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国連が日本政府に勧告「障害のある子どもにインクルーシブ教育の権利を」

野口晃菜博士(障害科学)/インクルージョン研究者
国連の旗(写真:ロイター/アフロ)

 2022年8月22日・23日に、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で、日本政府は「障害者の権利に関する条約」(以下、障害者権利条約)に関する初めての審査を受けた。障害者権利条約とは、2006年に国連が採択し、2014年に日本が批准をした、障害のある人の権利を保障するための国際条約である。障害者権利条約の成立過程においては、「私たち抜きに私たちのことを決めるな」がスローガンとなり、多くの障害当事者が策定に関わった。

 批准をした国については、障害者権利条約を政策などに反映していく必要がある。先月の審査には、100人もの障害当事者が日本から渡航し、権利委員会の委員に日本の現状について訴えた。審査を踏まえ、9月9日に、国連の障害者権利委員会から日本政府に勧告が出された。勧告には、「インクルーシブ教育の権利を保障すべき」、との記述がある。本記事においては、インクルーシブ教育の定義を確認した上で、本審査におけるインクルーシブ教育に関わる勧告について解説する。

インクルーシブ教育とはすべての子どもの教育を受ける権利を保障すること

 インクルーシブ教育は、障害分野から生まれた言葉ではあるが、ユネスコの「インクルージョンへのガイドライン(2005)」においては、より広い定義がなされている。筆者は広義の定義を参考にし、インクルーシブ教育を以下のように定義している。

「インクルーシブ教育は、多様な子どもたちがいることを前提とし、その多様な子どもたち(排除されやすい子どもたちを含む)の教育を受ける権利を地域の学校で保障するために、教育システムそのものを改革していくプロセス」

 ポイントは、学校に通う子どもたちは多様であるということを前提とすること、そして、教育システムそのものを変えるプロセスが大切であるということである。この「多様な子ども」の中には、障害のある子どものみでなく、性的マイノリティの子ども、外国にルーツのある子ども、ヤングケアラーの子どもなどを含む、排除をされやすい子どもたちが含まれる。

 インクルーシブ教育は「障害のある子どもと障害のない子どもが同じ場で学ぶ」ことのみを指して定義がされることが多いが、障害のある子どもも含む多様な子どもがいることが前提になっているか、既存の学校教育の在り方そのものを見直す必要がある。

 例えば、今の学校施設は、障害のある子どもが在籍することが前提となった施設やカリキュラムになっているだろうか。性的マイノリティの子どもがいることを踏まえた活動がなされているだろうか。学校行事は、多様な家族がいることが前提になっているだろうか。障害のない子ども、異性愛の子ども、生まれた時の性別と自分がアイデンティティを持っている性別が同じ子ども、両親がいる子どもなど、いわゆる「主流」の子どもを中心とした学校は、そうではない子どもにとっては公正な場とはいえないであろう。どんな子どもも平等に教育を受ける権利があるにもかかわらず、多様な属性の子どもたちが考慮されていない学校は、すべての子どもの学ぶ権利を平等に保障しているといえるだろうか。

「分ける教育」の先にはなにがあるか

 「主流」の子どもを中心に学校がつくられる中で、日本は歴史的に障害のある子どもは別の場で別の教育を受けることを前提とした教育システムを構築してきた。障害があると分かった時点で別の学校、別の教室で教育を受けるということである。そのような教育システムの中で、子どもたち(筆者も含め、今の大人たち)は「障害があったら別の場に行くことが良い」と学んできた。

 分ける教育の中で、障害種ごとの指導方法は発展してきたであろう。一方で、分ける教育は、共生社会につながるのだろうか。昨年の筆者の記事において、自宅の隣に障害者施設が建設されることに賛成する日本人が2割しかいないという研究結果を紹介した。「差別はダメ」という教育をしながら、一方で、障害を理由とし、別々の場で教育を受けることを当たり前とする教育や、障害のある子どもがいることが前提となっていない学校の在りようは、「障害のある人は障害を理由に排除されても仕方ない」という無意識のメッセージを障害のある子どもにも、障害のない子どもにも植え付けてしまうのではないだろうか。これを読んでいる人の中にも「障害のある子どもは別の場で教育を受けた方が良い」と思っている人がいるであろう。

現在の日本におけるインクルーシブ教育システム

 障害者権利条約においては、障害のある子どもとない子どもが共に学び、障害のある子どもに必要な合理的配慮が提供されるインクルーシブ教育システム構築の必要性が記載されている。本条約への批准にあたって、文部科学省が2012年に出した報告「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」においては、インクルーシブ教育システムでは可能な限り障害のある子どもとない子どもが共に学ぶことを目指すべき、とされている。また、その場合には「それぞれの子どもが、授業内容が分かり学習活動に参加している実感・達成感を持ちながら、充実した時間を過ごしつつ、生きる力を身に付けていけるかどうか、これが最も本質的な視点であり、そのための環境整備が必要である」とある。すなわち、ただ場を共にするだけでなく、活動に参加するために必要な合理的配慮や環境整備がなされることが大切ということである。以前の記事にも記載したように、既存の学校の在り方を見直さず、必要な工夫もされずに、同じ場に放り込まれる(ダンピング)状態は、むしろ差別を助長する可能性がある。

通常学級における支援の困難さ

 上記の通知が出た後も、特別支援学級や特別支援学校など、別の場で学ぶ障害のある子どもは年々増加している。当然、障害の有無に関わらず、自分に合った学習環境を選ぶのは、子どもにとって良いことであろう。そのため、別の場が廃止されるべきという立場を筆者はもたない。一方で、問題なのは、障害などを理由に子どもが別の場を「選ばされている状態」や「選ばざるを得ない状態」である。

 その背景には、通常学校・通常学級における支援の困難さがある。2007年に特別支援教育制度が始まり、それまでは「特別な支援を受ける場合は別の場で学ぶ」ことが前提となっていた教育システムが変わり、通常学級においても特別支援教育を実施することが求められるようになった。一方で、40人クラスの通常学級で一人ひとりに合わせた支援をする困難さに加えて、教員不足や教師の労働環境、教師に求められている様々な役割との兼ね合いの中、通常学級における支援は困難な状態が続いている。

 上記を踏まえて、今後どのようにインクルーシブ教育を進めていくべきか。障害者権利条約の日本審査の結果を踏まえて、考察していきたい。

写真:アフロ

日本政府への勧告

 障害者権利条約第24条には教育について示されている。勧告においては、第24条教育についての障害者権利委員会の「懸念事項」と「強く要請する事項」が示されている。「強く要請する事項」では以下の6点が指摘されているが、本記事ではその中の(a)(b)について焦点を当てて解説したい。

(a) 分離された特別教育をやめるために、教育に関する国の政策、法律、行政上の取り決めの中で、インクルーシブ教育を受ける障害のある子どもの権利を位置づけ、すべての障害のある幼児児童生徒が、すべての教育段階において合理的配慮と必要な個別的な支援を受けられることを保障するために、質の高いインクルーシブ教育に関する具体的な目標、スケジュール、十分な予算を含めた国家行動計画を採用すること。

(b) 障害のあるすべての子どもたちの通常の学校へのアクセスを確保し、通常の学校が障害のある幼児児童生徒の通常の学校への在籍を拒否することを許さないための「非拒絶」条項と政策を導入し、特別支援学級に関する通知を撤回すること。

(c) 障害のあるすべての子どもたちが、個々の教育的ニーズを満たし、かつインクルーシブ教育を確実に受けられるための合理的配慮を保障すること。

(d)インクルーシブ教育について、通常教育の教員および教員以外の教育関係者の研修を確保し、障害の人権モデルについての認識を高めること。

(e)点字、イージーリード、ろう児の手話教育、インクルーシブ教育環境におけるろう文化の促進、盲ろう児のインクルーシブ教育へのアクセスなど、通常の教育環境における拡張・代替コミュニケーション様式および方法の使用を保障すること。

(f) 大学入試や学習過程などを含む、高等教育における障害のある学生の障壁に対処する、国家的な包括的政策を策定すること。

インクルーシブ教育の実現に向けた国家行動計画の策定

 前述の通り、2012年に文部科学省はインクルーシブ教育システムの構築を目指す通知を出し、2014年に日本は障害者権利条約に批准をしている。その後、2016年には障害者差別解消法が施行され、合理的配慮の提供が義務付けられた。2021年には「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」の報告がなされた。その後も、「特別支援教育を担う教師の養成の在り方に関する検討会議」、「通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討会議」など、様々な会議体において、障害のある子どもへの教育の在り方については議論がなされている。

 一方で、これらは特別支援教育の専門家や現場の実践家が中心の会議体のため、「既存の通常の教育を前提とした上で、障害のある子どもにどのように付加的な支援をしていくか」の議論になりやすく、前提となる通常の教育そのものをどう変えていくか、の議論にはなりにくい。個々の施策については具体的な目標やスケジュール、予算が決まっていく一方、教育施策全体での優先順位を上げることはなかなか難しい。そのため、より広い範囲の部署や専門家、そして当事者と共に、インクルーシブ教育について共通認識し、より大きな絵を描いて、それぞれはどのような役割を担っていくか、長期的な計画を策定していくべきではないだろうか。新しい施策を検討する前に、現在検討されている施策をインクルーシブ教育の文脈で整理しなおすところから始めるのが良いだろう。その際には、なんのためにインクルーシブ教育が必要か、その背景にある障害のある子ども、ひいては子どもの権利全般について共通認識をする必要があるだろう。例えば、2021年「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して ~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと, 協働的な学びの実現~(答申)」をインクルーシブ教育の視点から検討すると、どのような整理になるのか。個別最適な学びと特別支援教育との関連性はなにか、などを検討することである。

障害のある子どもの通常学校への在籍を拒否しない

 2012年の文部科学省のインクルーシブ教育システムの構築に関する通知の後、2013年に学校教育法施行令が一部改正された。従来は、就学基準に該当する子どもについては、特別支援学校に原則就学するべき、とされていたが、本改正により、障害の状態、本人の教育的ニーズ、本人・保護者の意見、教育学、医学、心理学等専門的見地からの意見、学校や地域の状況等を踏まえた総合的な観点から就学先を決定する仕組みに改められた。最終的な判断は教育委員会が行うものとなっているが、留意事項として「保護者の意見については、可能な限りその意向を尊重しなければならないこと」とされている。

 このように、本人・保護者の意向を最大限尊重するように変更がなされた一方で、例えば医療的ケアが必要な子どもが地域の学校から入学を拒否されるケースや、「地域の学校に通いたいなら保護者の付き添いが必要」などと言われるケースもある。障害がなければ地域の学校に当たり前に通えるところ、障害を理由に地域の学校に通えないのは権利の侵害である。拒否の要因は、おそらく通常の学校に十分な資源がないことであろう。障害のある子どもが地域の学校に通う環境を整えるために、現在の学校のどこをどう変えなければならないのか。そのための具体的な目標、予算、スケジュールを検討する必要がある。なお、医療的ケア児については今年度の概算要求においても看護師配置のための予算要求がされたり、現在も通常の学級に在籍する児童生徒への支援の在り方に関する検討会議が開かれるたりするなど、全く施策が打たれていないわけではない。一方で、より促進するためには、教育施策全体の中での優先順位を上げる必要があるだろう。

 なお、もう一点本項目で指摘されている「特別支援学級に関する通知の撤回」とは、2022年4月27日「特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について (通知)」のことを指している。本通知では、時間割の半分以上の時間を通常学級で過ごす場合は、特別支援学級の在籍ではなく、通級による指導の利用を含む、通常学級への在籍を求めている。本通知については、背景を解説すると膨大になるため、別途解説の機会を設けたい。

インクルーシブ教育のためにできること

 以上、本記事においては、インクルーシブ教育の定義やその意義について概説し、障害者権利条約の第24条教育に関わる勧告のうち一部について解説をした。意思決定をする立場に障害のある人は極めて少なく、また、これまで「分ける教育」をしてきた背景から、障害のある人が身近にいる人も少ない。また、「差別はダメ」と言われながら、排除が正当化されている構造の中で、それを当たり前のものとして無意識に内面化している場合も多い。その結果、障害のない人を中心とした社会構造が維持され続けてしまっている。インクルーシブ教育はそのような構造を変革していく上で、重要な施策である。

 また、冒頭に記述をした通り、学校ももともとは主流である社会的マジョリティを中心につくられてきた一方、現在は不登校の子どもが20万人いることなどを踏まえると、障害のない子ども、「マジョリティ」である子どもにとっても通いづらい場所になってしまっているのではないだろうか。そのような意味でも、インクルーシブ教育は、今後の学校をどう変えていくべきかの指針の一つになる。

 では、インクルーシブ教育施策の優先順位を上げるために、私たちにできることはなんだろうか。一つは、「なぜインクルーシブ教育が大切なのか」について、周りの人と話すことであろう。インクルーシブ教育については、当事者や当事者家族、教師も共通認識を持っていないことが多い。障害種ごとに見えている風景も異なる。多様な人たちがそれぞれが見えている風景や文脈を尊重した上で、私たちはどこに向かっていくべきなのか、を対話する機会をつくりたい。多様な人たちが連帯をしなければ、優先順位を上げることはなかなか難しい。

 また、「なぜ」について共通認識をしたとしても、「どうやって」のところで「どうせ無理」とあきらめざるを得ない人が多いのではないだろうか。冒頭に定義した通り、インクルーシブ教育は「プロセス」である。つまり、できるところから一つずつ進めていくことに意味がある。国レベルでできること、自治体レベルでできること、学校でできること、そして個人でできること、それぞれある。まずは個人や学校レベルでできることから始め、それを踏まえて自治体レベルや国レベルでやるべきことについては、一緒に声を上げていきたい。自治体や国の会議は傍聴でき、報告がまとまる前にパブリックコメントで意見をすることもできる。地元の議員にインクルーシブ教育について尋ねたり意見を伝えたりするのも一つである。そのような機会を最大限に活用してほしい。

博士(障害科学)/インクルージョン研究者

一般社団法人UNIVA理事/国士舘大学非常勤講師。小6でアメリカへ渡り、障害児教育に関心を持つ。その後筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。小学校講師を経て、株式会社LITALICO研究所長として、学校・少年院等との共同研究や連携などに取り組み、その後一般社団法人UNIVAの立ち上げに参画、理事に就任。インクルージョン実現のために研究と実践と政策を結ぶのがライフワーク。経産省産業構造審議会教育イノベーション小委員会委員、文科省新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議委員、日本LD学会国際委員など。共著に「発達障害のある子どもと周囲の関係性を支援する」など

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