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ナホトカ号沈没 重油流出にも気象情報が必要

饒村曜気象予報士
ナホトカ号重油流出事故 (1997年1月10日)(写真:Fujifotos/アフロ)

ナホトカ号の海難

 平成9年(1997年)1月2日、ロシアのタンカー「ナホトカ号(13000トン)」が強風の日本海(島根県隠岐島沖)で沈没し、多量の重油が流出しました(図1)。

図1 地上天気図(平成9年(1997年)1月2日3時)
図1 地上天気図(平成9年(1997年)1月2日3時)

 重油は、強い北西風や対馬暖流の影響を受け東進し、一部は若狭湾から能登半島にかけての沿岸部に漂着し、大きな被害が発生しました(図2)。

図2 ナホトカ号沈没地点と日本海の海流および新聞での表現
図2 ナホトカ号沈没地点と日本海の海流および新聞での表現

日本海のタンカー事故 恨みの強風、流出重油接近 対策本部24時間体制で監視

 「今は打つ手なし」 「海面にもちのような油膜」巡視船船長

 島根県沖の日本海で沈没したロシア船籍タンカー「ナホトカ号」の重油流出事故は六日、大しけの影響で事態が急転、沿岸部に漂着の恐れが強まった福井、石川両県の漁業関係者らは、不安を強めた。現場海域は処理作業も難航。第八管区海上保安本部は海上自衛隊舞鶴地方隊に災害派遣の出動を要請、京都、福井両府県などの港湾関係者で構成する若狭湾流出油災害対策本部は、二十四時間体制で連絡を取ることを決めるなど情勢が緊迫してきた。

現場

 重油が流出している海域を調査し、六日午後、舞鶴港に帰港した八管本部の巡視船「さがみ」の江藤隆信船長(59)は、海上に漂う重油の様子について「多い所はチョコレート色で、つきたてのもちのような油膜が海面に広がり、油臭が漂っていた」と生々しく証言した。

 さがみは四日から、沈没推定地点や漂流中の船首部付近を航行、流出重油の状況の調査を続けてきた。沖合は大しけで、船の安定を保つのがやっとだったといい、「このしけが収まらない限り、油の回収は無理だと思う」と作業の困難さを強調した。

出典:読売新聞(平成9年(1997年)1月7日朝刊)

 ナホトカ号重油流出事故のときに問題となったのは、重油がいつ沿岸部に漂着するかということです。

 沿岸部に重油が漂着すると、養殖場が全滅するなど、非常に大きな被害が発生するからです。

 重油流出の被害をくい止めるために、重油処理剤をヘリコプターや船で散布する、船でオイルフェンスをはる、吸着マットで回収する、ひしやくですくって集める などのことが行われます。

 これらは、いずれも海流や気象の予測を正確に行い、これをもとに重油の漂流予測を行うことによって、効率よく行うことができます。

 このため、重油流出事故があった場合、海上保安庁と気象庁は連携して漂流予測を行い、海上保安庁は目先(3日程度まで)の予測、気象庁は長期(3日目以降)の予測と、得意分野を活かして予測することになっています。

ボランティア活動

 ナホトカ号事故のときは、風の強い日が続き、重油処理剤やオイルフェンスをはることが十分に行うことができず、大きな役割をしたのが、海岸に漂着した重油を人海戦術によって取り除くという方法でした。

 2年前の阪神淡路大震災で、ボランティア活動ということが言われだしたこともあり、福井県の海岸に多くのボランティアの人たちが集まっています。

 ボランティア活動は、ナホトカ号事故の被害拡大を防くのに役立ったのですが、ボランティアをする人も、ボランティアを受ける人も、慣れていないことからの混乱があり、多くの反省点があったのも事実です。

 ナホトカ号重油流出事故時のボランティア活動の経験は、7年後の福井豪雨の時に活かされます。

 平成16年(2004年)7月18日に福井県嶺北地方を中心とした豪雨が発生し、福井市内を流れる足羽川の堤防が決壊するなどで1万4000棟が浸水するという福井豪雨が発生しています。

 そのとき、私は、福井地方気象台に台長として勤務していました。

 そして、「福井方式」と呼ばれている優れたボランティア活動を間近に見ました。

 福井県嶺北地方に豪雨が降ったのは18日の早朝で、足羽川が決壊したのは昼過ぎですが、その日の夕方には早くも福井市にボランティアセンターなどができています。

 そして、そこに自治体の担当者も加わっています。

 このため、最初からボランティアと自治体との連携ができ、翌19日早朝から本格的なボランティア活動ができる体制ができています。

 また、ボランティア組織の基金を使い、直ちにボランティアに参加した人に対しての保険をかけています。ボランティアの人に保険をかけるということは、保険のおりない危険作業はさせないということを含んでいます。不測の事故によって善意が後悔にならないように、安全第一ということです。

 また、名古屋方面からのボランティアを運ぶためのバスをチャーターするなど、基金を生かしています。

 活動するために必要なお金を集めてから行動するのではなく、まず行動をし、行動する過程において必要なお金を集めているのですから、活動のスピードが違います。

 ボランティアの数は日をおって増加し、福井豪雨後の最初の週末には、学生が夏休みに入ったこともあって1万人近くまで膨れ上がっています。

ボランティア活動には経験

 本当に役に立つボランティア活動をするには経験が必要です。

 福井豪雨時のボランティア活動は、阪神淡路大震災、ナホトカ号油流出事故の経験があってのものです。

 災害発生時に何とか手助けしたいと現地にゆき、迷惑をかけているボランティアと称する人が少なくありません。

 災害発生時に何とか手助けしたいと思うなら、まず、活動実績のあるボランティア団体のもとで経験を積むことが必要ではないでしょうか。

図1の出典:日々の天気図(気象庁提供)、デジタル台風、国立情報学研究所。

図2の出典:饒村曜(平成12年(2000年))、入門ビジュアルサイエンス 気象のしくみ、日本実業出版社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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