阪神淡路大震災 難しい情報伝達

震災と火災で被害を受けた町(ペイレスイメージズ/アフロ)

 平成7年(1995年)1月17日5時46分に兵庫南部地震(阪神・淡路大震災)が発生しましたが、当時、私は神戸海洋気象台(現在の神戸地方気象台)の予報課長をしていました。神戸海洋気象台にはただちに非常対策本部が設置され、あらかじめ決められているとおり、予報課長が副本部長につき、気象や地震など対するマスコミ対応を行いました

 神戸海洋気象台は、兵庫県南部地震で建物の一部に被害が出たものの、気象や地震の観測や天気予報、注警報の発表などの業務を、全て通常通りに行うことができましたが、そのとき、幾度ともなく情報伝達の難しさを目の当たりにしました。

淡路島の地震だから洲本に問い合わせ「大したことがない地震」

 報道の与えるイメージが、さまざまな波紋を広げます。

 地震発生直後に報道機関はできるだけ早くニュースを集め、一刻も早くそれを伝えます。報道の使命であり、当然の行動ですが、落とし穴もあります。というのは、深刻な情報は集まりにくいからです。よく言われる情報のドーナッツ現象です。

 棚の上のものが落ちてきたというニュースは早く集まりますが、潰れた家の下で多くの人が死の危険にさらされているという深刻な情報は、なかなか外に伝わらない。というより、すばやく伝える手段や伝える人がいません。

 被災地周辺の軽微な情報というのは、あとから見れば軽微であっても、当事者にとっては、大きな情報の感じがしています。他にもっと深刻な情報があるとは思わずに、どんどん情報を発することになり、災害の中心部からの細々とした深刻な情報を蹴飛ばしていることになります。

 兵庫県南部地震が発生したとき、気象庁がすばやく震源地を淡路島北部としたため、当時、淡路島唯一の市であった洲本市に取材が集中し、洲本市の情報が地震被害に関する情報として最初に流されています。

 東京の知人が「洲本市の被害が大したことがないといっていたので安心して出勤した。」と言っていたと言っていましたが、誰も嘘を言ったわけではありませんが間違ったイメージを与えた報道でした。

 淡路島は大きく、南部にある洲本市では震度が6といっても5に近い6ということもあり、被害は軽微でした。しかし、取材ができなかった淡路島北部や阪神間では、けた違いに大きな被害が発生していました。

 神戸海洋気象台の震度6という情報は、NTTの回線障害によって大阪管区気象台や気象庁には伝えられませんでした。しかし、NHK神戸放送局では、神戸海洋気象台に電話連絡をし、5時50分からのNHK大阪放送局からの臨時放送では「神戸は震度6」と繰り返し報道しています。しかし、NHKは6時00分から全国放送となり、最初は「神戸震度6」を放送したものの、気象庁からの確認が取れないとして「誤報です」と取り消しています。

 不確実な情報や裏付けのない情報をどんどん流すことはできないと思いますが、「被害が大きいと思われる神戸からの情報が入っていません」とか、「未確認情報ですが神戸で震度6という情報があります」とかの工夫が必要だったと思います。

 兵庫県南部地震では、「神戸震度6」が、しばらく報道されなかったことから、多くの人は、神戸で大地震が発生しているという認識がありませんでした。

 このことが、阪神淡路大震災の初動体制が遅れた遠因の一つになったと言われています。

なかなか把握できない全貌

 神戸の被災地の真中にいたことになりますが、神戸海洋気象台周辺の被害がそれほど大きくなかったこともあり、当初、正直言って、これほどの被害になるとは思えませんでした。

 ただ、報道のたびに死者数が増えてゆくのが不気味でした(図)。

 図 テレビ、新聞等で報じられた死者・行方不明者数の推移
図 テレビ、新聞等で報じられた死者・行方不明者数の推移

 1月18日夜に、今回の地震被害による死者・行方不明者は3000人以上となりましたが、そこで止まる気配はありませんでした。どこまでゆくのか、知人は大丈夫かという不安感がどんどん広がりました。地元に知人の多い人ほど深刻になってゆきました。

 被災者側も、正しく情報が伝えられない面があります。

 例えば、「地震直後に遠くの知人から聞かれた時に、こちらはたいした被害がないと言ったが、あとで冷静に考えると、周辺で家が壊れて死者がでているのに比べると、家が傾いているだけだからたいした被害がないと言っただけで、普段であれば大きな被害だった。」という話を聞きました。

 被災者側の発信する情報と、その情報を受ける側の間には大きな認識の差があり、最初は差があることにも気がつかないと思います。

古くなる情報

 情報は生き物でどんどん古くなります。例えば、神戸と大阪間でバス開通といった情報が流れると多くの人が殺到し、やっと乗れても、交通マヒにまきこまれて、たどりつくことができないという状況がおきています。

 つまり、正確な交通情報は発表したとたんに正確ではなくなってしまうことが度々ありました。車での移動では、交通情報の入手につとめ、それを鵜呑みにはせずに、予定をはるかに超えた時間がかかってもいいように、在庫の飲み水と食べられるものを集めて車に積み込んだ生活になりました。

 さらに言うと、被災地が広く、被害の程度も、その復興も、一言で表現できないために、全く逆の、どちらも正しい情報が流れることがあります。兵庫県南部地震の被災地に善意の救援の輪が広がり、義援金や救援物資が次々に送られてきました。

 「個人的に不特定多数の人に送られる場合は、現金で」という意見が多かったと聞きますが、物不足から物資が欲しいという場合も少なくありません。逆ではあるが、どちらも正しい情報でした。

 相撲協会が被災地へ初場所優勝の横綱・貴乃花の優勝の副賞を送ろうか、それともそれを現金にして送ろうかと情報を集めれば集めるほど困ってしまったという報道もありました。

良かった報道

 阪神淡路大震災では、各報道機関は、全国から空前の動員をかけています。  

 地震発生直後から、各報道機関は競争で、役にたつ情報は何かということを探りながら報道を続けています。私が取材を受けた記者に逆取材すると、全国から応援として集まってきた記者が多数おり、劣悪な環境の中で、不慣れな場所、不慣れな分野で取材を続けていることを知りました。

 その中で、書き尽くせないほど良かったと感じた報道がありましたが、それを私なりにまとめると、次のようになります。

良かったと思えた阪神淡路大震災の報道

1 「何が出来ていない」と言わないで、「何が出来ている」ということを積み重ねている報道。誰かが考えた工夫によって出来たことは、他の人が行っても出来ます。

2 ああいう手助けで助かる人がいるなら、私も行いたいと感じさせる報道。ボランティアが多数誕生した背景には、報道の威力も大きかったと思います。

3 誰(被災者自身か、それとも被災者を救援しようとする人かなど)を対象としているのかをはっきりさせている報道。どれも大切な情報ですが、誰を対象にしているかによって重要度が変わります。

4 情報が刻一刻と変わることを意識して、どこの場所で、いつの時点の情報かを詳しく述べている報道。

5 黙々と大切なことを行っている人や組織に光をあてている報道。「たいへん」とか 「すごい」という言葉を使わず、事実のみを伝えようとする報道。

 報道関係では一回だけ抗議をしたことがあります。あるラジオ局がいきなり気象台に電話をかけてきて、「こんな時だから失礼と思ったが、この電話をそのまま放送する。」として、いきなり放送をした時です。

 この時は、たまたまべテランの予報官で、そつなく対応してくれましたが、電話が終るやいなや相手局へ電話しました。「こんな時だから、いきなり聞かれて即答できなかったら聴取者の不安をあおってしまう。直前でもいいからコンタクトをしてくれ。いくらでも協力する。」

 しかし、それ以外は困難な中で、よく報道を続けているとプロ意識に感心していました。

図の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。