低温注意報の発表基準は、各地の状況で大きく異なり、夏季と冬季でも違う
最低気温の記録は115年前の氷点下41.0度
日本の最低気温の記録は115年前に北海道の旭川で観測した氷点下41.0度です。
明治35年(1902年)1月25日の旭川(当時は上川と呼ばれた)では、夜明け前には晴れて風が弱かったために地表からの赤外線放射がそのまま宇宙空間に放出されるという放射冷却がおきて地表面付近の温度がさがり、この冷たくなった空気が上川盆地にたまりました(図1)。
雲があると赤外線の放射が雲で吸収され、雲から地表への放射で熱の一部が戻されますので、地表付近はそれほど冷え込みません。また、水は比熱容量が大きいため、水蒸気が多いと放射冷却が起こりにくく、風が強い場合には、放射冷却が起こっても上空の暖かい空気との混合がおきて放射冷却が弱くなります。
この2日前の1月23日、青森歩兵第5連帯の210名が青森県・八甲田山での耐寒雪中行軍中に遭難し、凍死者が199名にも達するという事故がおきています。
このときの寒波は、北海道中部に著しく、かつ長く続いた寒さをもたらし、旭川の南に位置する十勝では、最低気温が旭川に続くー38.2度を観測しただけでなく、1月に最低気温がー20℃以下の日数が28日と、旭川の16日を上回っていました。
最低気温のランキング
最低気温のランキング(表1)をみると、昭和53年に北海道上川の母子里(北海道大学演習林)でー41.2度を観測したものを含め、ほとんどが北海道の上川盆地で放射冷却がおきたときに観測されたもので、しかも、ほとんどが昔の記録です。
これは、地球温暖化に加え、観測所周辺の都市化が進んで強い放射冷却が起きにくくなったためと考えられます。都市化によって人口熱が放出され、汚れた空気が雲の役割をするからです。
近年、最低気温のランキングに入るような低温がでなくなったといっても、低温による災害がなくなったわけではありません。
気象庁では、低温によって災害が発生するおそれがある場合には、「低温注意報」を発表しています。昭和63年(1988年)3月31日までは「異常低温注意報」という名称でした。
「異常低温」というほどではない低温でも災害が起きることなどを考慮したためです。
また、同時に、「雷雨注意報」も「雷注意報」に名称変更となっています。
低温注意報は夏季と冬季で考え方が違う
低音注意報は、低温により災害が発生するおそれがある場合に発表するといっても、夏季と冬季では考え方が違います。
夏季は低温のため農作物などに著しい被害が発生するときに発表となりますので、発表の目安は主として平均気温になります。
冬季は低温によって水道管凍結や破裂による著しい被害が発生するときに発表となりますので、発表の目安は主として最低気温になります。
表2は、全国の主な地方の低音注意報の発表基準ですが、ほとんどの地方で夏季と冬季の2種類の基準がありますが、暖かい地方では、冬季のみの基準で、夏季は発表しません。
気象庁のある東京・千代田区の低温注意報の基準は、異常低温注意報と称していた昭和57年から使われていますが、気象庁天気相談所の調べでは、昨年まで、夏季に4回、冬季に45回の発表となっています。
つまり、低温による被害は、冬季のほうが圧倒的に多く発生しています。
強い寒気が南下しており、現在、北海道から鹿児島県奄美大島まで、各地で低温注意報が発表中です(図2)。
ただ、低温注意報の発表基準は、地方により、季節により大きく異なっています。
低温注意報をより有効に利用するには、気象庁のホームページなどから、自分の住んでいる地方の発表基準確認は必要です。