セクハラされても「お互いに譲歩」? #metoo の背景に被害者が救われない法システム
「実際にはセクハラを受けて裁判できる人は非常にわずか。経済的コストや時間的コストの側面もあるんですが、公開手続きにより心理的ハードルも非常に高い。それからもう一つ、心身に不調をきたしている場合が大変多い」
4月23日、衆議院議員会館で行われた緊急集会「セクハラ被害者バッシングを許さない」で、労働政策研究・研修機構(JILPT)副主任研究員の内藤忍(しの)さんはそう語った。集会は、財務事務次官によるセクハラ問題とその対応を受けて開かれた。
内藤さんはこの日、「今回のこの集会では(告発をした)被害者を孤立させないことがテーマのひとつ。私は、(性暴力やセクハラの)被害者が孤立する原因のひとつは法であると思います」と話し始めた。
■セクハラは厳正に裁かれてきたのか
#metoo が国内で話題となり始めた時期に、ある女性文化人が「法治国家なのだから、被害にあったら世間に宣伝するんじゃなくて、法的に訴えるべきだと思います」「パワハラやセクハラとかって第三者の目を入れるために裁判するっていう方法がこの国にはある」と語ったことが報じられた。
セクハラや性暴力の被害者は法によって救われる。果たして本当にそうだろうか。本当にすべての被害者が救われ、すべての加害者が罰せられているなら、どれだけいいだろうか。
内藤さんの言う通り、セクハラの被害者が裁判を起こすハードルは非常に高い。セクハラの構造について、弁護士の角田由紀子さんは『性と法律―変わったこと、変えたいこと』の中でこう綴っている。
そもそも、ハラスメントを受けて誰にも相談をできなかったという人も少なくない。※連合の調査によれば、セクハラなどハラスメントを受けた人のうち、誰にも相談しなかった人は41.7%。
「そうなってくると行政救済が大事になる」が、一方で現状の行政による救済には大きな問題があると内藤さんは指摘する。
「(行政救済である)労働局への相談は、相互の譲り合いを前提とする紛争解決制度なんです。つまり、セクハラを受けても譲らないといけないシステム。そしてその多くが金銭解決になります」(内藤さん)
現行の法規定(均等法十一条)では、労働局が行える指導や勧告は事業主の措置義務違反について。個別事案に関する行政指導は基本的に行うことができない。労働者からセクハラの相談を受けても、労働局がそれをセクハラかそうでないかを判断する権限がない。均等法にセクハラに関する項目が設けられたのは1997年。当初の「配慮義務」から「措置義務」に格上げされ一定の評価はあるものの、セクハラの禁止規定や、定義規定はない。
■被害者「何も悪いことをしていないのに」
内藤さんが今年発表した論文(※1)では、労働局に相談した際の事例が複数紹介されている。下記に一部を要約して引用する。
・「(労働局は)どちらが悪いという判断も、セクハラだから慰謝料を払ってくださいと会社に言うこともできない」と言われた
・「(労働局を通じた紛争解決制度では)個人に対して賠償を求めることはできない」と言われた
・労働局の調停を利用した際、担当した調停委員(男性弁護士)が、性急に、被害者の要望を全く無視した合意を提案した
・「この制度はお互いの譲歩があっての制度」と説明を受け、自分は何も悪いことをしていないのに、どうして譲歩しなければならないんだろうと思った
また、紹介されているケースでの「解決金」は、35万円、29万円、約16万円など。セクハラを含む「いじめ・嫌がらせ」の労働局による調停の合意金額は平均値28万1236円で、「一般的な司法救済の金額と比較すると低い」(※1より引用)。
被害者側は休職や退職を余儀なくされ、調停にも時間を割く。しかし、それで得られるものは真摯な謝罪や尊厳の回復ではなく、わずかな「解決金」が現実なのか。
「被害者たちが望んでいるのは、行為がセクハラであり、セクハラは違法であるという認定。謝罪されること。そして、もう二度と起こらないようにしてほしいという再発防止。その願いとの大きな乖離がここにあります。被害者にとっては受け入れがたい紛争解決手法となっています」(内藤さん)
(※1)「職場のハラスメントに関する法政策の実効性確保―労働局の利用者調査からみた均等法のセクシュアルハラスメントの行政救済に関する一考察」(季刊労働法260号)
■説明責任を免れてきた加害者が、どれだけいるのか
・行われた行為が、セクハラであるという認定
・謝罪されること
・再発防止
それが被害者の望むこと。しかし加害者は、たとえ「解決金」を支払う場合でもセクハラを認めず、謝罪を行わないケースも珍しくないようだ。財務省の福田事務次官にしても、セクハラの事実は認めないまま、辞任で幕引きをはかろうとしている。
偶然だがこの院内集会の取材の日、私は性暴力の加害者臨床の専門家ともやり取りをしていた。加害者臨床の専門家が言う、「加害者に加害行為に責任をとる上で考えてもらわなければならないこと」は、被害者が加害者に対して望むことと一致していた。
(1)説明責任
(2)謝罪と贖罪
(3)再発防止責任
考えてみれば当たり前のことだ。しかし、被害者にとっては当たり前の要求がなかなか通らない。
内藤さんの論文には、「いくら指導しても強制力がないので、あの会社や社長にもう関わらないのが一番。再就職先が見つかりそうだったら、辞めたほうが○○さんのためだと思います」と言われた例も紹介されている。
被害を受けた被害者が、被害を訴えることでますます追い込まれ、孤立していく状況が実際にある。被害者なのに、加害者から「やっていない」と言われ、周囲から「嘘をついているのでは」と疑われることが、どれほど苦痛なことか。
「セクハラの被害者は多くの場合、心身に不調をきたします。私も全国に調査に行って話を聞きましたが、何回も連絡を取るうちに、『もう会えなくなった』と。『体調が悪くなって会えない』と言ってきた人がたくさんいました」(内藤さん)
集会の、たくさんの人の中で淡々と話していた内藤さんが、このときだけ声を詰まらせた。
「そういう、声を上げられない人がたくさんいるんです。ですから、被害者の相談から支援までの救済体制をしっかり構築することが必要だと思っています」(同)
なぜ#metoo が必要だったか、まだ説明が必要なのだろうか。どれだけ多くの怒りをなかったことにしてきたのか、社会が気付き、変わるべきときだ。