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物理法則に従ってクリスマス寒波の南下 キリスト禁教中に祝ったクリスマスの日 

饒村曜気象予報士
クリスマスツリー(著者撮影)

北日本を中心とした寒波

 クリスマスの12月25日(月)は、日本海を北東に進む低気圧と、本州の南岸から三陸沖を北東のち北に進む低気圧がともに急速に発達する見込みです(図1)。

 二つ玉低気圧と呼ばれる気圧配置で、クリスマス寒波の襲来です。

図1 地上天気図(平成29年12月24日21時)
図1 地上天気図(平成29年12月24日21時)

 二つ玉低気圧の場合、北からの寒気の南下は、日本海の低気圧のところまでです。

 東日本から西日本の太平洋側では、本州の南岸を進む低気圧に向かって暖気が入りますので、クリスマスの日までは、それほど冷えません。

 しかし、日本海の低気圧と本州南岸を進む低気圧がオホーツク海南部で一つにまとまって、さらに発達すると寒気が一気に南下して東日本から西日本の太平洋側でも寒くなる見込みです(図2)。

図2 予想天気図(平成29年12月25日21時の予想)
図2 予想天気図(平成29年12月25日21時の予想)

 北日本の上空5000メートルに、氷点下36度以下の強い寒気が流れ込みますので、西高東低の冬型の気圧配置が強まり、その状態は28日(木)頃まで続く見込みです。

 北日本と北陸地方では雪を伴った非常に強い風が吹き、海は大しけとなる見込みで、気象庁は「暴風雪や高波に警戒し、大雪やなだれに注意してください」と呼びかけています。

 クリスマス寒波および、その後の寒波は、一週間前から大気の様子を物理法則に従って数値計算することで予測できました。

物理法則に従って数値計算

 大気は、万有引力の法則など、様々な物理法則に従って変化しています。

 このため、様々な物理法則に従っておきる変化を逐次計算することで、将来の大気の様子が予測できます。スーパーコンピュータの登場で実用化した、数値予報と呼ばれる方法です。

 多くの人々によって、様々な物理法則が発見されてきましたが、その代表は、万有引力の法則をみつけたイギリスのアイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton)です。

 教学者で物理学者、天文学者として数々の業績を残したアイザック・ニュートンの名前は、力の単位ニュートン(N)の名の由来にもなっています。圧力の単位はパスカル(P)ですが、これは、1平方メートルに1ニュートンの力が作用するときの圧力です。

 天気予報で用いる気圧の単位は、ヘクトパスカルですが、使いやすさのため、パスカルを100倍(ヘクト倍)したものです。

 明治12年(1879年)に東京帝国大学(現在の東京大学)がアメリカのオハイオ州立大学から招いた物理学教授トマス・メンデンホール(Thomas Corwin Mendenhall)を囲んで、ニュートンの生誕を祝い、ニュートン祭を開催しています。

東京大学のニュートン祭

 日本が開国し、明治新政府ができてもキリスト教は禁教のままで、弾圧対象でした。しかし、このことは諸外国の強い反発をうみ、キリスト教の解禁が条約改正の条件とされたことから、明治6年(1873年)2月24日の太政官布告第68号でキリシタン禁制が解かれました。

 しかし、明治12年(1879年)当時、ほとんどの日本人の意識は、キリスト教(耶蘇教)は禁止されてる宗教でしたので、キリスト教の重要行事であるクリスマスを祝うことはできませんでした。現在のように、宗教を越えた年末の国民行事ではなかったのです。

 物理学教授メンデルホールのクリスマスを一緒に祝おうという提案に対し、学生は耶蘇教信者でないということから、物理学に多大な貢献をしたニュートンの生誕を祝うということで、一緒に祝いました。

 ニュートンの生誕は、日本では江戸時代初期、島原の乱があった年で、ユリウス暦では1642 年12 月25 日(寛永19年11月25日)です。ただ、現在用いられているグレゴリオ暦では1643 年1月4 日(寛永19年11月25日)となります。

 当時の学生は、25日の祝いを合法的に行うため、あえてユリウス暦でニュートンの誕生日を考えたと思われます。

 ニュートンが生まれた時代、ヨーロッパの多くの国では、織田信長が本能寺の変で死亡した1582年(天正10年)から使われているグレゴリオ暦を採用していました。紀元前45年から使われていたユリウス暦では、実際の太陽の位置との差が大きくなったのでグレゴリオ暦に変わったのですが、文化が遅れていたイギリスでは、昔からのユリウス暦が使われていました。東京帝国大学の学生がユリウス暦を使ったことに、根拠がないわけではありません。

 ちなみに、イギリスがグレゴリオ暦に移行したのは、ニュートン誕生の約90年後、江戸時代中期の1752年(宝歴2年)になってからです。

 トマス・メンデンホールは、3年で出身のオハイオ州立大学教授として戻りますが、その間、富士山頂で重力測定をしたり、天文や気象の観測を行って、日本の地球物理学の基礎を作っています。

 そして、ニュートン祭は、トマス・メンデンホールが帰国したあとも、東京帝国大学理学部で継続して開催されています。

図1、図2の出典:気象庁ホームページ。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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