気象を観測する場所を「露場」という理由
露場の「露」という言葉
明治時代の中頃から、屋外で気象観測を行う場所のことを露場(ろじょう)と言っていました(タイトル画像)。
降水量、気温、湿度の観測においては、自然風を妨げない柵などで仕切りを作って不慮の障害をさけ、芝を植生して日射の照り返しや雨滴の跳ね返りを少なくすることが一般的です。このようにした場所が露場です。
「露」という言葉は、大気現象でいう空気中の水蒸気が凝結してできたもののほかに、「露店商」と使われるように屋外という意味と、「悪事が露見する」というように物事が現れてくるという意味があります。
明治時代になり、国の事業として行われた気象業務が軌道に乗ったとき、「新しいことを発見しよう」という強い思いがあったのではないかと思われます。
露場の面積
露場の面積は広いほど望ましく、気象庁のアメダス観測所の露場では、70平方メートル以上の面積をとっています。
そして、気象台の露場は、もっと正確な観測を行うために600平方メートル以上の面積が望ましいとしています(気象庁の「地上気象観測指針」より)。ただ、気象台の露場の中には、600平方メートルの面積がとれず、これより狭いこともあります。
例えば、岡山地方気象台の露場は、昭和57年(1982年)10月1日から平成27年(2015年)3月4日まで、岡山市の中心部の合同庁舎脇の70平方メートルよりは大きいものの、600平方メートルには遠く及ばない狭い場所でした(詳細不詳)。昭和57年(1982年)10月1日に岡山地方気象台が合同庁舎に入居したためです。
その後、遠隔で気象観測をする技術が発達し、岡山地方気象台は合同庁舎に入居したまま、露場だけ2.85キロメートル離れた岡山大学の敷地内に移転したことで、広い露場を確保できたのです。
ただ、岡山市の中心部に露場があった33年間は、その前後に比べ、熱帯夜の日数が増え、冬日の日数が減っているという調査もあります。露場の面積だけが影響しているわけではありませんが、露場の観測環境の変化は、気候変動を考える上で、重要な観点です。ここを省くと、気候変動を正しく考えることができません。
気象台の「台」という言葉にも意味が
明治8年(1875年)6月1日に内務省地理局に通称「東京気象台」と呼ばれる、気象係(現在の気象庁)ができました。
ここで、「台」というのは、組織の名前としては、それまであまり使われていない言葉です。
「台」には、「天子がこの上に登って世の中の様子を見る」という意味もあります。この場所から気象(自然現象)の様子を見るんだという意思を感じる言葉です。
「露場」といい、「気象台」といい、明治時代の人が持っていた漢字の力量を感じます。