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「もっと情報」というが、阪神淡路大震災で経験した「情報がない」という立派な情報

饒村曜気象予報士
パソコンと手(写真:アフロ)

「もっと情報がないのか」の声

 新型コロナウイルスのオミクロン型が広がり、1月27日から北海道・大阪府・福岡県等18道府県に「まん延防止等重点措置」が適用となりました。

 これで、全国34都道府県で、この措置が適用になりました。

 「オミクロン株について、もっと情報がないのか」「もっと情報を出すべきだ」「情報があればもっと良い対応が出きる」等の意見を良く聞きます。

 そこで思いだしたのが、次の記事です。

 結果をあたかも周知の事実のように考え、それを前提に「ああすれば良かった。」、「こうすべきであった。」と議論するのは後知恵であり、フェアでない。限られた情報しか与えられなかった当事者が、その状況で下した判断や取った措置が適切であったかどうかを論ずるべきである。歴史から学ぶとは、そのような思考方法に立つことだ。

出典:日本経済新聞(平成7年(1995年)7月18日)

 この記事は、平成7年(1995年)の阪神淡路大震災の約2ヶ月後に地下鉄サリン事件が発生し、その少し前に発生した松本サリン事件の容疑者が冤罪であったことが明らかになったことを受けての社説です。

 神戸で地震を経験した筆者もそう思い、ときどき引用しています。

 災害発生後に色々な意見が出てきます。

 多くは正しい意見ですが、その大半は、災害の結果を知ってからの意見です。

 それは、災害発生直後の情報がほとんど無い時に何をしたら良いのかということにつながりません。

 新型コロナウイルスのオミクロン型もそうですが、大災害発生直後は情報がないのが普通です。

 参考までに、阪神淡路大震災で経験した「情報がない」という情報を利用した例を紹介します。

阪神淡路大震災

 平成7年(1995年)1月17日5時46分、兵庫県南部地震が発生しました。

 筆者は地震が発生した時に、神戸市中央区中山手通りにあった神戸海洋気象台(現在は神戸地方気象台となり移転)に隣接する宿舎で寝ていました。

 神戸海洋気象台の予報課長として神戸に赴任していたからです。

 上下動の揺れで目がさめた後、身体が横に叩きつけられる感じの揺れを感じました(図1)。

図1 神戸海洋気象台の電磁式強震計記録
図1 神戸海洋気象台の電磁式強震計記録

 当時の神戸海洋気象台予報課長は、大災害発生時には神戸海洋気象台災害対策副本部長になると決められていましたので、すぐに駆け付ける必要がありました。

 地震と同時に停電となりましたが、隣接する気象台がすぐに予備電源に切り替わったので、その光が部屋に差し込んできました。

 地震により多くのインフラが停止しましたが、気象台の予備発電機は最新型で、床にボルト付けしてあったため、大地震であってもすぐに機能しました。

 気象台の光が部屋にきていたので、その光でただちに背広を着、ネクタイを掴み、ラジオを聞きながら気象台に駆けつけました。

 津波の心配があるにしても、神戸ではこれほど大きな被害を受けるとは思わなかったため、私の職責として防災機関や報道機関等との対応が一日中あると考えたからです。

 しかし、防災機関や報道機関等との対応はほとんどありませんでした。

 それどころでない大災害が発生していたのです。

 昼頃に三宮など神戸市の中心部に職員を派遣して情報収集をしましたが、とんでもないことが起こっていると青ざめて戻ってきたのが印象に残っています。

 被災地のど真ん中にいる防災機関でも、地震直後には何が起こっているのか、正確には分からなかったのです。

 当時、時事通信社からは次のような情報が出ています。

5時52分:「東海地方や近畿地方で強い揺れ」

6時1分:「17日午前4時46分ごろ、東海から中国、四国地方の広い範囲で強い地震があった」

6時9分:「京都、彦根、豊岡で震度5を記録」

6時22分:「神戸は震度6(烈震)」

 このときの6時9分の情報は、気象庁が6時4分に発表した情報をもとにしてのものです(表)。

表 地震情報(1月17日6時4分気象庁地震火山部発表)
表 地震情報(1月17日6時4分気象庁地震火山部発表)

正しい情報でも結果として誤った認識

 地震発生直後に報道機関はできるだけ早くニュースを集め、一刻も早くそれを伝えます。

 報道の使命であり、当然の行動ですが、落とし穴もあります。

 というのは、深刻な情報は集まりにくいからです。

 地震情報(1月17日6時4分気象庁地震火山部発表)では、神戸海洋気象台と洲本測候所からの震度が入っていません。

 神戸海洋気象台と洲本測候所からの地震観測情報がNTTの回線障害によって大阪管区気象台や気象庁本庁に伝えられなかったからです。

 東京からは、神戸付近の状況の情報が全く入手できない状態であったため、地震情報でいう「震源地は淡路島」から、当時、淡路島唯一の市で、電話がつながる洲本市に取材が集中しています。

 そして、洲本市の情報が地震被害に関する情報として最初に流されています。

 東京の知人が「洲本市の被害が大したことがないといっていたので安心して出勤した」と言っていましたが、誰も嘘を言ったわけではありませんが間違ったイメージを与えた報道でした。

 淡路島は大きく、南部にある洲本市では震度が6といっても5に近い6ということもあり、被害は軽微でした。

 しかし、取材ができなかった淡路島北部や阪神間では、けた違いに大きな被害が発生していました。

NHK神戸放送局のスクープ

 神戸海洋気象台の震度6という情報は、NTTの回線障害によって大阪管区気象台や気象庁には伝えられませんでした。

 しかし、NHK神戸放送局では、神戸海洋気象台に専用電話で連絡を取り、5時50分からのNHK大阪放送局からの臨時放送では「神戸は震度6」と繰り返し報道しています。

 しかし、NHKは6時00分から全国放送となり、最初は「神戸震度6」を放送したものの、気象庁からの確認が取れないとして「誤報です」と取り消しています。

 不確実な情報や裏付けのない情報をどんどん流すことはできないと思いますが、「被害が大きいと思われる神戸からの情報が入っていません」とか、「未確認情報ですが神戸で震度6という情報があります」とかの工夫が必要だったと思います。

 兵庫県南部地震では、「神戸震度6」が、しばらく報道されなかったことから、多くの人は、神戸で大地震が発生しているという認識がなく、このことが、阪神淡路大震災の初動体制が遅れた遠因の一つになったと言われています。

 阪神淡路大震災の震度7の分布をみると、気象台は、神戸市沿岸部に細長く東西に延びる「震度7」の領域が切れているところにあり、「震度6強」でした(図2)。

図2 阪神淡路大震災における震度7の分布
図2 阪神淡路大震災における震度7の分布

 気象台のあった場所は、諏訪山という六甲山地が海に突き出ている岩盤の丈夫な場所にあり、揺れによる被害が少なかったのです。

 これが大地震にかかわらず、観測や予報が通常通りできた遠因ですが、それでも建物のダメージが大きく、のちに移転せざるをえなくなっています。

推計震度分布

 阪神淡路大震災以降、気象庁では、震度計で観測された震度をもとにした推計震度分布の発表を検討しています。

 そして、平成16年(2004年)3月1日から推計震度分布図を提供しています(図3)。

図3 推計震度分布図(令和4年(2022年)1月22日1時8分の日向灘の地震(マグニチュード6.4)の場合)
図3 推計震度分布図(令和4年(2022年)1月22日1時8分の日向灘の地震(マグニチュード6.4)の場合)

正確な震度、町内ごとに 「推計震度分布図」3月から公開/気象庁・内閣府

◆1キロ四方で分布図色分け

気象庁と内閣府は26日、地震発生後1時間をメドに、震源近くの震度の広がりを面的に表示した「推計震度分布図」を3月1日から公開すると発表した。被害状況の把握が遅れた阪神大震災の教訓をもとに、震度の広がりを素早く視覚的にとらえることで、防災機関などの応急対策に役立てるのが狙い。

推計震度分布図は、全国に既設の約3400か所の震度計データや地盤の情報に基づき、1キロ四方ごとに推計した震度を、地図上(縮尺100万分の一程度)にカラー表示するシステム。従来は限定された地域の震度しか示されず、同じ自治体でも地域によって震度がどう違うのかわからなかった。

分布図は最大震度が5弱以上の地震の際に提供され、震度4以上の地域が震度別に色分けされる。分布図は、各自治体に配布するほか、気象庁のホームページでも一般公開する。

引用:平成16年(2004年)2月27日読売新聞朝刊

 阪神淡路大震災の時は、神戸の震度が伝わらず、このような細かい分布がわかったのは大掛かりな現地調査をしたあと、地震発生から1週間以上たってからです。

 現在の推計震度分布の発表が地震発生の1〜2時間後であることに比べると、隔世の感があります。

 震度については、「地震発生直後に情報がない」ということはなくなったのです。

「情報がない」という重要な情報

 理由がわからなくても「何かが起きているから情報がない」のです。

 正確な情報を集め、それを利用することは正しいことですが、正確な情報が集まらず、無理して入手できる情報を集めると、「正しい情報だけだけれど、実態を正しく表現していない」ことにつながります。

 気象台の幹部会議で、神戸海洋気象台からの情報があまり入ってこないが、観測情報や予報情報が通常通り発信されていることから、「何とかしているのだろうから急いで報告を求めない」「文書決裁等はあとまわしにして神戸の要望を聞く」という判断をした、と後で聞きました。

 地震の大混乱のなか、綱渡りをしながら観測と予報を行っている現場からすれば、非常に助かる話でした。

 「情報がないからもっと情報収集」ではなく、「情報がないがうまくいっているなら現状を継続」というのは、すごい判断だったと思います。

 新型コロナウイルスとの戦いも、「情報が少ない」「情報がない」というなかで、どう判断してどう行動をとるか、難しい判断が迫られています。

図1、図2、表の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。

図3の出典:気象庁ホームページ。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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