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北朝鮮・金正恩氏「重病説」を読み解くカギは2014年「空白の40日間」

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
つえを使いながら視察する金正恩氏(2014年10月中央通信からキャプチャー)

 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の動静報道は、4月11日に党政治局会議出席が伝えられて以後、29日までで18日間途絶えている。金委員長の健康不安説は2014年にも浮上し、この時には40日間、動静報道が空白になっていた。当時の状況を振り返り、今回との類似点について考えてみる。

◇足を引きずって現地指導

 金正恩氏(当時は党第1書記)は2014年7月上旬、祖父・金日成国家主席死去20年の追悼行事に出席した。その際、国営朝鮮中央テレビが金正恩氏が右足を引きずる姿を放映したため、ウォッチャーの間で「金正恩氏の身体に何らかの異変が生じているのでは」との説がささやかれるようになった。

 保養所を視察した8月18日ごろの映像では、階段を駆け下りる姿が映し出されたため、「右足は完治した」とみなされるようになった。

 だが9月3日に妻・李雪主氏とともに女性音楽グループ・モランボン楽団の公演を観覧したあと、動静報道が途絶えた。

 その6日後に放映された「8月末の工場視察」の映像には、金正恩氏が今度は左足を引きずって歩く姿が映し出された。韓国・聯合ニュースは当時、「右足をけがして左足に重心を置いて歩き続けているうちに、左足を痛めた可能性がある」との見方を伝えていた。

 金正恩氏が同月25日の最高人民会議(国会)に、最高指導者に就任して以来初めて欠席したことから健康不安説が浮上した。

 朝鮮中央テレビは同日夜に放映した記録映画で、金正恩氏を「不自由な体なのに人民のための指導の道を、炎のように歩み続けるわが元帥」と形容して、足を引きずって現地指導する7月の映像を流した。北朝鮮当局として初めて健康に問題があることを認めた形だ。

 このころ、韓国ではさまざまな観測が報じられていた。

 韓国日報は「太りすぎによる関節障害か、糖尿病の合併症」、聯合ニュースは「高尿酸血症や高脂血症などを伴う痛風」、朝鮮日報は「無理な現地指導をして右足をけがし、これを放置していて両足首にひびが入った」「平壌の烽火診療所で9月中旬に手術を受けて入院した」などと伝えていた。

 韓国政府も「健康異常説なども含め多様な可能性を念頭に置いている」(26日・統一省副報道官)と含みをもたせていた。この当時、韓国政府は、金正恩氏の治療のためロシアとドイツの医師が北朝鮮入りしていたことを把握していた。一方で、政府内では「金正恩氏が肥満状態で、身長が高く見える厚底の靴をはいたため足首に無理がかかった」という憶測も語られるようになっていた。

◇40日ぶりの登場で「住民は目頭を熱くした」

 10月に入って、北朝鮮側は今度は「でっち上げのうわさだ」(10月2日・徐世平駐ジュネーブ国際機関代表部大使)と健康不安説の打ち消しを図る。当時、韓国を訪問していた金養建・朝鮮労働党書記(金正恩氏の側近)も、柳吉在・韓国統一相(当時)に対して「(健康には)何の問題もない」と主張していた。

 このころ、金正恩氏は友好国に祝電を送ったり、国内の政治集会に書簡を寄せたりしていたことから、「政治的には健在」と分析されていた。

 そして10月14日、党機関紙の労働新聞が40日ぶりに金正恩氏の動静を伝え、つえを突いて歩く写真も掲載した。労働新聞は16日には、北朝鮮住民が金正恩氏の動静報道に触れて「歓声を上げた」「目頭を熱くした」とする記事を掲載した。

 韓国の情報機関、国家情報院は10月28日、「金正恩氏は左足首のくるぶし付近の腫瘍が神経を圧迫する『足根管症候群』と診断された」との情報を開示した。10月初旬までに欧州から招かれた医師が腫瘍摘出手術をした▽回復に向かっている▽だが肥満と頻繁な現地視察のため再発の可能性があると医師は指摘している――とも明らかにした。

 その後も公式メディアで金正恩氏の視察が報じられ、時折つえを突く様子を収めた写真が掲載された。

◇2014年は「重病説」拡散前に先手

 今回と2014年当時を比較して、共通するのは「金正恩氏が政治的に健在である」、つまり権力基盤は安定しているという点だ。本人映像は報道されないものの、最近でも南アフリカやシリア、キューバといった国の指導者に祝電などを送っている。最高指導者としての活動を続け、それを公式報道機関も発信しているためだ。

 一方、相違点は、2014年当時は最高指導者になって3年弱だったため、後継者に関する報道が見当たらなかったが、今回は実妹・金与正氏に「万一の際の後継者」として焦点が当てられている。金与正氏は既に党要職につき、金正恩氏がトランプ米大統領や習近平・中国国家主席らと向き合う際にも重要な役割を果たしている。金与正氏名義の談話を発表して金正恩氏や国家の立場を表明するまでになり、「ポスト金正恩体制」を語る際の最重要人物となっている。

 北朝鮮の歴代指導者は健康問題が露呈するのを嫌い、金正恩氏が器具に頼って動く姿が伝えられたのも異例だった。2014年当時、北朝鮮指導部は完治に時間がかかると判断し、「重病説」の拡散を防ぐためにも「回復途上」の段階で姿を見せ、健在ぶりを示して社会の動揺を抑え込んだ。同時に金正恩氏の「復帰」を大々的に演出することで住民の忠誠心を高め、金正恩体制のさらなる強化を図っていた可能性もある。今回も同じ路線で「復帰」が演出されるのではないか。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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