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北朝鮮の熟年女性アナはなぜ、怒ったように原稿を読むのか

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
軍事パレードの様子を伝えるリ・チュニ氏=朝鮮中央テレビより筆者キャプチャー

 北朝鮮・朝鮮中央テレビのベテラン女性アナウンサー、リ・チュニ氏に再び注目が集まっている。リ・チュニ氏は重要行事の原稿を独特の抑揚で読み上げることで知られ、北朝鮮アナウンサーの象徴的存在といえる。建国73周年の軍事パレード(今月9日未明)やその直前のイベントでは、金正恩(キム・ジョンウン)総書記との親密さが際立ち、圧倒的な存在感を示していた。

◇特別待遇

 リ・チュニ氏の放送スタイルは強烈なインパクトを残す。金総書記の父・金正日(キム・ジョンイル)氏が「リ・チュニ氏の声は浸透力が高い」と評価したことから、重要ニュースを伝える役割を担うようになった。実際、金正日氏や、その父・金日成(キム・イルソン)主席がそれぞれ死去した際、おえつしながら第一報を読み上げたのもリ・チュニ氏だった。

 建国73周年の軍事パレードでは、金総書記ら朝鮮労働党指導部のメンバーがひな壇の最前列中央に位置し、後列に内閣や地方の要人、引退した幹部らが立った。その一角に「労働革新者、功労者」の立ち位置が設けられ、リ・チュニ氏のほか、金総書記お気に入りの女性歌手キム・オクチュ氏らが招待された。

軍事パレード後の夜会で金総書記と親し気に話すリ・チュニ氏=朝鮮中央テレビの映像より筆者キャプチャー
軍事パレード後の夜会で金総書記と親し気に話すリ・チュニ氏=朝鮮中央テレビの映像より筆者キャプチャー

 軍事パレードが終わり、夜会に移った時、リ・チュニ氏は最前列中央に引っ張り出された。金総書記と、その最側近である趙甬元(チョ・ヨンウォン)書記(党政治局常務委員)の間に割って入り、金総書記の肩に手を当てたり、耳打ちしたりしながら談笑していた。

 その前日に金総書記が「労働革新者、功労者」と党本部庁舎前で記念写真を撮影した際にも、リ・チュニ氏は金総書記の隣に立って腕を組むという特別待遇を受けていた。

金総書記と写真に収まるリ・チュニ氏(左)=朝鮮中央通信より筆者キャプチャー
金総書記と写真に収まるリ・チュニ氏(左)=朝鮮中央通信より筆者キャプチャー

 軍事パレードや関連行事の様子は、朝鮮中央テレビが当日午後6時すぎから1時間45分にわたって録画で伝え、この時のナレーションもリ・チュニ氏が担った。

◇速報の際にミスも

 韓国側の情報によると、リ・チュニ氏は1943年7月生まれの78歳。北朝鮮江原道(カンウォンド)の貧しい家庭で生まれた。平壌演劇映画大学を卒業後、いったんは俳優になったが、1971年2月に朝鮮中央テレビに入り、同年5月からアナウンサーとして活動を始めた。

 北朝鮮アナウンサーは男性60歳、女性55歳が定年とされる。リ・チュニ氏はその年齢を越えても放送の現場に残り、2018年12月には引退を宣言したものの、特別な存在であるがゆえに第一線での活動を続けている。

 そんなリ・チュニ氏だが、最近になって原稿を読み間違えることがあり、その様子を韓国メディアに報じられたことがある。

 金総書記が2018年5月、中国遼寧省大連に飛んで習近平(Xi Jinping)国家主席と会談した際、朝鮮中央テレビはこれを速報で伝えた。だが、原稿を手にしたリ・チュニ氏は珍しく読みながら止まったり、「朝中最高位級の相互訪問の偉大な伝統を大切に考え」という文章を繰り返したりと、ミスをしたのだった。朝鮮中央テレビが慣れない「速報」に対応しようとしたため、リ・チュニ氏の負担になったのでは、という同情論も韓国メディアでは語られていた。

 リ・チュニ氏は海外メディアの取材に応じたことがある。2013年7月27日の朝鮮戦争休戦60年に合わせて訪朝した台湾の大手テレビ局「民間全民電視公司」(民視テレビ)クルーが普段着のリ・チュニ氏を見つけてマイクを向けた。

 記者が「台湾ではあなたの知名度はとても高い」と伝えると、リ・チュニ氏は「そうですか」と笑顔を見せたあと、逆に「きょうは満足に取材、撮影なさいましたか」と問いかけていた。この時の話しぶりは穏やかで、独特の抑揚はなかった。

民視テレビの取材に応じるリ・チュニ氏=同テレビのYouTubeチャンネルよりキャプチャー
民視テレビの取材に応じるリ・チュニ氏=同テレビのYouTubeチャンネルよりキャプチャー

 北朝鮮住民は民視テレビの取材に「アナウンサーとしてのレベルがとても高く、みんなそれを認めている。彼女の姿が(テレビ画面に)現れると、その場が厳粛な空気に変わる」と話していた。

◇北朝鮮のアナウンサーはなぜ威圧的に原稿を読むのか

 リ・チュニ氏に限らず、朝鮮中央テレビのアナウンサーの大半が、強い調子で原稿を読み上げる。「敬愛する金正恩同志におかれては……」という原稿ならば「敬愛する」「金正恩」にアクセントが置かれ、文末も力を入れて締めている。

 こうした話し方はアナウンサー教本「放送員話術」(1988年2月)に定められている。この教本では、放送を「偉大なる金日成主義を実践する最も鋭利な思想的武器」と規定。金正日氏の言葉として「どんな場合でも放送員が言葉で気迫を失ってはいけない」「放送を通じてわが人民を緊張させるだけでなく、敵たちを威圧するようにしなければならない」とも記されている。

 北朝鮮で放送業務に携わり、その後、脱北したチョ・ミヨン氏は米政府系放送局の自由アジア放送(RFA)で次のように話している。

「北朝鮮の報道で最も多く登場するのが『革命的』『戦闘的』のような単語だ。国家が住民の安らかな生活を保障するどころか、朝鮮戦争の停戦から70年近くになる今も、戦闘のように日常を生きよと、季節ごとに、時期ごとに、あらゆる戦闘を生み出している。この戦闘のような日常に緩みが生じないよう、日々の放送で決意に満ちたアナウンサーの声が伝えられ、必死になって人々を精神武装させている」

 だが、こうした放送が繰り返されることに対する住民の失望も強いといい、「テレビをつけないという反応まで見せるようになった」と指摘する。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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