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天災は「忘れた頃」どころか「爪痕が残っているうち」にやって来る

饒村曜気象予報士
予想天気図(平成29年12月31日21時の予想、気象庁ホームページより)

伝説の警告

 伝説の警告「天災は忘れた頃にやって来る」を言い出したといわれる物理学者で随筆家の寺田寅彦は、昭和10年(1935年)12月31日に亡くなっています。

 明治11年(1878年)11月28日、寅年の寅の日に生まれたので寅彦と名付けられた57歳の生涯でした。

 寺田寅彦は、「天災の敵を四面に控えた日本は科学的国防軍が必要」としています。

 大晦日は寅彦忌、あるいは、ペンネームの吉村冬彦から冬彦忌です。

 しかし、「天災は忘れた頃にやって来る」どころか、天災の爪痕が残っている一週間後にやって来ました。

平成30年(2018年)の正月

 大晦日は、日本海と本州の南岸を共に前線を伴った低気圧が東進するため、全国的に雨や雪が降りますが、暖気の北上は、本州の南岸の低気圧のところまで、寒気の南下は日本海の低気圧のところまで、いったんとどまります(タイトル画像)。

 しかし、二つの低気圧が日本列島を通過直後から合体し、南からの暖気と北からの寒気が直接ぶつかるようになると、低気圧は急速に発達して爆弾低気圧になります。

 平成30年(2018年)の正月は、爆弾低気圧後の寒波による大雪が残っているのに、次の強い寒波が南下し、北日本と北陸を中心に大荒れの正月となりそうです。

 1週間ほど前の爆弾低気圧とクリスマス寒波の再来です。

 しかも、1週間前の大雪が残り、その後の気温上昇などで、表面がすこし氷状態になつたところでの再来です。新雪雪崩の危険性が高いので、十分な警戒が必要です。

 年末年始で多くの人が休んでいますが、防衛省や消防庁、気象庁や海上保安庁、地方自治体などの防災担当者は休みなく活動しています。

 年末年始も休みなく備えている人々、寺田寅彦のいう「科学的国防軍」によって、私たちは災害から守られているのです。

災害が相次いだ昭和9年

 寺田寅彦が科学的国防軍を提案した昭和9年(1934年)は、災害が相次いでいます。

 3月21日には北海道函館市で大火が発生しています。発達中の低気圧による強風で函館市の人口の約半分の10万人が被災し、2166名が亡くなっています。

 7月10~11日の北陸地方は、活発な梅雨前線による大雨と、前年度の豪雪で山に残っていた雪が解けたことが重なって大規模な洪水が発生し、石川県だけで100名以上が亡くなっています。

 9月21日に高知県室戸岬付近に、台風が上陸し、大阪湾に高潮が発生するなど、京阪神地方に甚大な被害をもたらし、3036名が亡くなっています。このため、この台風は、室戸台風と呼ばれています。

伝説の警告は著作物として書かれたものではない

 「天災は忘れた頃にやって来る」は、寺田寅彦の言葉とされていますが、著書の中にはその文言はありません。

 しかし、これに相当する発言が色々と残されています。

 例えば、災害が相次いだ昭和9年の11月に書いた「天災と国防」には、防災対策が進まない原因は、希にしか起こらないので、人間が忘れたころに次の災害がおきるという意味のことを書いています。

 その「天災と国防」には、防災のための具体的な施策として科学的国防軍創設の提案があります。

日本のような特殊な天災の敵を四面に控えた国では、陸軍、海軍のほかにもう一つ、科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然である。

出典:天災と国防、経済往来(昭和9年11月)

 当時、日本は世界有数の軍隊を持っていましたが、防災のためには陸軍、海軍に加え、科学的国防軍を作れという提案です。現在の陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊ように、空軍が独立していない時代の話しです。

 軍隊のような組織を作り、日々防災のための研究を続け、災害出動の訓練を行って災害に備えるという考え方は、現在の防衛省や消防庁などの役割に引き継がれています。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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