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ドイツ最低賃金導入から1年半、何が変わったのか?

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
雇用者にとって辛い最低賃金引き上げ。画像I-Vista/pixelio.de

ドイツの最低賃金法(時間給8.50ユーロ)が導入されてから1年半あまり過ぎた。独政府は「最低賃金法導入は良好な滑り出しをした」と成果を認め、2017年1月1日からさらなる引き上げ(8.84ユーロ)を決定した。

一方で、職を失った者や恩恵の浸透しない不平等、雇用者側の不満の声が大きくなり、格差の二極化が強まっている。

変わった点1・恩恵を受けたのは400万人

まず、同法導入から現在までどのような成果があったのか探ってみた。

これまで低賃金(時間給8.50ユーロ以下)だった該当者550万人を対象に2015年1月から2016年6月までの実績をまとめた独連邦統計局の推定は以下の通り。

該当者550万人のうち、賃金の上がった労働者は400万人。残り150万人は、長期失業者が再雇用されてから最初の6ヶ月間、職業訓練性や、インターンシップ期間が3ヶ月未満見習いなどで、最低賃金法適用の対象外だったため賃金上昇には至っていない。

400万人のうち、女性労働者は250万人だった。女性労働者の法導入前の時間給は平均7.21ユーロ。これに対して男性労働者の時間給は平均7.18ユーロ。

職種別にみると、飲食業と小売店で従事する労働者あわせて約100万人の賃上げが目立った。

全国で上昇した賃金総額は、毎月431万ユーロ(約5億円)に達した。

ちなみに全労働者でみると、10人に1人の所得が上がったという。旧東独では5人に1人だった。東側では110万人の労働者が最低賃金法導入の恩恵を受け、そのうち40万人はフルタイム勤務の(標準1日8時間)労働者だった。

変わった点2・生活保護受給者が5万人減少

独政府は、「最低賃金法導入後、生活保護(ハルツ4)の受給者が5万人減少した。この5万人はフルタイム勤務の労働者で、生活保護なしで必要最低限の収入を得ることが出来るようになった」とポジティブな結果を伝えた。

連邦労働相アンドエア・ナーレス労働相は、ターゲスシュピーゲルのインタビューで以下のように回答した。

「最低賃金法導入の成果はあった。雇用を削減したのではなく、現状の雇用環境の改善に繋がり、フルタイム勤務の労働者にメリットをもたらした。最低賃金導入は労動市場に有益なシステム」

また、ドイツ労動組合総同盟(DGB)役員(最低賃金委員会メンバーを兼ねる)ステファン・ケルツェル氏も労働相と同じ意見で、「最低賃金は、労働者の解雇には繋がらない」と、プラス方向に向かっていることを示唆した。

変わった(マイナス)点3・1年で17~18万人の失職者

最低賃金法の導入には、かってからドイツ商工会議所(DIHK)やキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)などの「同法を導入すれば、人員削減を余儀なくされる企業が増え、失業者も増加する」と反対の声が強かった。

昨年の記事でも一部触れたが、最低賃金導入による失職者は、ヴェルト紙では約24万人、市場経済専門家による研究では最悪57万人近くに上るだろうと予測していた。

ミュンヘンIfo経済研究所の前所長ハンスーウェルナー・ジン氏も、最低賃金制定2014年8月以前から同法導入には反対の立場をとっていた。

そのジン氏は昨年末こう解説した。

「最低賃金導入から1年で17~18万のミニジョブ労働者が失職した。長期的にみて、失職者は最大90万人まで上るだろう。

難民の職探しが急増する背景を考えて、ドイツ人も含めた労働者の最低賃金導入は、18歳以上の全労働者を対象とするのではなく、新社会人となってから数年後に適用するべきだ」

また、Ifo新所長クレメンス・フュースト氏は、「多くの難民を受け入れている中で、今後どのような見通しになるのか不明。最低賃金を引き上げるのは得策ではない」と、2017年からの引き上げに反対意見を述べている。

変わらない点1・失業率は6%で安定

事実、国内の失業率は、東西統一以来、6%ほどと最低記録を更新し続けていることから、ナーレス労働相の指摘通り、「最低賃金導入による雇用削減の懸念はない」ことが証明された。

失業者の急増もなく、経済も安定していることから最低賃金法導入は、それなりの評価はすべきであろう。 

一方で職を失ったミニジョブに従事していた労働者は、前述のように2015年だけで17~18万人と推定されている。そして、ひとつだけ気になる点は、最低賃金法導入で職を失った人の統計は公表されていないことだ。

変わらない/悪化した点2・労働現場の苦闘

こうしたなか、2015年より最低賃金を導入した雇用者から悲鳴の声があちこちで挙がっている。なかでも賃金値上げの痛手は旧東独の経営者を直撃しているようだ。

例えば、パン屋の4代目として東部ドイツで14店舗を経営するマイスターのBさん。

最低賃金法が導入された2015年以前、Bさんは計43名の従業員と共に手作りパンやケーキを生産販売していた。それまで全従業員の時間給は8.50ユーロ以下だったという。

「8.50ユーロに賃上げするには、人件費20%の増加に繋がった。解雇だけはしたくなかったため、従業員の勤務時間を短縮することで人件費を抑えた。50種類焼いていたケーキも25種類に減らした。個人的な理由で退職した人の穴埋めは見送った。これらの対処で20%の経費増加を5%に留めてなんとか乗り切った。  

商品の値上げもせざる終えなかった。ありがたいことに顧客から値上げの苦情はないものの、さらなる賃金引上げとなると非現実的だし、もう限界だ。手作りのパンを客に提供し、支店も増え、自分の職業を誇りに思っていた。

だが、商品の値上げが度重なると、客は安価なパンを求め、機械生産するディスカウントショップに流れてしまうことは目に見えている。最低賃金を引き上げる関係者は、現場の苦闘を全くわかっていない」

レストラン経営者のGさんはこう懸念する。

「最低賃金には反対しない。でも法として強制されるとなると話は別」とこぼす。

現状と今後の課題

最低賃金法は、ドイツ国内の18歳以上の全労働者に適用されるはずだが、いまだ例外的に時給8.50ユーロ以下の業界もある。

全国16州や業界によって賃金はまちまちだが、例えば農業・林業・園芸業(西側8ユーロ、東側7.90ユーロ)繊維・服飾業(東側8.25ユーロ)、新聞配達や季節労働者(7.23ユーロ)といった具合だ(2016年8月現在)。

これら労働者の賃金平等を図るためにも、上記の業界においては、遅くとも2017年1月1日までに最低でも時給8.50ユーロの導入が義務付けられた。 

さらに2018年1月1日からはこれまでの例外的な処置はすべて廃止され、最低賃金法に従った賃金を支払う義務がどの業界にも適用される。  

最低賃金法に従わない場合、雇用者は最大50万ユーロ(約5700万円)の罰金が課せられる。

現在、同法が比較的スムーズに適用されているのは西側だけで、東側では上手く軌道にのっていないという見方をする専門家もいる。

Ifo 経済研究所は最近の報告で、「今もって旧東独の経済が立ち遅れている。格差はしばらく続き、一朝一夕には解消しないだろう」と伝えた。

最低賃金法導入の成果が明確になるまでしばらく時間がかかりそうだ。  

参考

最低賃金委員会

関税局

Ifo 経済研究所、ほか

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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