繰り返されてきた被害者バッシング 麻生氏は性暴力被害者への偏見と差別に気づいてほしい

(写真:ロイター/アフロ)

「この事件にも政治的な背景などが絡み、被害者がバッシングを受けているのでしょうが、どんな場合でも、必ず被害者の落ち度が責められます」

 いつの時代の、誰のコメントだと思うだろう。

 これは、2001年9月11日、奇しくも9.11当日の沖縄タイムス朝刊に載った記事の一部だ。この年の7月、沖縄で女性に対する強姦事件の容疑者として米空軍軍曹が逮捕された。この後、同時多発テロに関する報道一色となったこともあり、この事件を記憶している人は少ないかもしれない。翌年に、懲役2年8カ月の実刑判決が確定している。

■「どんな場合でも、必ず被害者の落ち度が責められます」

 記事の冒頭を紹介する。

 米兵暴行事件で、被害女性の「落ち度」を非難する記事が一部の週刊誌と米国メディアで繰り返されている。一九九九年の大阪府知事選挙期間中、横山ノック前府知事にセクハラされた女性も、知事の性犯罪を訴えたことで一部メディアに「選挙妨害」と断じられた。民事・刑事の両裁判で勝訴したが、その過程で家族や友人などのあらゆる人間関係が壊れ、現在もトラウマと闘う日々を送っているという。本紙の取材に応じた彼女が、今回の事件の被害者に、またメディアのありようなどについてメッセージを寄せた。

出典:沖縄タイムス(2001年9月11日)

 記事の内容は、大阪府知事だった横山ノック氏のセクハラを告発した女性が、沖縄の事件の被害者に送ったメッセージだ。彼女のメッセージは、次のように綴られている。

 沖縄の事件の報道被害は、ほかの性犯罪や私の事件と同じように、よくあるパターンだと思いました。この事件にも政治的な背景などが絡み、被害者がバッシングを受けているのでしょうが、どんな場合でも、必ず被害者の落ち度が責められます。

 私の事件でも、私自身は落ち度があったとは全く思っていませんし、それが法的にも認められました。しかし、落ち度があったのではないかと問い詰められることは、今でもあります。

(略)

 お金目当てで訴える人はいません。なぜなら、訴えることで失うことが多すぎるからです。裁判は長く、そして立証は難しいのです。また、あの人が被害に遭った人だと、他人に知られることはとても苦しいことです。

 男性でも、レイプされたとか、ボコボコにされて、性器をいたずらされたとして、そのことを他人に話せるでしょうか。「肉親に知られれば必ず悲しませてしまう」「他人に知られるのは恥ずかしい」と思うはずです。どんな女性でも、そんなことをされたことを知られたくないと思います。

(後略)

出典:(同)

 メッセージは、「私は選挙妨害だとマスコミにたたかれ、そして周りの人からもたくさん傷つけられた時、この社会に絶望しました。生きる気力をなくしました。頑張れ、頑張れと自分に何度も言い聞かせても、うわさは広がるばかり、裏切られるばかり、そしてことごとく責められ続けました」と続いた後、沖縄の事件の被害者に「今現在生きているというだけでも、本当にすごいこと」「いつでも、自分のことを一番に考えてあげてください。そして生き抜いてください」と語りかけて終わる。

 財務事務次官のセクハラを告発した女性記者や、民事訴訟中の伊藤詩織さんに向けられたコメントかのように錯覚してしまう。このメッセージから17年経った今でも、性暴力の被害者に向けられる好奇の目や疑いのまなざしは変わっていない。

■1993年、セカンドレイプに抗議する集会も

 性暴力の被害者が、中傷や偏見に基づく言葉などによって更なる心理的ダメージを受けることを意味する「セカンドレイプ」という言葉で過去の新聞記事を検索すると、1993年7月15日の朝日新聞が見つかる。全文138文字の短い記事で、強姦事件の報道を考える集会を告知している。集会のタイトルが「強姦報道のセカンドレイプ」だった。

 この年の2月、卒業旅行先の海外で複数の女子大生がレイプされる事件があった。このとき、週刊誌は「日本人ギャル」の「しり軽ぶり」などと被害者へのバッシングを行い、全国紙ですら、「海外旅行、女性は行動の責任持て」と、被害者の「落ち度」を責める内容の投書をそのまま掲載した。

 集会は、こういった報道や世論を受けてのものだった。

 同年に報じられた大学教授による複数の女性への強姦事件では、被害者の女性が被害を受けてから数年後に告発を行ったことなどから、学内人事の確執が関連しているかのような事実と異なる憶測が流れた。

 1998年に被害者である原告側が勝訴したセクハラ裁判の記録である『セクハラ神話はもういらない 秋田セクシュアルハラスメント裁判 女たちのチャレンジ』(※)には、こんなくだりがある。

いま、セクシュアルハラスメントという言葉を知らない人は、ほとんどいないだろう。しかし、その本質は必ずしもきちんと理解されていないように見受けられる。「たいしたことないのに騒ぐなんて大人げない」「イヤなら大声を上げたり相手をひっぱたけばいいのに、後から裁判なんて」という声が、いまだに聞こえてくるのだから。だが、本人が望まず予想もしていないところで性的に扱われる。しかもそれが立場やしがらみなどで抵抗しにくい状況のなかで行われる。そこを見過ごしてはセクシュアルハラスメントの本質は見えてはこない。

出典:『セクハラ神話はもういらない』

 被害者は、勤務先から「提訴を取り下げるなら次年度の雇用を更新してもよい」と伝えられるなど、多くの無理解や、いわれのない非難と闘わなければならなかった。

「98年12月、仙台高裁秋田支部はステレオタイプ化された被害者像を打ち破った画期的な判決を出した」
「98年12月、仙台高裁秋田支部はステレオタイプ化された被害者像を打ち破った画期的な判決を出した」

(※)秋田セクシュアルハラスメント裁判Aさんを支える会編/教育史料出版会/2000年

■被害者バッシングを繰り返させない

 このようなケースは上げればきりがない。被害者がまるで加害者かのようにバッシングされてきた。こういったバッシングを目の当たりにして、告発を諦めた被害者がいることは容易に想像できる。

 被害者たちをバッシングする人たちは、「今回のケースだけはおかしい」と言いたいかのように叩く。しかし過去の歴史の中で、性暴力の被害者たちは、必ずと言っていいほどバッシングされてきた。横山ノック氏を訴えた女性の、「どんな場合でも、必ず被害者の落ち度が責められます」という言葉のように。

 女性記者の告発を受け、4月23日に行われた緊急院内集会のタイトルは、「セクハラ被害者バッシングを許さない!」だった。100人を超える実行委員の中には、上記に紹介したセクハラ事件の支援を行った人や、性暴力の被害者支援に長年関わってきた人もいる。タイトルには、「被害者バッシングを繰り返させない」という強い気持ちが込められていると感じる。

「#metoo セクハラ被害者バッシングを許さない!」会場にかけられたスローガン
「#metoo セクハラ被害者バッシングを許さない!」会場にかけられたスローガン

 他の犯罪や疑惑であれば、ここまで被害者が疑われ、ジャッジにかけられることはない。性暴力の被害者に必ず疑いがかけられるのは、未だに「逃げようと思えば逃げられるはずなのに」「本当に被害に遭ったのならすぐに訴えるはずだ」といった偏見や無理解が根強いことと無関係ではない。

 下村博文元文化相は、女性記者が会話の録音をしていたことについて「ある意味で犯罪」と発言し、その後謝罪し、撤回した。

 麻生太郎副総理兼財務相は、4月24日の会見でもまだ、根拠を明確にしないままに「はめられて訴えられているんじゃないかと、世の中にご意見ある」と発言した。反対の意見を述べることが「中立」だと思っているのかもしれないが、権力の中枢にある人間が同じ組織の人間を公の場でかばうことは中立でも何でもない。

 また、麻生氏が過去に行われてきた性暴力被害者へのバッシングを知っていたとしたら、「はめられて訴えられているんじゃないか」という「世の中のご意見」をそのまま紹介することが、どれほど危険で被害者を傷つけ、その他にも多くいる被害者たちの身をすくませることなのかはわかったはずだ。

 性暴力の被害者が、その都度ジャッジにかけられ、まるで加害者かのように扱われてきた過去があること。だからこそ、消されてきた声があること。この「差別」をこれ以上、繰り返してはいけないこと。今、社会に気付いて変わってもらいたい。

(※タイトル画像以外の記事内の画像はすべて筆者撮影)