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函館に続いて札幌でさくら開花 さくら等の生物季節観測は68年前からではなく141年前からの重要な観測

饒村曜気象予報士
さくら(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

札幌でさくら開花

 令和3年(2021年)のさくらの開花は、平年よりかなり早い所が多く、中には観測史上最早というところも少なくありません。

 例えば、3月11日に広島、12日に福岡が開花していますが、いずれも観測史上最も早い開花となっています。

 また、3月14日に東京が開花していますが、これは、観測史上最早タイです。

 2月から3月にかけて気温が高かったためです(図1)。

図1 さくら開花の前線(ウェザーマップが4月19日に発表)
図1 さくら開花の前線(ウェザーマップが4月19日に発表)

 気温が高い状態は、4月も続き、北海道南部の函館で4月20日に開花と、平年より10日早く開花しました。

 札幌でもまもなく開花と、平年より早い開花が予想されています。

 令和3年(2021年)の開花から満開までの期間は、広島が14日、福岡10日、東京8日、仙台3日と、北国ほど短くなっており、札幌の満開の予想は開花の4日後と予想されています。

 このため、札幌のさくらの見頃は、4月下旬の後半となっています(図2)。

図2 札幌の見頃予想(ウェザーマップの4月19日の予想)
図2 札幌の見頃予想(ウェザーマップの4月19日の予想)

【追記(4月22日11時)】

 札幌では、ウェザーマップの予測通り、4月22日にさくらが開花しました。

 平年より11日早い開花です。

早くなってきた札幌の満開

 札幌のさくら満開日は、明治34年(1901年)から昭和25年(1950年)までの平均が5月11日です(明治38年(1905年)に欠測があり、49年間の平均)。

 最も早いのは明治36年(1903年)の4月30日です。

 また、昭和28年(1953年)から平成12年(2000年)までの平均が5月9日と早まっています(昭和33年(1958年)に欠測があり、48年間の平均)。

 最も早いのは平成10年(1998年)の4月26日と、明治時代の記録を更新しています(図3)。

図3 札幌のさくらの満開日(平成13年(2001年)以降は黒丸で表示)
図3 札幌のさくらの満開日(平成13年(2001年)以降は黒丸で表示)

 そして、平成13年(2001年)から令和2年(2020年)の20年間の平均は5月5日、最早は4月25日と、どんどん早まっています。

 さくら等の生物季節観測が始まったのは、昭和28年(1953年)から、今から68年前からという報道がほとんどで、多くの人がそう思っています。

 しかし、これは、生物季節の観測法が現在の形になってからという意味です。

 気象庁の前身の中央気象台や東京気象台が生物季節観測を開始したのは、明治13年(1880年)からです。

 つまり、68年前からではなく、141年前からです。

 生物季節観測は、それだけの歴史があり、重要な観測だったのです。

生物季節観測の開始

 日本での生物季節観測の開始時期ははっきりしていません。

 ただ、明治13年(1880年)7月に内務省地理局測量課が発行した「気象観測法」には生物季節観測のことが記されています。

 これは、アメリカのスミソニアン雑書の一つを測量課の保田久成が翻訳したもので、スミソニアンはアメリカ大陸における動植物の季節現象を各所の機関やボランティアの報告で求めたという内容です。

 気象百年史によれば、和歌山県において、明治13年(1880年)に管内の各郡役所へ気象観測の訓令を発したという記録が残っていますので、この頃から郡役所で気象の観測と動植物の報告を実施するようになったと考えられるとのことです(表1)。

表1 生物季節の観測法の歴史
表1 生物季節の観測法の歴史

 内務省地理局測量課には東京気象台と称していた気象係が設置されていましたが、次第に業務が拡大し、明治20年(1887年)には中央気象台に昇格しています。

 生物季節の観測法は、気象観測法の一部として適宜、拡充・更新が行われてきました。

 太平洋戦争中の昭和19年(1944年)の生物季節報告規定によれば、動物季節や植物季節だけでなく、農事季節や生活季節まで行われていました(表2)。

表2 生物季節報告書の裏面にある説明文
表2 生物季節報告書の裏面にある説明文

 気象観測の一部という扱いであった生物季節観測は、昭和28年(1953年)からは、生物季節観測指針が作られ、独立していますが、この時点においては、農事季節や生活季節はありません。

 そして、詳細となった生物季節観測指針に基づき、生物季節観測が行われ、データベースが作られています。

 なお、中央気象台が気象庁に昇格したのは、昭和31年(1956年)です。

生物季節観測の大変化

 気象庁は、令和2年(2020年)11月10日、これまでの生物季節観測を見直すとして、令和3年(2021年)から動物の観測を完全に廃止し、植物の観測も大幅に縮小すると発表しました。

 しかし、生物季節観測の廃止・縮小の発表に対しては、気象予報士でウェザーマップ会長の森田正光氏が生物季節観測の重要性をYahoo!個人の記事で指摘するなど、大きな反響がおきています。

 小泉進次郎環境大臣からの要請で、天達気象予報士とともに大臣室を訪ねた森田正光氏は、形を変えても生物季節観測の継続を訴えています。

 このようなこともあり、令和3年(2021年)3月30日に気象庁と環境省は共同で「生物季節観測の発展的な活用に向けた試行調査の開始について」という報道発表をしています。

省庁の垣根を取り払って、地球温暖化対策などを視野に入れた大規模な生物季節観測調査に発展していくことを示したもので、森田正光氏は、これに関するYahoo!個人の記事を書いています。

生物季節観測の過去データの発掘を

 生物季節観測が始まった141年前は、地球温暖化が起きることなど誰も想像だにしていない時代です。

 地球温暖化が始まる前から積み重ねられてきた観測結果は、地球温暖化を考えるときに、非常に価値ある観測結果です。

 ただ、観測成果の一部は、気象要覧や産業気象調査報告などで印刷・発表されていますが、昭和16年(1941年)以前の全国の生物季節観測についての原簿類は残されていません。

 昭和20年(1945年)2月25日の東京空襲(ミーティングハウス1号作戦)が原因です。

 なお、約半月後の3月10日の東京大空襲(死者11万5000人以上、被災者約310万人)がミーティングハウス2号作戦です。

 2月25日の東京空襲では、中央気象台は、現業部門が入っている建物だけは、分厚いコンクリートで覆われていたため消失を免れましたが、その他の建物は保存してあった資料と一緒に灰じんに帰しました。

 しかし、全国で生物季節観測を行っていたことは事実であり、断片的ですが、各地に観測の資料が残っています。

 観測が行われていなかったわけではありませんので、手間はかかりますが、各地に残っている観測結果を集めることで、141年間の生物季節観測を入手できる可能性があります。

 つまり、観測方法が多少違いますので、詳細な分析が必要ですが、この記事の前半で説明したように、札幌のさくらの満開日の平均は、20世紀前半は5月11日だったものが、20世紀後半では5月9日と2日早まり、21世紀に入ると5月5日とさらに4日も早まっているという推定が成り立ちます。

 さくらに対する地球温暖化の影響が加速しているという推定です。

 このような推定が数多くできるために、これからの生物季節観測が重要なことはいうまでもありませんが、加えて、生物季節観測の過去データの発掘が必要です。

図1、図2の出典:ウェザーマップ提供。

図3、表1の出典:気象庁資料をもとに著者作成。

表2の出典:気象庁(昭和63年(1988年))、生物季節観測30年報、気象庁技術報告第110号

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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