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富士山測候所記念日 126年前の「芙蓉の人」野中至夫妻と難しい初雪の定義

饒村曜気象予報士
葛飾北斎 「富嶽三十六景 凱風快晴」(提供:アフロ)

富士山測候所記念日

 8月30日は富士山測候所記念日です。

 今から126年前の、明治28年(1895年)に、気象学者である野中至が富士山頂に私費で測候所を開設した日です。

 富士山は日本を代表する秀麗な山であることから、外国人の注意を引き、シーボルト(P.F.Von Siebold)が文政9年(1826年)に高さを3793メートルと測定するなど、古くから多くの外国人が富士山の観測を行っています。

 中央気象台(現在の気象庁)も、明治22年(1889年)以降に、山頂や山麓の観測を行っていますが、いずれも夏季の30日から50日の観測でした。

 福岡生まれの野中至は、気象学のためには富士山頂に観測所を設置し、通年観測を行うことが必要であると思い立ち、明治22年(1889年)に大学予備門(現在の東京大学教養学部)を中退し、目標に向かって突き進みます。

 中央気象台の協力をとりつけた野中至は、明治28年(1895年)2月16日に富士山冬季初登頂を果たし、富士山頂での越冬が可能であることを確信しています。

 そして、同年夏に再び登頂して私財を投じて測候用の小屋、通称、野中小屋(約6坪)を富士山の剣ヶ峰に新設しました。

 これが8月30日です。

 中央気象台からは気圧計や温度計、風力計、雨量計などの観測器械に加え、沼津測候所と連絡用の廻光儀が貸与されました。

 同年10月12日には、妻・千代子も合流し、二人で富士山頂の冬季観測に挑みますが、この計画は野中夫妻の高山病と栄養失調により失敗し、中央気象台の和田雄治技師らの救援で12月22日に夫妻とも下山しています。

 しかし、野中夫妻の冒険は、翌年には落合直文の実録小説『高嶺の雪』に書かれるなど、世間の評判をよび、その後の、本格的な観測所の建設を目指した野中至の様々な活動を支えています。

 そして、野中至の事業はのちに中央気象台に引き継がれています。

 野中至が観測に最適と選んだ富士山頂の「剣が峰」に中央気象台(現在の気象庁)の富士山測候所が建設されました。

 富士山測候所は、平成16年(2004年)以降は無人化され、富士山特別地域気象観測所として自動気象観測装置による気象観測が行われています。

 無人化ですので、人間の目視観測が必要な、雲の種類や初雪等の観測は、平成16年(2004年)をもって終了しています。

 なお、野中至を題材として、昭和46年(1971年)に新田次郎が「芙蓉の人」を書いていますが、この芙蓉とはハスの美称です。

 富士山の火口の形がハスの花に似ていることからの題名です。

富士山頂の気温と風

 標高3776メートルの富士山は上に行くほど気温が下がります。

 気温は、ふつう100メートル高くなるとおよそ0.65度下がるので、単純に言えば、富士山頂では平地よりも25度も気温が下がることになります。

 実際の富士山頂の気温は、年間の平均気温はー5.9度であり、月平均気温が氷点下でないのは、6~9月だけです(図1)。

図1 富士山頂の月ごとの平均気温(平成3年(1991年)~令和2年(2020年))
図1 富士山頂の月ごとの平均気温(平成3年(1991年)~令和2年(2020年))

 最も気温が高い8月の平均気温が6.4度、最も低い1月の平均気温は-18.2度です。

 最高気温の記録は昭和17年(1942年)8月13日の17.8度、最低気温の記録は昭和56年(1981年)2月27日の-38.0度であり、その差は55.8度もあります。

 また、富士山頂は風が強く、年間の平均風速は12.1メートルで、いちばん穏やかな8月でも平均風速は7.6メートルと平地であればかなりの風速です(図2)。

図2 富士山頂の月ごとの平均風速(平成3年(1991年)~平成16年(2004年))
図2 富士山頂の月ごとの平均風速(平成3年(1991年)~平成16年(2004年))

 最多風向は1~3月と11月が西北西、その他の月が西南西と、ほとんどが西よりの風です。

 昭和41年(1966年)9月25日には台風26号によって91.0メートル(南南西の風)という凄まじい勢いの最大瞬間風速を観測しています。

 昭和17年(1942年)4月5日には低気圧によって72.5メートルという最大風速を観測しています。

 富士山頂は、平地では考えられないくらい厳しい気象環境ですが、特に冬は厳しいということがわかると思います。

 野中至は、日本で初めて、この厳しい冬の観測を試みたのです。

初雪の定義

 富士山の山頂は、実に1年のうち300日以上も雪が積もっているという厳しい環境のため、どのタイミングを初雪とするか分かりづらい場所です。

 気象庁のホームページでは、平成3年(1991年)から16年(2004年)までの平年値として、初雪を9月17日、終雪を6月5日としていますが、年によっては、初雪なのか終雪なのかわからないことがあります。

 気象庁では、令和2年(2020年)3月に予報用語の定義を変更していますが、その中で「初雪」も変更しています。

 現在の定義は、「8月1日から翌年の7月31日までに初めて降る雪。みぞれでもよい。」ですので、8月1日以降、最初に降る雪が初雪でまぎれがありません。

 しかし、それまでの予報用語の定義では、次のような備考がついていました。

備考 富士山など高い山ではその年最高の日平均気温が出た日(最高気温日)以後の雪を初雪とする。

 富士山以外には高くて寒い山での観測は行われていませんので、この備考が該当するのは富士山だけです。

 そして、その富士山で初雪観測がなくなったことから、備考が意味をなさなくなったかことによる削除です。

 過去の統計をみると、富士山の初雪はかなり複雑です。

 中央気象台が統計をはじめた昭和11年(1936年)以降で、もっとも早い初雪は、昭和38年(1963年)の7月31日です。

 7月12日の平均気温7.9度と年最高値を観測したためです。

 なお、山頂東安河原の臨時観測所では、7月8日に初雪を観測しています。

 昭和8年(1933年)は、7月2日の日平均気温が8.6度と、年最高値を観測したためです。

 つまり、7月でも富士山は初雪が降っているのです。

 なお、遅い初雪は、昭和18年(1943年)の10月16日です。

 この年は、8月7日の日平均気温8.6度が年最高値でした。

観測しなくなった初冠雪

 初冠雪は、「山の一部が雪等の固形降水により白くなった状態が初めて見えたとき」ですが、この観測をしているのは、付近にある有人の測候所や気象台です。

 しかし、全国で100か所以上も存在していた測候所は、機械による測定機能の向上や人員の削減等により、平成22年(2010年)10月までに北海道の帯広測候所と鹿児島県の名瀬測候所を除いて廃止され、特別地域気象観測所へ移行となっています。

 このため、初冠雪の観測は、残った気象台等の約50か所からのものだけになっています。

 富士山でいえば、ふもとの静岡県三島測候所や山梨県河口湖測候所からの観測がなくなり、甲府地方気象台からの観測のみとなりました。

 甲府は、三島や河口湖に比べて遠く、途中の雲によって富士山が見えない可能性が高くなることから、富士山の初冠雪の日は遅れがちとなっています。

 例えば、令和2年(2020年)9月28日に、甲府地方気象台は富士山の初冠雪を発表しましたが、一週間ほど前に富士山頂付近では雪が降り、ふもとからは冠雪を見ています。

 しかし、甲府地方気象台からは富士山頂付近が冠雪した様子を確認することができなかったため、初冠雪の発表はありませんでした。

 なお、甲府地方気象台も、平成31年(2019年)2月から人による目視観測から自動観測に切り替わっています。

 ただ、終了するのは定時観測のみであり、天気予報や気象警報・注意報などのための目視監視は、今後も継続されます。

 測候所の場合と違って、無人化ではありませんので、しばらくは甲府からの初冠雪の観測は継続と思われます。

初雪化粧日

 気象庁では初冠雪の観測が終了した地点が多いのですが、自治体等で同様の観測を行っている所があります。

 例えば、富士山には、山梨県富士吉田市の富士山課が独自に確認している「富士山初雪化粧日」があります。

 これは、平成18年(2006年)から発表しているもので、令和2年(2020年)は9月21日でした。

 甲府地方気象台の発表した初冠雪より7日早い発表でした。

 暑い暑いという8月も終わり、まもなく雪の便りがとどく季節に入ります。

図1と図2の出典:気象庁ホームページをもとに筆者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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