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東京に教訓「隔離5日遅れていれば感染は3倍」と中国カリスマ老医師

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
中国国営中央テレビのインタビュー番組に出演する鍾南山氏

 新型コロナウイルスによる肺炎発症者が中国で200人台だった1月20日、同国の感染症研究の第一人者、鍾南山氏(83)が「スーパースプレッダー(強い感染力を持つ患者)の出現を防がねばならない」と警告し、中国国民の危機意識を一気に高めた。だが既に手遅れで、感染は瞬く間に拡大した。そして今、「感染爆発の重大局面」という強い表現で拡大防止に努めるよう求められているのは、東京だ。

◇老医師が強調した危機感

 武漢では昨年12月末に原因不明の肺炎患者が相次いで確認され、1月11日には1人が死亡。感染は日を追うごとに急激に拡大した。ただ、一時は武漢市当局も「1月3日以降は新たな発症者が出ていない」と説明し、市民の間に「感染拡大は収まった」との楽観論も聞かれた。

 ところが、国家衛生健康委員会は1月19日になって各地方都市に対し、検査強化と患者治療に全力を挙げ、病例などの情報を迅速に公開するよう求めた。翌日には中国全体の肺炎発症者は218人(武漢198人、広東省14人、北京5人、上海1人)と拡大し、武漢では死者が3人となった。感染ルートは不明で、春節(旧正月)の連休(24~30日)に伴う帰省ラッシュを前に、感染拡大の恐れが高まっていた。

 この日だった。国営中央テレビのインタビュー番組に出演した鍾氏は、強い口調で「人から人に感染していることは間違いない」と断言。「(春節連休で)発症者はさらに増える」「熱が出た人は武漢を出ないほうがいい」と矢継ぎ早に忠告したうえ、「スーパースプレッダーの出現を防げ」と危機感をあらわにした。

 中国には、2002年11月に重症急性呼吸器症候群(SARS)患者が見つかったのに当局が公表をしぶって感染が拡大し、03年7月にかけてアジアを中心に774人の死者を出した前例がある。鍾氏はSARS拡大当時も、政府が感染状況を過小評価するなかで果敢に発信を続けてきたため、国民的英雄のような扱いを受けている。

◇瞬く間にモノがなくなり……

 鍾氏の見解を聞いた市民が反応した。「今までの発表はうそだったのか」。インターネット上には怒りの声が次々に投稿された。武漢市民の中には「鍾氏の話を聞くまで、このウイルスがそこまで深刻であるとは思わなかった」と証言する人も少なくない。

 その翌朝、武漢などの光景が一変した。市民らは一斉に危機感を強め、至る所で行列を作った。体温計、84消毒液(次亜塩素酸ナトリウム系消毒液)、アルコール、オセルタミビル(インフルエンザ治療薬)が次々に売り切れる。武漢の宅配青年はブログで「武漢の薬局ではその日のうちに、これらの在庫がすべて切れた。注文を受けても手に入らない」と書いている。

 そして23日午前2時、この宅配青年は中国版LINE「微信」(ウィーチャット)で「23日午前10時に武漢市の公共交通機関、地下鉄、大型バス、長距離バスの営業を停止する」との通知を受けた。

 街中にはバスや車が走らなくなった。道路の真ん中でマスク姿の女性が立っていて、聞けば「タクシーを探している」という。宅配青年が「タクシーは全く見かけませんよ」と伝えると、絶望的な表情を浮かべたという。

 武漢在住の20代女性、王海霞さん(仮名)の日記には「24日午後1時半、商店はシャッターが閉じられた。表通りはとてもうすら寒い。ただ、スーパーの中にはまだ商品は十分ある」と記されている。

 鍾氏が予測した通り、中国本土では28日、感染者4515人、死者106人に急増した。武漢の集合住宅では出入りが大幅に制限された。中国政府は武漢などに6000人規模の医療団を派遣し、専門病院の建設も急いだ。武漢の病院で女性看護師がSNS上で「もう耐えられない」と泣き叫んだのはこのころだった。

 一連の経緯を振り返って、鍾氏のチームは2月末、胸部疾患学会雑誌に論文を投稿した。そこには「隔離措置が5日遅れていれば、中国本土での発生規模は3倍になっていただろう」との見解が示されている。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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