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“制裁逃れ”容疑者の史上初、米国に引き渡し――北朝鮮がマレーシアに激怒する本当の理由とは

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
(提供:Paylessimages/イメージマート)

 北朝鮮外務省は19日朝、声明を発表し、マレーシアと断交すると宣言した。マレーシア当局が資金洗浄(マネーロンダリング)などの容疑で逮捕した北朝鮮実業家を米国に引き渡したことに猛反発している。この実業家は金王朝のぜいたく品や核・ミサイル開発の部品の調達に関わっている可能性があり、仮に実業家が米国に対して任務の全容を明かせば、北朝鮮は大打撃を受けることになる。

 マレーシアでは2017年2月、クアラルンプール国際空港で、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の異母兄、金正男(キム・ジョンナム)氏が暗殺される事件が起き、その事後処理をめぐって両国関係が極度に悪化したことがあった。

◇マレーシア最高裁「引き渡し要件満たす」判断

 現地情報を統合すると、米側に引き渡されたとみられるのは北朝鮮実業家のムン・チョルミョン被告(56)。米連邦捜査局(FBI)の要請を受けてマレーシア捜査当局が2019年5月、逮捕した。

 容疑は、ムン被告がグループを率いて▽北朝鮮に禁輸品を送った▽フロント企業を通じて資金洗浄をした――という制裁違反。ムン氏は家族とともに逮捕当時まで約10年間、東南アジアに滞在していたという。容疑は主に前任地シンガポールでの業務に関するものとされ、「不正輸出のために虚偽書類を発行したという疑い」と伝えられる。だが詳細は明らかにされていない。

 ムン被告は容疑を否認し、陳述書で「ミサイル計画に絡めて(北)朝鮮を圧迫するという政治的動機に基づくものだ」「自分は米朝対決に巻き込まれた犠牲者」などと主張していた。

 だが、マレーシア最高裁は今月9日、「米・マレーシア間の引き渡し協定におけるすべての要件が満たされている」として、引き渡しを決定した。検察側は「政府には“引き渡し促進”の義務がある。実際の裁判は米国で進められる」と指摘してきた。ムン被告は決定から3カ月以内に、マレーシアを追放され、米国に引き渡されることになっていた。

 米オンライン誌「ディプロマット」は決定翌日の記事で「史上初めて、北朝鮮実業家が米国に引き渡される」と評価したうえで「海外での北朝鮮の不正な活動に対する制裁執行に加え、マレーシアが世界の金融システムの健全化に貢献して“制裁回避の問題地域”との風評被害を晴らすための、大きな進展だ」と論じていた。

◇米国とマレーシアに対抗措置を示唆

 こうした措置に北朝鮮は強烈に反発し、マレーシアとの断交を宣言したわけだ。北朝鮮外務省声明は「マレーシア当局が17日、米国に引き渡すという許し難い犯罪行為を働いた」と記していることから、ムン被告の身柄はマレーシアを離れたようだ。

 声明は一連の措置を「米国の敵視策動と、マレーシア当局の親米屈辱がもたらした反朝鮮陰謀・結託の直接的産物」と主張。「(ムン被告は)長年、シンガポールで合法的な対外貿易活動に従事してきた活動家であり、『不法資金洗浄』関与とは、とんでもない捏造であり、完全な謀略だ」と非難している。裁判の過程で北朝鮮側がマレーシア側に証拠提示を要求したのに、一度も示されなかったのもその表れとしている。

 そして、マレーシアについて「両国関係の基礎を全部崩した」との見解を示し、「マレーシアとの外交関係を完全に断絶する」と宣言した。最後に常套句を使って次のように表明し、対抗措置を示唆した。

「双方の間で生じる結果に対する責任は、マレーシア当局が全て負うことになる」

「主犯である米国も当然の代価を支払うことになる」

◇「被告は米国で英雄になれる?」

 今回の引き渡しの意味について、北朝鮮の姜成山(カン・ソンサン)元首相の娘婿で、特殊商社の貿易を関わってきた康明道(カン・ミョンド)氏=1994年脱北=が自身のYouTubeチャンネルで次のように解説している。

「ムン被告は2008年にシンガポールからマレーシアに移り、北朝鮮の貿易責任者としてぜいたく品を送り続けた。被告は多額の外貨を持ち込んでマレーシアに入国し、永住権を取得している。こんな立場の人間は数えるほどしかいない。金総書記の信任を受け、その直接の指示によって物資を調達する人物以外、そのような立場での海外居住は不可能だ」

「今回、ムン被告は米国入りする最初の“北朝鮮犯罪者”となったわけだ。ただし、被告にはかえって都合が良いかもしれない。この状態で北朝鮮に帰国すれば、取り調べを受け、場合によっては銃殺される恐れもある。一方、米国で洗いざらい証言してしまえば、その対価として米国で英雄扱いされるかもしれない。ムン被告の運命は米司法の手にかかっている」

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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