集中豪雨 昭和28年の南山城水害と平成11年の玄倉川水難事故

夕方の集中豪雨の暗雲(ペイレスイメージズ/アフロ)

集中豪雨という言葉

 大雨警報の基準を超えるような大雨が、狭い範囲に降ることを集中豪雨と言います。

 この集中豪雨という言葉が最初に使われたのは、昭和28年(1953年)8月14日の南山城水害を報じた朝日新聞と言われています。

 この南山城水害では、近畿地方に停滞していた前線に向かって日本の南海上をゆっくり北西進していた台風7号(NINA)から暖湿気流が流れ込み、京都南部の三重県県境を中心に猛烈な雨が降ったことで発生しました(図1)。木津川などが決壊し、死者・行方不明430名、浸水被害2万5千棟などという大きな被害でした。

図1 地上天気図(昭和28年8月14日21時、「デジタル台風」より) 
図1 地上天気図(昭和28年8月14日21時、「デジタル台風」より) 

この年の近畿地方は、梅雨前線が活発で、南山城水害の約1ヶ月前の7月16日から24日にかけて南近畿水害 (南紀豪雨)と呼ばれる豪雨で、死者・行方不明者1124名、浸水被害8万6千棟などの被害が発生しており、ダブルパンチの被害でした。

 当時の大阪管区気象台長・大谷東平は、「南山城豪雨は、雷を伴う局地的な豪雨であったため、新聞記者諸公によって集中豪雨という名前をもらい、以来この言葉が一般的に使わ

れるようになった」と述べています。

集中豪南木津川の上流に

寒冷前線は激しい雷と豪雨を伴って京都、志賀、奈良府県境にあたる木津川上流に集中豪雨を降らせ…

出典:昭和28年8月14日の朝日新聞

 集中豪雨という言葉が比較的新しいのは、都市化とともに昔なら人が住まない崖下とか低地に住むようになつたため、崖崩れや小規模な洪水被害が増えたことと関係があります。

 また、広い範囲の大雨による大河川の洪水被害は、防災対策が進んできたために減ったために、集中豪雨による災害が強く意識されるようになったことと大きく関係しています。

玄倉川を襲った集中豪雨と水難事故

 平成11年(1999年)8月13日に紀伊半島の南海上に発生した「弱い熱帯低気圧」は、動きが遅かったために東北地方から九州地方のところどころで集中豪雨を起こしています。特に「弱い熱帯低気圧」が上陸した関東地方では、総雨量が300ミリから400ミリに達しています。

 このとき、神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川では、8月14日に増水した中洲でキャンプをしていた13 人が取り残されています。その模様はテレビ中継されており、次第に水位があがって避難しようとする人々が流され、全員が死亡するという一部始終の衝撃の映像は、遺族感情を考慮して、すぐにお蔵入りとなっています。

 被害者側の無謀な野営や幾度も行われた退去勧告の無視が事故の原因とされていますが、気象庁が「弱い熱帯低気圧」というと、「弱い」という言葉で安心感をあたえてしまうなどの批判もでています。

台風情報から安心感を与えそうな言葉を削除

 玄倉川水難事故当時、気象庁は熱帯で発生した低気圧を、最大風速によって「台風」と「弱い熱帯低気圧」に分けていました。

 「弱い熱帯低気圧あるのに強い熱帯低気圧がない」ということが時々言われていましたが、これは、昔、熱帯で発生した低気圧を、最大風速によって「台風」、「強い熱帯性低気圧」、「弱い熱帯性低気圧」の3種類に分けていた名残です。

 昭和28年に、「強い熱帯性低気圧」を「台風」に含めるという、現在の定義になったとき、「弱い熱帯性低気圧」の「性」の字を省き、「弱い熱帯低気圧」になったのですが、この事実を知らない人がほとんどになっていました。

 このため、気象庁では、玄倉川水難事故の翌年、平成12年6月1日から、「弱い熱帯低気圧」を「熱帯低気圧」に改めています。

 また、同時に、台風の大きさ表現では「大型」「超大型」の時のみ台風情報等で表現をし、「ごく小さい」「小型」「中型」の時は台風情報等で表現しないとしています。

 さらに、台風の強さの表現では「強い」「非常に強い」「猛烈な」の時のみ台風情報等で表現をし、「弱い」「並みの強さ」の時には、台風情報等で表現しないとしています。

この時から、台風情報から安心感を与えそうな言葉を削除したのです。

 情報を発表する側の思いと、情報を利用する側の受け取り方の違いを埋める言葉については、絶えず見直しが必要と思いますが、このときから、防災情報に過激な言葉が使われだすという、言葉のインフレが始まったのではないかと思います。