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亡き父に会いに実家を訪ねた息子と孫が門前払い  コール元首相逝去後も続く家族の争い

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
オーガスハイム・コール宅前にて(筆者撮影)

6月16日、ドイツのヘルムート・コール元首相(87歳)が逝去された。あらためて心からお悔やみ申しあげたい。

16年間独首相として偉業を成し遂げた故コール氏側と2人の息子(長男ヴァルター氏53歳、次男ピーター氏51歳)との関係がさらに悪化し続けている。

コール元首相の偉業(東西ドイツ統一や欧州統合の中心人物だったことなど)やプロフィールについて、すでに各ニュースで報じられているのでここでは省くが、今もくすぶり続けるコール家の争いに焦点を当ててみたい。

筆者は3年前、ヴァルター氏にインタビューをする機会を得た。その取材の様子は、あるビジネスサイトで公開されている。

ヴァルター氏の2冊目の著書「Leben was du fuelst (大意・自分らしく生きる)」の朗読会で面談した時の印象は、とても気さくで温厚な方に見えた。ちなみにこの本は、どんな危機に直面しても揺るがない自己を確立する方法、乗り越え方を説いた一冊だ。

(画像は地元警察の許可を得て撮影)

門前払いされた息子と孫の弔問

ヴァルター氏は6月16日、、車で移動中にラジオニュースで父の死を知ったという。

急遽、オーガスハイムの実家に向かったヴァルター氏は、思いも寄らぬ場面に遭遇することになった。実家のあるマーバッハ通りで警官に行く手を阻まれたのだ。この警官は、「コール夫人の弁護士から、立ち入り禁止を言いつかっている」と語った。

自分の親の死去に子どもが弔問するだけと告げ、ヴァルター氏はそれでも実家に入った。およそ15分ほどで屋外に表れたヴァルターさんは、父親の亡骸に対面することが出来たと語った。

筆者の訪れた6月20日、コール宅前はひっそりとしていた。それに引き換え、周囲を警備する警官は少なくとも10人はいた。(筆者撮影)
筆者の訪れた6月20日、コール宅前はひっそりとしていた。それに引き換え、周囲を警備する警官は少なくとも10人はいた。(筆者撮影)

その後のインタビューでヴァルター氏は、「生前の父とは確かに意見の食い違いや争いもあったが、実父であることには変わりない。その父の亡骸に対面するだけなのに、なぜ阻止するのか理解できない」と非常にショックを受けている様子だった。 

「父の孫たちも、これまでなぜ祖父に会うことが許されないのかよくわからず苦しんでいた。その争いについてはここでは話したくないが、無念のひと言だ。これから近くにある母の墓参りをしたい」と言い残し、ヴァルター氏は去っていった。

その数日後、ヴァルター氏は自身の子ども二人と共に、オーガスハイムの実家を再訪した。だが、今回は全く実家に足を踏み入れることが出来ず、門前払いとなった。

終わりのない戦い

まず、父コール元首相と息子の関係に亀裂が入り始めたのは、首相の最初の妻ハネローレさんが自殺した2001年頃からだった。 

「母の死を知ったのは、父からではなく秘書からだった」とヴァルター氏。

さらに、現在の妻マイケ・コール・リヒターさんと再婚した2008年頃から父と息子たちの関係はますます悪化していった。息子たちは再婚について何も連絡を受けていなかったし、招待もされなかった。

コール元首相より34歳年下のマイケ夫人は、かって首相官邸に勤務し、首相のスピーチ原稿も手がけたという有能な女性だ。二人はボンの首相府時代から顔見知りだった。2005年、ベルリンで行われたコール氏75歳誕生日パーテイで二人は公の場に始めて一緒に登場した。

その後、コール元首相とマイケ夫人の周辺に変化が現れ始めたという。外部との距離を置き、繋がりを断っていった。まずは息子たち、ボン時代の仕事仲間、2008年には40年以上もドライバーとしてコール氏と行動を共にしたエッカード・ゼーバー氏(79歳)の解雇と続いた。

ヴァルター氏は、家族の葛藤を公開した1冊目(2011年)の著書「Leben oder gelebt werden(大意・生きるか、あるいは生かされるか)」 でこう明かしている。

「2008年、父が再婚してから、それまでとは比べ物にならないほど、親子断絶の壁が高く堅固となり、それ以後、父との関係は破綻していった」

そのゼーバー氏もオーガスハイムのコール宅へ弔問に駆けつけたが、門前払いをくらった1人だ。ゼーバー氏は訃報を聞いた翌日の6月17日、コール家に足を踏み入れたものの、亡き上司に対面することは拒否された。

元首相の葬儀はEU葬のみ

マイケ夫人との再婚に当たり、その立会人となったコール夫妻の親友カイ・ディークマン氏(6月27日・53歳になる・ビルド紙前編集長)は、コール元首相逝去以後、オーガスハイムのコール宅に詰めている。弁護士とデイークマン氏に見守られて、マイケ夫人のガードは硬い。

ちなみにフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)6月26日記事によると、デイークマン氏はコール元首相にとって息子のような存在だったと伝えている。

コール氏の遺体は今もってオーガスハイムに安置されている。通常、出棺は死去36時間以内にすることが決められている。

だが、今回は特例だ。7月1日シュトラスブルクのEU葬、そして同日夕方シュパイヤー大聖堂で開催されるミサに搬送されるまで、コール氏の亡骸はオーガスハイムに留まるそうだ。

このEU葬についても、話題が絶えない。国葬はせずEU葬のみ執り行われるが、国葬の拒否は、コール元首相とマイケ夫人の希望だと伝えられている。

コール元首相の容態が一時悪化した2015年、万が一の場合に備えて、シュパイヤーの墓地に埋葬する契約を交わしたという。(FAZ6月26日)

その一方で生前のコール氏をよく知るCDU(ドイツキリスト教民主同盟)のある前議員は「コール元首相が本当に国葬を希望していなかったとは考えられない」と、明かした。

国葬拒否の理由は、コール元首相が苦い経験をした政治的な背景も大きいが、ここでは触れない。

7月1日夕方シュパイヤー大聖堂でのミサが終わると、コール元首相の遺体はフリーゼンハイムにあるコール家の墓地(最初の妻ハネローレさんも埋葬されている)ではなく、同大聖堂の墓地に埋葬される。

ヴァルター氏は、このシュパイヤー大聖堂で行われるミサに参加しないことを表明した。

参考記事

Stern 6月22日号

Spiegel 6月22日特集

フランクフルター・アルゲマイネ紙ほか

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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