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放送記念日 92年前のラジオ放送開始時から天気予報の番組

饒村曜気象予報士
古いラジオ(ペイレスイメージズ/アフロ)

3月22日は放送記念日、92年前の大正14年(1925年)に東京放送局(現在のNHK)が日本で初めてのラジオ放送を開始した日です。

東京・芝浦の東京高等工業学校に仮スタジオを設け、午前9時30分、京田武男アナウンサーの「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始します」という第一声が放送されました。

予定通りなら3月1日に放送開始

同時期、大阪放送局(現在のNHK)もラジオ放送開始を計画し、日本で1台しかなかった強力なラジオ電波発信機を早々と押さえています。このため、東京放送局では3月1日の放送開始日までには想定通りの出力の電波が出せませんでした。

東京放送局では、大阪放送局より先に日本初のラジオ放送を行いたいと、逓信省に掛け合い、3月1日から試験放送ということで放送を開始し、3月22日から仮放送を始めています(仮庁舎からの本放送)。

そして、7月12日には、東京港区の愛宕山(標高26メートルと23区内の最高峰)から本放送が始まりました。

日本放送協会では、太平洋戦争中の昭和18年に、東京で仮放送が始まった3月22日はラジオ放送が始まった日として、「放送記念日」としています。しかし、大阪放送局の放送開始は大正14年6月1日ですので、本放送で比較すれば大阪放送局のほうが先でした。

そして、7月15日には名古屋放送局もラジオ放送を開始するなど、各地でラジオ放送が始まりました。

放送時間割には天気予報

ラジオ放送が始まった大正14年の放送時間割(表)をみると、ほとんどが相場の放送ですが、天気予報もしっかり入っています。

表 ラジオの番組表(大正14年)
表 ラジオの番組表(大正14年)

どの局もラジオ放送開始時から、番組にニュース(新聞記事)とその地方の天気予報を入れていました。

それまで、天気予報は官報や新聞の一隅や、交番などの黒板といった比較的限られた方面で、しかも発表後、数時間あるいは半日くらいも遅れて知るという程度でしたので、なかなか国民生活には解けこみませんでした。

それが、ラジオの登場により、天気予報は発表後ただちに津々浦々にまで伝わることになり、天気予報が国民生活に密着するようになってゆきました。

図1 地上天気図(1925年3月22日6時)
図1 地上天気図(1925年3月22日6時)

ラジオ放送の開始日にどのような天気予報が放送されたのか不詳ですが、当日の地上天気図(図1)と当日の予報を、中央気象台が作成・即日配布していた印刷天気図の記載から考えると、次のようなものではないかと思います。

天気概況

770粍(1027ヘクトパスカル)ノ高気圧ガ本州ヲ覆ヒ、天気ハ一般ニ良イガ北海道ニハ網走沖ニ756粍(1008ヘクトパスカル)ノ低気圧ガアル為ニ所々雪ガ降ッテ居ル。上海ノ西ニ754粍(1005ヘクトパスカル)ノ低気圧ガアリ東北ニ進ンデ居ルカラ九州方面ハ今晩カラ、其他ハ明日雨トナルデアロウ。

東京予報

今晩ハ北ノ風 晴後曇

明二十三日ハ東寄リノ風 曇後雨

追記(3月22日17時)

ラジオ放送開始日の3月22日(日)は、放送開始が9時30分で、海軍々楽隊演のあと、後藤総裁挨拶、犬養逓信大臣祝辞、岩原局長経過報告がありました。このため、9時からの天気予報はなく、20時55分からの天気予報が最初のものでした。また、日曜で株取引等が行われていませんので、相場の放送は翌23日からです。

本格的な気象番組「気象通報」がスタート

本格的な気象番組である「気象通報」がスタートしたのは、ラジオの全国ネットが完成した昭和3年(1928年)11月5日からです。

この「気象通報」は、それまで各局別に行っていた「地方の天気予報」、「漁業気象」などに「全国天気概況」が加わったものです。

少しずつ形が変わってきているものの現在まで続いている超長寿番組です。

気象通報の効果は抜群で、中央気象台の大谷東平氏の昭和9年の調査である「海難による日本船の損傷率」に、如実に現われています(図2)。

図2 船舶の損傷率の変化
図2 船舶の損傷率の変化

船の行動半径が次第に増大するにつれ、海難で損傷する船の割合が増加していましたが、昭和4年から急激に減少しています。日本近海の海難が激減したのです

この原因は、古い船が減り新しい船が増えたといった船の質の向上や、乗組員の技術の向上などいろいろな要因に、気象通報の効果が重なったためと考えられています。

これは、ラジオ放送は、防災に果たす役割が非常に大きいことが最初に認識された顕著な事例です。

図2の出典:饒村曜(2015)、特別警報と自然災害がわかる本、オーム社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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