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花粉症やPM2.5が世間で話題になり始めたのは何年前から?

饒村曜気象予報士
杉花粉(ペイレスイメージズ/アフロ)

 先週の週間天気予報では、2月20日(火)に低気圧が本州の南岸を通過し、関東地方では雪という予報でしたが、低気圧が本州より離れて通過するため、雪どころか雨も降らない天気となりました。

図1 予想天気図(平成30年(2018年)2月21日9時の予想)
図1 予想天気図(平成30年(2018年)2月21日9時の予想)

 東日本から西日本は高気圧に覆われ、風が弱く、晴れて気温があがる見込みです(図1)。そして、21日(水)までは空気の乾燥により火の取り扱いに注意が必要です。

 春になって、このような天気になると、心配となるのが「花粉症」と「PM2.5」です。

昔は話題にならなかった「花粉症」

 立春を過ぎ、晴れて気温があがってくると現代風土病とも言われる「花粉症」の季節となります。今では、当たり前のように「花粉症」という言葉が使われていますが、「花粉症」と言われだしたのは、今から約30年前と、比較的新しい言葉です。

 「ヨミダス歴史館」で、読売新聞の記事を「花粉症」というキーワードで検索すると、年毎の「花粉症」の記事数は図2のようになります。

図2 読売新聞における年間の「花粉症」の記事数(「ヨミダス歴史館」による検索)
図2 読売新聞における年間の「花粉症」の記事数(「ヨミダス歴史館」による検索)

 地域版の扱い等のデータベースの作り方については分からないので、詳細な分析はできませんが、最初に出てきたのが昭和33年(1958年)9月16日の朝刊で、「アメリカでは、乾草熱の流行する季節には、アメリカ合衆国の上空には約100万トンの「サワギク」の花粉が浮遊している」という内容です。ここで、乾草熱は「花粉症」のことです。

 また、昭和41年(1966年)5月6日の夕刊では、「風媒花のいたずら 日本人もかかる花粉症」という見出しで、日本でも花粉症が発生しているという内容の記事があります。

 つまり、昭和40年代前半(1960年代)までは、一年間に1~2件で、外国で発生している花粉症についての紹介か、日本でも花粉症が出始めたという記事で、社会の関心事ではありませんでした。

 公害が社会問題となってきた昭和45年(1970年)、花粉症の被害も相次ぎ、記事の年間件数も8件と増えています。

ブタクサ公害スピード追放

区ぐるみで作戦 杉並

条例を制定へ 三鷹市

公有地すぐ除草 練馬

ブタクサ公害を追放しよう 練馬、杉並、世田谷、武蔵野地区など都周辺の空閑地に密生するブタクサの花粉によるアレルギー性の鼻炎、ぜんそく症状などの被害が相次いでいるが、三鷹市議会は十一日、さっそく雑草の除去を地主に義務づける「草刈条例」を作り、十六日から開かれる定例市議会で審議することを決めた。

出典:1970年9月2日 読売新聞朝刊

 当時は、今のように「スギ花粉」に絞った記事ではなく、ブタグサ、マツ、ネコヤナギ、ハンノキ、ニレ、ケヤキなど、いろいろな草木の花粉が疑われていましたが、それでも、「花粉症」の記事は年間1桁でした。

 平成に入ると、「花粉症」に悩む人が増えたせいか、年間40~50件の記事となり、その後、100件を超えるようになります。

 つまり、現代風土病とも言われる花粉症が言われだしたのは平成に入ってから、つまり今から約30年前からということもできるでしょう。

 平成17年(2005年)には記事の件数が373件と急増しています。これは、民間天気予報会社等が花粉の飛散に関する情報を細かく発表するようになったり、医療従事者が花粉症についての対処法などを提供するようになったことが背景にあります。加えて、前年の夏以降の気温の高い状態がスギ花粉の生育に大きく寄与し、スギ花粉の飛散量が各地で平年の約2倍で、過去10年では最多になると予想されたからと思います。

 大気中のスギ花粉とヒノキ花粉のデータを分析しているNPO法人・花粉情報協会によると、30年間でスギ花粉の量は1.4~2.7倍、ヒノキ花粉は1.8~4.1倍に増加しています。これは戦後すぐに植林されたスギやヒノキが、花粉を盛んに飛ばしはじめる時期(約30年)を迎えたための増加と考えられています。平成に入り、林野庁は花粉がほとんどでないスギの開発・植林を勧めているものの、まだ植林全体の1割程度に過ぎません。

 花粉の増加に呼応するように花粉症患者は増え、平成10年(1998年)に5人に1人だった患者数は、平成20年(2008年)になると3人に1人まで急増しています。

5年前から言われだしたPM2.5

 私たちの目には見えませんが、大気中には数多くの塵が浮遊しています。その塵には、自然を起源とするものと、人の活動を起源とするものとがあります。大気中にある塵の約10%は、人間活動によって生じたものと考えられています。そうした人為起源の塵の中でも、近年話題となっているのが、「PM2.5」です。

 PM2.5とは、大気中に漂う粒子のうち、粒の大きさが2.5マイクロメーター(1マイクロメーターは1ミリの千分の1)以下の小さなものをいい、髪の毛(50~100マイクロメーター)や、スギ花粉(30~40マイクロメーター)よりもはるかに小さいものをさします。

 「PM2.5」は、大きさが2.5マイクロメートル以下というだけで、一定していませんが、多くは人為起源のものです。

 PM2.5が問題なのは、まさに2.5マイクロメートル以下というサイズそのものです。

 ヒトが大気中の塵を吸い込んだとき、その大きさが2.5マイクロメーター以上の粒子は鼻腔・咽喉までしか届きませんが、2.1~4.7マイクロメーターの粒子は肺胞まで届きます(図3)。肺胞に届いた微粒子は体外に排出されにくいため、ぜんそくや心臓疾患などを発症させることがあり、死亡リスクを高めます。

図3 大気中の粒子の人体の体内への取り込み
図3 大気中の粒子の人体の体内への取り込み

 「PM2.5」の観測が始まったのは、平成になってからですが、日本で「PM2.5」が一般の人たちに注目されはじめたのは、5年ほど前の、平成25年(2013年)1月~2月に、中国の影響を受けて日本のPM2.5濃度が上昇し、基準値を上回ったときが初めてでしょう。

 このときは確かに大陸からの越境大気汚染の影響があったものと考えられますが、「PM2.5」そのものは以前から日本で発生しており、基準値を上回る数値を出している地域がありました。

 ただ、今後は、中国の経済発展とともに増えてきた中国起源の「PM2.5」が、日本へ飛来する可能性が高くなると懸念されています。

 

PM2.5とスギ花粉の相乗問題

 PM2. 5に関しては、人為起源の物質であるため、人体に有害な物資が含まれていることが多いという問題以外に、他の物質との相乗問題があります。

 そのひとつが「スギ花粉」との相乗問題です。

 スギ花粉の大きさは約20マイクロメートル程度ですので、花粉が増えたからといって、「PM2.5」が増えるわけではありません。しかし、「PM2.5」が花粉と一緒に人の体の中に入ると、アレルギー症状を生む抗体ができやすくなるということが指摘されています。

 このため、スギ花粉が引き起こした花粉症状を、「PM2.5」がさらに重症化させる場合があると言われています。

 また、花粉とPM2.5が衝突すると、花粉が砕けて「PM2.5」が増えるという指摘もあります。

 「花粉症」に悩まされている人は、花粉情報だけでなく、「PM2.5」の飛散状況にも注意を払わなければならない時代になりつつあります。花粉情報も、PM2.5情報も、元になっているのは気象の予測ですので、両者の精度向上のためには、気象の予測精度向上が不可欠です。

図1の出典:気象庁ホームページ。

図2の出典:「ヨミダス歴史館」を使った検索結果をもとに著者作成。

図3の出典:饒村曜(平成25年(2013年))、PM2.5と大気汚染がわかる本、オーム社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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