紹介は以下の通り。

小学校でも友だちをつくれず、居場所のない少女は、母親の勤めるマッサージ店の片隅で息を潜めている。お客さんの「こわれたところを直している」お母さんは、日に日に苦しそうになっていく。カーテンの向こうの母親が見えない。少女は願う。「もうこれ以上お母さんの変がどこにも行かないように」。

 母親が勤めているのは、もともとごくふつうの健全なマッサージ店だったが、ある時点から、裏オプション的に性的サービスを受けられると評判が立ち(危ない橋を渡ってでも稼ごうと店長が方針転換したらしい)、男の客ばかりがマッサージ台を埋めるようになる。

 カーテン一枚隔てたところで勉強しながら、大人たちの会話に耳をそばだてる小学生の私……。

 同級生からバカにされたり、電車に乗って出かけることさえめったになかったりする貧乏生活のディテールが、不思議と明るく語られてゆく。

 大人同士の、あるいは子供同士のやりとりには抜群のリアリティがあるし、マッサージと風俗、合法と非合法の中間にカーテンを立て、そこに母親の影を映してみせる趣向が面白い。

 たとえば、カーテンの向こうで聞く、おばあちゃん(マッサージ店オーナー)とお母さん(従業員)のやりとり。

「お客さまにあるかどうかを聞かれた場合は、ちゃんと最後までお願いします。二回目からはある。これを徹底してください」(中略)「ただし、こちらから言う必要はありません。あくまで、お客さまがあるかどうかを聞いてきた場合のみ、あります。それと、ありそうでない、これが一番大事ですから(後略)」

 おばあちゃんの話す言葉はカクカクしてるから、ぜんぶカタカナに聞こえるし、聞くといつも耳がムズムズした。

 この会話に示されるような、そこはかとないおかしみと切なさが絶妙のペーソスを醸し出す。こういう感覚をさらりと書けてしまう才能は貴重だろう。クリープハイプの歌詞に漂う生活感や言葉選びのセンスと重なる部分もあって、読みようによってはクリープハイプみの深い小説かもしれない。

 単行本は新潮社から1月28日刊行予定。

https://www.shinchosha.co.jp/book/352142/

SF翻訳家、書評家

おおもり・のぞみ/Nozomi Ohmori 1961年、高知市生まれ。京都大学文学部卒。翻訳家、書評家、SFアンソロジスト。責任編集の『NOVA』全10巻で第34回日本SF大賞特別賞、第45回星雲賞自由部門受賞。共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズ、『読むのが怖い!』シリーズなど、著書に『20世紀SF1000』『新編 SF翻訳講座』『50代からのアイドル入門』『現代SF観光局』など。訳書にコニー・ウィリス『航路』『ドゥームズデイ・ブック』、劉慈欣『三体』(共訳)など多数。「ゲンロン 大森望 SF創作講座」主任講師。

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