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“トランプ氏ロス” の金正恩氏――自身を「悪党」「暴君」呼ばわりするバイデン氏に戦々恐々

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
板門店で対面したトランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=2019年(写真:ロイター/アフロ)

 米大統領選で民主党候補バイデン前副大統領の当選が確実になったことで、北朝鮮はこれまでトランプ大統領との間で進めてきた「トップダウン」による米朝対話の転換を迫られることとなった。バイデン氏は、かつて民主党のオバマ政権が取った「戦略的忍耐」(北朝鮮が変化するまで制裁で圧力をかける)を基礎に、北朝鮮に対する厳しい政策を打ち出すとみられ、北朝鮮指導部は危機感を募らせているようだ。

◇固唾をのんで大統領選の行方を見守る

 トランプ氏と金委員長の親密な関係は、ハノイでの首脳会談(昨年2月)決裂後も維持され、金委員長はトランプ氏再選を支持するというシグナルを発信し続けてきた。

 金委員長の実妹で対米関係を統括する金与正党第1副部長は7月10日の談話で「金委員長は、トランプ大統領の活動(=大統領選)で必ず良い成果があることを願う、という自身のあいさつを伝えるようおっしゃった」と、金委員長のトランプ氏支持を明らかにしていた。

 トランプ氏が先月、新型コロナウイルスで陽性判定が出た際、その情報が公開されてから1日もたたないうちに金委員長は「1日も早く全快するよう心から祈っている」「あなたは必ず克服するだろう」という内容の見舞いの親書を送っていた。

 過去に北朝鮮は米大統領選を前に挑発行為に打って出たこともあるが、今回はそれを自制。党創建75周年(10月10日)の軍事パレードでICBMや潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)発射などの兵器を公開するにとどめ、試射することはなかった。

 一方、投票日が近づき、「トランプ氏劣勢」の報道が相次ぐにつれ、北朝鮮側からトランプ氏を肩入れするような発信は消えていった。金委員長自身、トランプ氏との「トップダウン」方式の対話を重ねても、米国内がトランプ氏の対北朝鮮路線を支持するという空気にならない限り米朝関係は前進し得ないと、2度の首脳会談を通じて実感していた。こうした背景もあり、選挙戦終盤には情勢を見極めるという立場を取るようになった。

◇米朝交渉の幅が狭まると危惧

 バイデン氏の新政権が発足すれば、オバマ政権が対北朝鮮政策の指針に掲げてきた「戦略的忍耐」が再現される、という観測が支配的だ。ボルトン前大統領補佐官(国家安全保障担当)は今年6月の米FOXテレビのインタビューで「バイデン氏が当選すれば、本質的にオバマ前大統領の外交政策の『さらなる4年』になるだろう」と見通していた。まずは、トランプ政権の対北朝鮮政策は再検討される。

 バイデン氏の立場で顕著なのは、北朝鮮との非核化交渉を急いでいない点だ。トランプ政権のように「トップダウン」によって場当たり的な首脳会談に打って出るのではなく、粘り強く実務交渉を進めたうえで最終的に首脳会談を進めるという「ボトムアップ」方式を取る見通しだ。首脳会談の条件には「核能力の引き下げに同意すること」を求める構えだ。

 ただ、オバマ政権時代に「戦略的忍耐」を続け、北朝鮮を突き放した末に、4度の核実験を強行されたというマイナス面も指摘される。北朝鮮はオバマ政権末期に「核兵器の小型化、軽量化、多種化を実現」「最強の核攻撃能力を備えた堂々たる核強国となった」(17年1月の労働新聞)と誇示し、戦略的忍耐に抗う姿勢を強調してきた。

 また、米朝対話がこう着すれば、北朝鮮は中国への接近を強め、経済支援を受けて存命を図るという傾向もある。

 そもそも北朝鮮はバイデン氏の発言に強く反発してきた。

 バイデン氏が昨年5月18日、大規模集会を開いた際、「(トランプ氏が)プーチン(ロシア大統領)や金正恩(委員長)のような独裁者、暴君を受け入れている」と発言したことがある。

 これに北朝鮮側が反発し、国営朝鮮中央通信が昨年5月21日付論評で「バイデン」と名指ししながら「耐え難い重大な政治的挑発」と批判。「わが方は最高尊厳(=金委員長)に手出しする者に対し、それが誰であれ絶対に容赦せず、決着をつけるであろう」と威嚇してきた。

 それでもバイデン氏は大統領選直前のテレビ討論会(10月22日)で「トランプ氏は(核開発に突き進んだ)北朝鮮に正当性を与えた。悪党を仲間だと言っている」と発言のトーンを変えることはなかった。

◇3重苦の中の朝鮮労働党大会

 北朝鮮はいま、国連制裁や新型コロナウイルス感染防止のための国境閉鎖、水害・台風被害という「3重苦」「4重苦」のなかにある。経済状況は「1990年代の苦難の行軍の時よりも厳しい」(北朝鮮情勢に詳しい関係者)という見方もある。

 北朝鮮の経済再生には、制裁解除のカギを握る米国と、最大の支援国である中国との関わりが不可欠である。北朝鮮指導部が、経済政策をリセットして新たな5カ年計画を示すための朝鮮労働党大会を来年1月に設定したのも、米新政権発足と、それに向き合う中国など関係国の立場を見極めるためだ。

 北朝鮮に対する経済的圧迫が進んだのは、実はトランプ政権になってからだ。それによって外貨収入は激減し、今年8月19日の党中央委員会総会で「国家経済の成長目標はほとんど達成できなかった」と明記しなければならないほど追い込まれた。金委員長は昨年末の段階で、自力更生により制裁に耐え抜く「正面突破戦」を打ち出したが、成長戦略は描き切れていない。

 バイデン新政権が新たな対北朝鮮政策を打ち出すまで、数カ月間は必要となるだろう。北朝鮮側も金与正氏―崔善姫第1外務次官ラインで対米政策の構築を急ぐとみられる。

 その間、北朝鮮は中国に頼らざるを得ない状況となる。新型コロナの状況を見極めながら、年明け早々、金委員長の中国訪問など、対米にらみの行動が活発化することが予想される。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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