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「ボヘミアン・ラプソディ(クイーン)」のライヴエイド きっかけのアフリカ飢饉は今も続く

饒村曜気象予報士
Grass sprouting from dried earth(写真:アフロ)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」

 平成31年(2019年)の映画の祭典・米アカデミー賞では、「ボヘミアン・ラプソディ」が、英のロックバンド「クイーン」の歌手フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックの主演男優賞を含む4部門で受賞しました。

 日本でも大ヒットした映画「ボヘミアン・ラプソディ」の最大の山場は、昭和60年(1985年)7月13日に行われた、20世紀最大のチャリティコンサートの「ライヴエイド(LIVE AID)」です。

 英のウェンブリー・スタジアムと、米のJFKスタジアムをメイン会場に、全世界84か国に衛星生中継が行われたライヴエイドにおいて、全出演者中、他を圧倒したライヴパフォーマンスを行ったのが、「ボヘミアンラプソディ」など最多6曲を歌った「クイーン」と言われています。

 これほど大規模なチャリティコンサートが行われたのは、アフリカで大飢饉が発生したためです。

国連砂漠化会議

 アフリカの干ばつは、昭和43年(1968年)頃から激しくなり、昭和47年(1972年)にはサハラ砂漠南部のサヘール地方で子供が餓死しています。

 昭和49~50年(1974~75年)には、ある程度の雨が降って、干ばつは一段落したのですが、昭和52年(1977年)には、地域によっては、昭和47年(1972年)よりひどい干ばつに見舞われています。

 昭和52年(1977年)には、国連砂漠化会議が開催されていますが、この時「この程度の干ばつは昔もあり、そろそろ終わりつつある」「砂漠化は天候よりも、急激な人口増加に伴う食料増産・燃料のための森林伐採が原因」という意見も根強くありました。

 結果論ですが、国連砂漠化会議では、砂漠化防止行動計画が採択されたものの、強い対策は打ち出せず、その後も土壌劣化や砂漠化が進んでいます。

図1 アフリカ大陸とモザンビークの強度砂漠化地帯
図1 アフリカ大陸とモザンビークの強度砂漠化地帯

 図1は、国連砂漠化会議資料をもとに、著者が作成したものですが、サハラ砂漠など砂漠の周辺で強い砂漠化がおきています。

昭和58年(1983年)と59年(1984年)の記録的な干ばつ

 干ばつ気味で大きな社会問題がおき始めていたアフリカで、昭和58年(1983年)と59年(1984年)に記録的な干ばつがおきます(図2、図3)。

図2 世界の異常天候分布図(降水量、1983年)
図2 世界の異常天候分布図(降水量、1983年)
図3 世界の異常天候分布図(降水量、1984年)
図3 世界の異常天候分布図(降水量、1984年)

 これまでの干ばつの中心が、アフリカ北西部のサヘル地方でしたが、エチオピア、ソマリアなど東部とさらにアフリカ南部まで広がっています。

 アフリカ南部の干ばつは、ジンバブエで80年ぶり、モザンビークで50年ぶりという大干ばつでした。

1983年の世界の天候

アフリカ

 アフリカ大陸の全域で高温となり干ばつがアフリカ全域に広がった。特にサヘル、スーダン、エチオピアでは干ばつがひどく、降水量が平年の30~70%で深刻な食糧危機となった。アフリカ南部でもジンバブエ、モザンビークなどで干ばつがひどく、特に2~4月は著しい少雨だった。

1984年の世界の天候

アフリカ

 3月に南部で、4月に西部で、5月に西部、東部でまとまった降水があったが、全体の少雨傾向は続き、特にサヘルでは少雨が著しかった。東アフリカでは7月、10月に降水に恵まれやや干ばつが緩和された。

出典:気象庁編(平成元年(1989年))、異常気象レポート’89。

 なお、引用した「異常気象レポート」は、気象庁が昭和49年(1974年)以降、5年ごとに、日本と世界の発現状況をまとめている刊行物で、平成8年(1996年)以降は「気候変動監視レポート」と改題されています。

 チャリティコンサートの「ライヴエイド」は、国連の推定で、800万人が干ばつの犠牲者となり、100万人以上が餓死したという大災害を受けて行われました。

 多額の寄付が集められたのですが、それ以上に、アフリカの飢饉に対する国際的な知名度をあげ、大規模な国際援助が行われるきっかけになりました。

今も干ばつによる飢餓の危機が

 チャリティコンサート「ライヴエイド」が行われた、昭和60年(1985年)からは、地域によっては、平年並み程度の降雨があり、最悪状態は脱しています。

アフリカ飢餓、5カ国なお深刻 雨降っても種なし

【ナイロビ30日=松本特派員】国連食糧農業機関(FAO)のサウマ事務局長は、ローマで開かれたFAO総会の基調報告で、「アフリカ干ばつ被災国21のうち、16カ国が危機を脱した」と発表したが、残る5カ国スーダン、エチオピア、モザンビーク、アンゴラ、ボツワナなどの飢餓はなお深刻だ。現地救援組織、国連機関などは、これらの地域では餓死者の発生も続いており、決して飢えは終わっていないとして、来年も引き続き援助が必要だと訴えている。

 ユニセフのナイロビ事務所では、「3-4年の干ばつの後遺症は大きく、雨で直ちに立ち直れる状態ではない。雨の恩恵を受けているのは、輸送交通網がしっかりしていたケニア、ジンバブエや、従来干ばつの被害がそれほど深刻でなく、種の保存が可能であったザンビア、タンザニアなどにすぎない」と言う。

 国連災害対策本部は、エチオピア、モザンビーク、チャド、マリ、モーリタニア、スーダン、ニジェールの7カ国について、「86年も引き続き緊急援助が必要である」と訴えている。

出典:朝日新聞(昭和60年(1985年)12月1日朝刊)

 しかし、その後も、アフリカの干ばつと深刻な飢餓は現在まで続いています。

 世界各地で農業支援や農村開発に取り組む国連食糧農業機関(FAO)が、平成30年(2018年)9月11日に発表した年次報告書「世界の食料安全保障と栄養の現状」によると、平成29年(2017年)に世界で栄養不足や飢餓に苦しむ人の数(飢餓人口)は、前年より1600万人以上多い推計8億2100万人と3年連続で増えています。

 つまり、今では、世界で9人に1人が飢えに苦しんでいることになります。

 特にアフリカや南米で状況の悪化が目立っています。

 要因として考えられるのが、急激な気候変動を背景としたアフリカの干ばつや、アフガニスタンやバングラデシュの洪水など、世界各地での自然災害の多発です。

 アフリカのエチオピアやソマリアなどでは干ばつや日照りなどに見舞われ、数百万人規模の人が食料危機に陥っています。

 アフガニスタンやバングラデシュでは洪水が頻発し、農業に打撃を与えています。

 加えて、ナイジェリア、ソマリア、南スーダン、イエメンの4か国では、紛争で大量の移民や難民が発生し、約2000万人が飢餓に直面しています。

 「ライヴエイド」で、記録的な干ばつ被害のアフリカを救ったことには間違いがないのですが、30年以上前に済んだ話ではありません。

 自然災害と紛争で飢餓が深刻になり、食料が足りないからまた争うという悪循環は、30年以上たった現在も続いています。

図1の出典:国連砂漠化会議資料(昭和52年(1977年))をもとに著者作成。

図2、図3の出典:気象庁編(平成元年(1989年))、異常気象レポート’89。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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