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【羽生結弦4回転アクセルの扉】白井健三さんからのメッセージ(2) これは新技『ハニュウ・ジャンプ』

野口美恵スポーツライター
2019年GPファイナルの公式練習で4回転アクセルに挑戦(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

羽生結弦が挑む、史上初の4回転半。“回転の真実”に肉薄していく羽生選手の姿を、おなじ回転(ひねり)の第一人者である体操の白井健三さんが注目している。「新技」を作るという視点から、白井さんが4回転アクセルについて語る、第2回。

「新技のためには、手段を選ばずセオリーを捨てる」

4回転アクセルも、既存の技の延長ではない

――第1回では、白井さんが「ひねり=横回転」の視点から、4回転アクセルを考えてみました。第2回は「新技を作る」という視点で語っていただきたいと思います。

新技を作るというのは、体操では大きな課題となる部分です。技の難度が上がっていくと、「ここから先は普通の人じゃ無理」となる。「普通の人ってなに?」ということ。それを超えていけるかが大事なんです。「普通」の延長では成功しません。羽生選手にとっても、4回転アクセルという大きな壁がある。4回転ルッツまでは幼少期から積んできたことの上にあったとしても、4回転アクセルは違う土台を作るという作業になってくるのではないかな、と思って見ています。

――白井さんは、これまでに6つ「シライ」の名が付いた新技を成功させています。新技を作っていくというのは、どんな感覚でしたか?

例えば跳馬になりますが、リオデジャネイロ五輪で「3回半ひねり」を成功させました。やはりオリンピックですし、自分の限界となる最も難度の高い技を披露したかったんですね。従来あった技は、後方への3回ひねり(後方への縦回転+横の3回転)です。まず台に手を突いたら後方への縦回転をつけて、そのあとひねる(横回転)という意識で行います。跳馬としてはそれがセオリーなんです。でも、3回転半するには、それじゃ間に合わない。ひねり(横回転)を優先させないといけない。それで、セオリーを捨てました。

――伸身ユルチェンコ3回半ひねり、いわゆる「シライ2」ですね。セオリーを捨てたとは?

手を突いたと同時に、縦回転とひねり(横回転)を同時に入れたんです。ひねり(横回転)を同時に入れると、縦回転の力が弱くなってしまいます。その分は、脚を宙返り方向(後方)に回すことで補っていました。もちろん、精度を考えればセオリー通りが良いのは分かります。子供に基礎を教えるのであれば、まず縦回転をするんだよって教えます。でも3回転半は、基礎的なことを言っている暇がない。できるためには手段を選べない、人が邪道と言おうとも成功させないといけない、という信念がありました。そして成功させられれば、それが正しいということになるんですから。

――この「セオリーを捨てたアプローチ」というのは、第1回でお聞きした「4回半ひねり」と共通しますね。

羽生選手の4回転アクセルもやはり、新技です。間違い無く「ハニュウ・ジャンプ」と言えます。新しい技を作ってきた身からすると、この4回転アクセルというのは、いままでできていた技に少し足す、という考えだと、回転が間に合わない気がします。なので、体操と同じ考えが使えるかは分かりませんが、左肩を使って、踏み切りと同時に回転のモーションをかけはじめるやり方もあるかな、と。顔の位置も、4回転まではかなり右を意識していますが、4回転半だけは回転方向に先行させるほうが、回転が早くかかると思います。もちろんこれは体操の視点での意見ですが。

現役時代に6つ「シライ」の名がつく新技を決めた
現役時代に6つ「シライ」の名がつく新技を決めた写真:西村尚己/アフロスポーツ

「美しく総合力がある内村さん、ルールからはみ出たのが僕。

僕は羽生選手とは正反対で、美しい技はできなかった」

――新しい技に挑むというのは、新しい技術だけでなく、新しい概念を作る、大きな作業なのですね。

そうですね。4回転ルッツや4回転ループ、トリプルアクセルなどで「良い」とされてきたことを、成功者として保守的な気持ちもあるので、良いと思い込みたい部分もあると思います。でもこれまで良いとされてきたことが、果たして4回転アクセルにとって良いことなのかどうかは、誰も分かりませんよね。良いとされる4回転アクセルはどんな跳び方なのか、それすらも、羽生選手が新たに決めていいことだと思います。

――「良いジャンプ」という視点になると、4回転までの羽生選手のジャンプは、出来映え(GOE)で「+5」を狙える「良い」ものです。まさにお手本といえるジャンプを跳んできました。

そこは、競技として面白い部分だなと思います。体操では、ルールという枠からはみ出ずに美しい技と総合力で勝っていったのが内村航平さん。はみ出て勝っていったのが僕なんです。僕は、羽生選手とは正反対で、人と同じ技をやっても美しくできなくて、技の難しさで離していくしかなかった。だから難しい技に挑戦するという気持ちではなく、その技をやらないと自分が日本代表にいる意味がないと思っていました。審判が可能だと思っている範疇を超えていくことが、自分が選手として残るために必要でした。自分の技に名前がつくというのは、そういう世界だったんです。

――羽生選手は、内村さんのように総合的な強さ、美しさを兼ね備えた選手です。新技のために、セオリーから外れていくリスクもあるかも知れません。

羽生選手にとって今、「4回転アクセルを成功させた姿をみなさんに見せたい」というのがプログラムの中心にあるなら、4回転アクセルに関しては、今までと全く違う考えのジャンプ理論を確立していいと思います。ルールに沿って跳ぼうというのではなく、自分が初めて跳んで、そこからルールができるという考えです。教科書からの引用は1つもいりません。そこは羽生選手本人が一番分かっていると思います。

空中姿勢の美しさや総合力で王者の座を築いた内村さん、白井さんとは対照的な戦い方だった
空中姿勢の美しさや総合力で王者の座を築いた内村さん、白井さんとは対照的な戦い方だった写真:ロイター/アフロ

「回転」か「高さ」か、選手よって違うバランス

白井氏の「4回半ひねり」やロシア女子は「回転」をとる

――その「新たな理論」を導き出すために、羽生選手は回転の要素を細分化し、試行錯誤しています。いまは「回転軸を作る」ことと「思いきり回す」ことを別々に取り組んで、その2つを合わせたら4回転半まわれる、というアプローチで取り組んでいるそうです。

体操のひねり(回転)も同じです。「軸を作って跳ぼう」と思っている時点で、自分のパワーの7割しか出ません。たぶん羽生選手も「思いきり跳びたいけど、軸を作るためにはこのくらいの跳び方で調整しておかないと」という気持ちですよね。僕の場合は、4回半ひねりのときは、「軸を作る」という意識をいったん捨てて、空中に出てからのことを考えずに10割の力で回していく、という意識に変えました。

――4回転アクセルは前に飛び出てから回転するので、空中で軸を移動させるタイムロスからは、どうしても逃れられない気がします。

羽生選手のアクセルを見ると、右脚を振り上げるモーションが大きいですよね。高さを出そうとしていると思います。フィギュアスケートの特性上、どうしても大きくなってしまうなら仕方ないけれど、わざと大きくしているなら、もうちょっと高さより回転のほうを重視してもいいのではないかな、と思います。もちろん体操でのアイデアなので、試してみて変だったらすぐにやめたほうが良いですが。

――回転数を増やすのに、「高さ」か「回転速度」かという話ですね。

もともと、選手ごとの跳び方の違いには、注目しているんです。「高さ」への比重と「回転」への比重が、人によって違います。ロシアの女子選手は、右足を振り上げませんし、両手も手を前に振り出してない。腕の使い方を見ていると、高さよりも回転のほうに比重を置いた跳び方です。彼女達を見ると、「両手を、下から前に出さなければならない」という概念はなくなります。そうならば、踏み切った瞬間に、開いていた左肩に右肩を追い付かせる、という腕の使い方もアリになってくるのかなと思います。

ワリエワと写真を撮る羽生、ロシア女子選手のジャンプも研究しているという
ワリエワと写真を撮る羽生、ロシア女子選手のジャンプも研究しているという写真:長田洋平/アフロスポーツ

「脚はきっかけ、腕で回転をコントロール」

「自分の感覚を一番大切に、遊びの気分でやるのも」

――左肩を開いておいて、そこに右肩を追い付かせるというのは、トウループやルッツだと行う選手がいますね。

ロシアのアリョーナ・コストルナヤも、肩の使い方は、そういった移動を行っていますね。3回転ルッツなどは特に、左肩が開いている時間をとって、右肩を追い付かせる跳び方です。もちろん4回転になるとすぐに追い付かないといけないのでタイミングは違いますが、左手に右手が追い付いて回転を起こしています。

――スケートの場合、回転はエッジで起こすと習ってきましたが、実際には手の使い方も大きいのですね。

回転においては、上半身は一番重要ですよ。体操のひねり(横回転)は、ほぼ上半身でコントロールしています。ひねり(回転)を生み出し、軸をコントロールし、回転速度を決めるのは、腕です。脚では変えられません。脚は高さを出すために使っている道具です。理屈はスケートも同じ。脚はきっかけを作るけど、回転をコントロールするのは上半身です。

――ロシアの女子では、手を上げて4回転やトリプルアクセルを跳ぶ選手も現れています。軸が細くなるので、とても回転速度が速いです。

空中で手を上げてるってことは、もうセオリーは全く関係ないですよね。とにかく、速く回転できれば良いわけです。体操で新しい技を作ってきた身としては、他の人の意見を聞きすぎると分からなくなっていくので、自分の感覚を一番大事にしつつ、ちょっとでも良いなというものは取り入れていけば良いと思います。捨てるもの、取り入れるものを、羽生選手ならはっきり決めていけますから。羽生選手はいま北京五輪を控えて、プログラムの完成度や細かい部分を詰めていく、思い詰めやすい時期。だから遊び半分で、手の使い方を変えてみたり、今までと全く違う感覚のジャンプをやってみる、という程度の気持ちもアリだと思います。たとえばクワドアクセルで両手上げていたら、かっこよすぎますよね(笑)

――目から鱗の話ばかりでした。羽生選手がクワドアクセルの扉を開けたとき、どんな世界が見えるのか楽しみになってきました。

新技をやるには、決断する勇気が必要です。それを背負えるのは羽生選手にしかない力です。技術の進化というのはシンプルなことで、羽生選手は「4回転5種類目までできたなら、なんで次をやらないの」という考えのはず。「4回転半は無理だろう」なんて言う資格は、誰にもありません。僕は絶対に、羽生選手ならできると思って見ています。

■白井さんが4回半ひねりを成功した練習動画は、Instagram内にアップロードされています

https://www.instagram.com/p/CY1PZovPBzK/?utm_medium=copy_link

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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