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サンドウィッチマンも見た気仙沼の惨状 「おかえりモネ」は震災をどう描いたか

饒村曜気象予報士
気仙沼全景(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

気仙沼にいたサンドウィッチマン

 令和3年(2021年)5月17日から、NHKの朝ドラ「おかえりモネ」が始まりました。

第3週と4週の放送は、宮城県登米市の森林組合で働き始めた主人公の永浦百音(モネ)が、お盆に生まれ育った宮城県気仙沼市に帰省し、妹の未知(みーちゃん)や幼馴染に会うという話でした。

 その中では、百音の人生に重大な影響を与えた東日本大震災がしっかりと描かれていました。

 6月3日(木)から4日(金)の放送では、平成23年(2011年)3月11日に、父親と仙台の高校(音楽科)の入試結果を見に行っていた百音は、不合格となっています。

 そして、落ち込んだモネは、なぐさめようとした父親とジャズ喫茶にゆき、演奏を楽しんでいる最中に震災に襲われます。

 急いで気仙沼に戻ろうとする親子が聞いたラジオから流れているニュースは、「気仙沼が燃えています」でした。

 東日本大震災時の気仙沼では、津波によって壊された貯蔵タンクからもれた重油に火がつき、大火災が発生しています。

 気仙沼市街地の大火は、亀島のモデルとなった気仙沼大島にも飛び火し、山火事を起こしていました。

 ラジオの通り、町が燃えていたのです。

 そして親子は、島が見える気仙沼市街地の北にある安波山(あんばさん、標高236メートル)に登っています。

 タイトル画像は安波山から見た気仙沼市街地で、気仙沼湾の向こうに気仙沼大島が見えます。

 家族の住む島に行くこともできず、家族の安否などの情報が得られない中で、ただただ惨事を見るだけの百音、ドラマとは言え、悲壮さが伝わってきます。

 この風景を、「おかえりモネ」の一週間の振り返りが放送される土曜日の案内役、宮城県出身のサンドウィッチマン(伊達みきお・富澤たけし)は、実際に見ています。

 東北放送の「サンドのぼんやり~ぬTV」のロケで気仙沼港市場にいたサンドウィッチマンは、東日本大震災に遭遇し、スタッフの指示で安波山に逃げたからです。

 渋滞にまきこまれたものの地震発生から15分後に山に到着し、さらにその10分後、沖合から大津波が気仙沼を襲うのを見ています。

 流されてゆく人をたくさん目撃しています。

 サンドウィッチマン伊達のブログによると、3月11日17時1分では、山に避難していること、津波で大変なことになっていること、山から下りられる状況ではないことを伝えています。

 その後、気仙沼市内のホテルのロビーに避難し、外は雪が降り、大勢の人でごったがえす中、毛布一枚で寒さをしのいだことを伝えています。

 3月12日11時15分のブログでは、

「岩手県一ノ関にいます。かなり揺れた地域です。全てのお店は閉まっています。信号もありません。でもね、ちゃんとお互い助け合って順番を譲ってあげたりしています。必ず復興します!日本をナメるな!東北をナメるな!

とあります。

死者数の推移

 東日本大震災では、津波によってあまりにも多くの人が被災し、調査すべき自治体等が機能不全に陥ったため、死者・行方不明者数が2万人近いことがわかったのは3日後のことです(図1)。

図1 マスコミ等で報じられた東日本大震災の死者数・行方不明者数の推移(地震発生後の1週間)
図1 マスコミ等で報じられた東日本大震災の死者数・行方不明者数の推移(地震発生後の1週間)

 災害の規模が大規模であればあるほど、災害実態の把握は難しくなるからです。

 地震発生の3日後の3月14日22時現在でも、死者3150名、行方不明者1万5833名と、確認された死者の5倍の人が行方不明でした。

 サンドウィッチマンが自動車で約10時間のかけて仙台から東京に戻ってきたのは3月14日午後で、すぐにテレビ局各社の取材を受け、見たままの状況を話しています。

 そして、多くの人の協力で、3月16日には「東北魂義援金」を設立しています。

 ちなみに、6月4日(金)の放送では、百音が亀島に戻ったのは、地震発生の数日後となっています。

 サンドウィッチマンが東京に戻ったくらいのタイミングです。

 多くの死者と、その何倍もの行方不明者がいるという状況で妹の未知や幼馴染たちと再会したのです。

被災地の真ん中にいた未知

 平成7年(1995年)1月17日に阪神淡路大震災で、筆者は神戸海洋気象台の予報課長として被災地のど真ん中、神戸にいました。

 神戸海洋気象台では、偶然もあったのですが、阪神地域から淡路島にかけて震度7を記録した大地震(気象台では震度6)があっても、観測や予報などを一回も欠けることなく、通常通り行うことができました。

 しかし、今日簡単にできたことが、明日にはできないという例を数多くみました。

 想像を絶する被災地の真ん中にいると、通常では考えられない感覚になります。

 「地震は大したことがなかったよ。家が傾いただけだから」というのは、近くの家が倒壊していたことに比べればという話です。

 普段であれば、「大したことがなかった」どころの話ではありません。

 被災地の真ん中にいる人は、そうでない人に対して、話が通じないという違和感が大小の差はあれ、常にありましたし、そのように話す人が多かったと思います。

 6月11日(第20話)の放送で、未知が百音に「簡単に言わないで。ねえちゃんが津波見ていないからね」とポロっとでてしまうシーンがありました。

 未知が百音を非難している言っているわけではないのですが、言われた百音にとってどは言い返せないことです。

 筆者は神戸で、ある日突然、人生が大きく変わることによって、「明日が来るのはあたりまえではない」という感覚を強くもちました。

 記録的な大災害が発生したとき、立場や被災した状況によって大きく異なりますが、すべての人の人生に大きな影響を与える所以と思います。

 島で被災し、被災地の真ん中にいた未知のように、地獄のような世界を見たことから吹っ切れたかのように開き直って人生の目標を立て、それに向かって迷いなく突き進む人がいます。

 一方で、被災地の真ん中にいた同級生の後藤三生が1200年以上も続くお寺を継ぐということに疑問を感じたように、人生に迷いだす人がいます。

 また、たまたま被災地を離れていた人の中には、百音のように「津波が押し寄せた一番大変な時にはおらず、震災の時に何もできなかった」という思いを引きずる人がいます。

 さらに、たまたま被災地を訪れていたサンドウィッチマンのように、自分たちのこれまでの人生や仕事について悩む人がいます。

 サンドウィッチマンは、お笑いという仕事について、被災地にとって本当に必要なものかどうか真剣に悩み、葛藤し、覚悟をもって被災地に笑いを届けています。

 東日本大震災から約1週間後の、3月19日1時から放送されたオールナイトニッポンでは、急遽、サンドウィッチマンがパーソナリティを務めています。

 宮城県でも放送されたこの番組は、被災者に寄り添った言葉を届けるべきなのか、お笑いを届けるべきなのか、迷った上で放送という、今までで一番難しかった仕事だったといいます。

 一か月たっても、二か月たっても、行方不明者の数はなかなか減らないという状況で、サンドウィッチマンは何度も被災地に足を運んでいます(図2)。

図2 マスコミ等で報じられた東日本大震災の死者数・行方不明者数の推移(地震発生後の約8か月)
図2 マスコミ等で報じられた東日本大震災の死者数・行方不明者数の推移(地震発生後の約8か月)

 被災者たちからは、漫才やコントを希望されても、実際に被災地でお笑いライブを開催するまでには1年以上を要しています。

 それだけ芸人人生をかけた葛藤があったと思います。

 6月5日(土)の振り返りでは、百音が安波山から気仙沼市街地を見るシーンで、「震災時には私たちも安波山にいた」と短く語るだけでしたが、この時からの彼らの行動が、現在の幅広い人気につながっているのではないかと思います。

海と山と空

 震災で吹っ切れたように目標をカキの養殖に定め、高校2年生ながら、漁師になって「海」に生きることに迷いがない妹の未知。

 6月7日(月)からの週の放送では、家業のカキの養殖を継ごうと思っている未知が、カキを赤ちゃんの時から育てる種カキの研究を、天気の影響を受けながら行っています。

 そして、未知の種カキの研究が養殖の漁師たちに否定されますが、「あきらめたわけではない。絶対に成功させるんだから」と未知が言い切っています。

 一方、百音は、震災の時に何もできなかったという後ろめたさを抱え、好きだった音楽をやめ、「誰かのために役に立ちたい」という思いを持ち続けているものの、これといった目標がありませんでした。

 しかし、百音がお盆の帰省によって「もし私が天気のことを勉強したら、おじいちゃんの仕事や未知の研究に役立つかな?誰かの役に立つかな?」という心境に至ります。

 「山」の勉強を始めた百音、山と海とを結ぶ「空」についての勉強(気象予報士の勉強)も始めた百音。

 ずっと掴めそうで掴めなかった何かを実感したという放送週です。

 百音を演じる清原果那、未知を演じる蒔田彩珠、若手実力派の2人による今後の姉妹の行方に興味がそそられます。

 余談ですが、私が子供心に気仙沼という港町を知ったのは、昭和44年(1969年)に森進一が歌った「港町ブルース(作詞:深津武志、作曲:猪俣公章)」というヒット曲からです。

 この歌には、全国14の港町が歌いこまれており、サビの部分で気仙沼が出てきます(表)。

表 「港町ブルース(歌手:森進一)」にでてくる港町
表 「港町ブルース(歌手:森進一)」にでてくる港町

図1、図2の出典:饒村曜(平成24年(2012年))、東日本大震災・日本を襲う地震と津波の真相、近代消防社。

表の出典:著者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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