天気予報は「あてにならない予言」と国語辞典に

国語辞典(写真:アフロ)

天気予報は、明治17年(1884年)6月1日より東京気象台(現在の気象庁)で全国の天気予報を発表したのが最初です。

全国をいくつかに分けた大雑把なもので、日本国内のまばらな地上観測データしかなく、精度は不十分でした。ただし、役場などで掲示される程度の利用で、国民生活には入って行かず、一般の人が使う国語辞典には掲載されませんでした。

天気予報精度の受け止め方

天気予報が始まった頃から、腐りかけたものを食べる時、「測候所 測候所 測候所」という人が出始めます。現在の地方気象台等を測候所と称していたからで、「当たらない」の意味です。

日露戦争の頃になると、中国などから観測データが入るようになり、少し精度が高くなります。

このため「測候所と言うのは良くない」と言う人も出始めます。

「たまに(弾に)当たるので良くない」という意味です。

ラジオの登場

日本でのラジオの本放送は、大正14年(1884年)3月22日に東京放送局、現在のNHKが東京芝浦から放送したのが最初ですが、初日から天気予報が番組に入っています。

そして、ラジオ放送をきっかけに、漢文調の硬い表現だった天気予報文が、口語調の柔らかい表現に変わっています。

天気予報はラジオによって変わり、国民生活に入ってきたのです。

昭和初期の国語辞典の説明

国語辞典に「天気予報」という言葉が掲載されるようになったのは、天気予報がラジオによって国民生活にはいってきた大正末期から昭和の始めです。

そして、その説明の仕方は時代とともに大きくかわっています。

昭和初期の国語辞典での「天気予報」は、地上での気象観測だけから予報を行うという説明です。

天気予報 各地ノ測候所ヨリ、同時刻ニ電報ニテ、其時ノ気圧、温度、天気の晴雨、風向、風力、雨量ナドヲ中央気象台ニ報ジ、気象台ニテハ、之ヲ総合シテ天気図ヲ作リ、翌日マデノ気象ヲ予メ報ズルコト。

出典:昭和8年の大言海(富山房)、大槻文彦著「言海」の改訂版

昭和50年頃までは、あてにならない予言

天気予報の説明は、地上の観測だけの説明から、高層の状態を観測して行うという説明が加わり、さらには、気象衛星やアメダス、コンピュータを用いて予報を行う話が加わってきます。

また、予報精度がまだ十分でなかった昭和50年以前に発行された辞典の「天気予報」の項には、普通の意味に加えて、「多く、あてにならぬ予告」とか、「天気予報ははずれやすいところから、あまりあてにならない予想や予言」と記されているものもあります。

天気予報と「weather forecast」はニュアンスが違う

「天気」という言葉を和英辞典で引くと、「Weather」という言葉になりますが、多少のニュアンスの違いがあります。

「Weather」は、天気という意味の他に、嵐という意味もあるからです。これに対し、天気には「今日も天気だ」という使い方でわかるように晴れという意味もあります。

つまり、「Weather Forecast」は、荒れるかどうかを中心とした予報、「天気予報」は晴れるかどうかを中心とした予報ということもできます。

雨が多い日本人は晴れを強く意識し、船で遠くにでかけた欧米人は嵐を強く意識して空をみあげたという国民性の違いと考える人もいます。 

要求が高くなって再び当たらない感

天気予報の精度が高くなり、国語辞典には「あてにならない予言」等の記述が無くなったのですが、近年、「天気予報が当たらない」と言うことをよく耳にします。

これは、生活水準の向上とともに天気予報に対する要求が天気予報の精度向上以上に高くなったためです。

「曇り時々雨」を利用していた時代から、「何時からどれくらいの量の雨が降るか」を要求される時代になり、予報官や気象予報士など、天気予報にたずさわる人たちのより一層の技術向上が求められています。

この要望にこたえてゆかないと、再び、辞書に「あてにならない予言」と書かれるかもしれません。