大伴家持の桜の歌からわかる奈良時代の気候と国守館跡の伏木測候所
桜の開花予想が日本気象協会、ウェザーニューズ、ウェザーマップなどの民間気象会社が桜の開花予想を行っています。早春は、民間気象会社どおしの競争の中で、桜の開花待ち状態になっています。
関東から西の太平洋側の地方では、どこが一番早く桜が咲くかということが話題になり、実際に一番早く咲いた場所は全国ニュースで取り上げられます。
桜の開花日の平均は、その時代、その場所における気候を反映
ある年の桜の開花日は、晩秋から早春の気温が高い場合は早く咲くという単純なものではありませんが、開花日の平均を取ると、その時代、その場所における気候を反映しています。
大雑把に言えば、暖かければ早く咲き、寒ければ遅く咲くからです。
日本人は昔から桜についての関心が高く、平安時代末期の歌人・西行のように「桜の花の下で死にたい」という心境に達する人もすくなくありません。それだけに、桜に関しては、「○月○日に花見をした」などの記述を含めて、沢山の記述が残されています。昔の桜と今の桜では木の種類が違うなど、考慮すべき点があるのですが、これは、昔の気候を推定できる貴重な資料の集まりにはかわりません。
大伴家持が詠んだ桜の歌
大伴家持は、桜に関する歌を数多く詠んでいますが、歌を詠んだとされる場所と時刻を、現在の場所と西暦に換算すると次のようになります。
1 山狭に 咲ける桜を ただひと目 君に見せてば 何をか思はむ
これは、越中の国守があった富山県高岡市付近では、747年4月12日に開花したことを推定できる歌です。
2 桜花 今さかりなり 難波の海 押照る宮に 聞しめすなべ
これは、大阪府の海岸部では755年4月3日に満開になったことを推定できる歌です。
3 龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなむ 我が帰るとに
これは、奈良市近郊の龍田山では755年4月7日に満開であったことを推定できる歌です。
当時の桜が今の桜と種類が違っていたり、思い出しながら歌ったために風景と歌った日が一致していないなど不確定の要素があります。また、推定そのものが正しいかどうかという問題もあります。
しかし、同時代の記録が多数残されていれば、統計処理で誤差を少なくでき、当時の気候を推定することができます。昔の気候を推定できる貴重な資料の集まりにはかわりません。
例えば、桜の花見が行なわれた日付けを丹念に集め、鎌倉時代から室町時代前期は、室町時代後期に比べて気温が低かったなどとした調査もあります。
越中国守の大伴家持が住んでいた場所に伏木測候所
万葉の歌人である大伴家持が越中国の国守として生活をした国守館跡に、大伴家持がここから詠んだとされる「朝床に聞けば 遥けし射水川 朝こぎしつつ 歌う船人」の碑があります。
ここで、射水川は現在の小矢部川のことです。
この国守館跡(図1)に伏木測候所が明治42年に移転しています。
伏木測候所は明治16年に伏木港の近代化を計画していた廻船問屋の藤井能三によって私費で設立され、明治20年に富山県立として再出発しています。設立当初は海岸に近い場所にありましたが、明治40年に激浪によって建物崩壊などの被害がでたたために移転したのです。
富山地方気象台より歴史が古い伏木測候所でしたが、平成10年には無人化され、特別地域気象観測所となっています(図2)。