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【岡山・備中松山城の「猫城主」さんじゅーろー物語】城下の声を聞くために逃亡?まちをあげての大捜索

西松宏フリーランスライター/写真家/児童書作家
本丸のベンチでくつろぐさんじゅーろー(筆者撮影)

西日本豪雨災害後、どこからともなく突如として現れた茶白の猫・さんじゅーろー(オス、推定3歳)。現存天守が国内随一の高さの場所(標高430メートル)にある備中松山城(岡山県高梁市)に住み着き、「猫城主」として、豪雨災害で激減した来城者数の回復に尽力。その活躍が地元紙やテレビなどで報道されたことで、飼い主が見つかった。その後、観光協会に譲渡されることになり、「猫城主」としての正式デビューが計画されていた矢先、まちの人たちを巻き込んでの逃亡劇が起こる。今回は全3話の第2話。第1話の記事

元飼い主が観光協会に譲渡を決断

さんじゅーろーの元飼い主は、高梁市内に住む難波恵さん(40)。夫と長女(17)、次女(13)、長男(12)の5人家族だ。さんじゅーろーは元々、「なつめ」という名前だった。「ケーブルテレビの番組を観た知人から『もしかしてあなたの家の猫じゃない?』と教えられ、うちのなつめかもと、お城に行ってみたんですよ。すると、最初は丸々と太っていたので違うかなと思ったんですが、なつめは小さい頃、左目の中に喧嘩してできた傷があって、その傷が確認できたので、なつめに間違いないと」(難波さん)

難波さんは昨年(2018年)7月1日、保護猫団体からなつめを自宅に迎え入れた。元々猫が好きで飼いたかったが、長男が幼いころ、猫アレルギーの症状が出たため、ずっと飼えずがまんしていたという。ところが最近、長男の通う散髪屋が猫を飼いはじめ、触れ合っても症状がほとんど出なかったため、「うちでも猫飼っても大丈夫なんじゃない?」という話になり、保護猫団体の譲渡会に出かけた。そこで出会ったのがなつめだった。

「譲渡会では、なつめと真っ黒の猫の2匹だけが残っていて、茶白の猫が好きだったのと、尻尾がぴんと長く、おとなしかったので、なつめに一目惚れだったんですよ。我が家にやってきて、子どもたちもみんな大喜びでした。もちろん室内飼いで脱走防止策も講じていましたが、豪雨後の7月14日、2階のベランダから突然飛び降りてどこかへ行ってしまったんです。まさか2階のベランダから逃げるだなんて想像もしていなかったので…。その日以来、ネットに情報を載せるなどして、周囲をくまなく探し回ったのですが、結局見つけることはできませんでした」(難波さん)

それから3ヶ月が経ち、城でなつめと再会したとき、難波さんは「生きていてくれてよかった」と胸をなでおろした。「もう死んでしまったのでは、かわいそうなことをしてしまった、とずっと思っていたので。お城で元気に過ごしている姿を見たときは、すごく嬉しかったです」。すぐにでも家に連れ帰りたかったが、いまやなつめは、まちで話題の「猫城主」になっている。無理やり連れ帰るわけにもいかなかった。

3日後、一般社団法人高梁市観光協会の事務所で、難波さんは事務局長の相原英夫さん(49)と話し合い、観光協会になつめを譲る決断をした。「正直とても悩みました。でも、観光協会のみなさんがすごくかわいがってくれているし、なにより、なつめがお城で3ヶ月近くも過ごしているということは、居心地がとてもいいからなんでしょう。私たちの都合でなつめを無理やり連れて帰るより、お城にこのままいさせてあげたほうが、なつめのためにいいだろうと思いました。苦渋の決断でしたが、猫城主として地域の方々の役にも立てるならと、譲渡することにしました」(難波さん)

ちなみに、難波さんは現在、猫を6匹飼っている。「なつめがどこを探してもいないので、当時、私も家族もペットロスになってしまったんです。それで豪雨災害後の迷い猫を引き取ったり、道端でうずくまっている野良猫を見つけて保護したりするようになり、なつめがいなくなってからこれまでに6匹の子たちが我が家にやってきました。この子たちを幸せにすることに全力を尽くしていくつもりです」と難波さんは話した。

難波さん宅から備中松山城までは直線距離で約6キロもある。自力で歩いてきたのか、あるいは誰かが車に乗せたのか…。さんじゅーろーがどうやって城までやってきたかは謎のままだ。それにしても、迷ったあげく、たまたまたどりついた場所が、日本一の高さにある山城だったとは。

お城に住み着いて人気が出てきたころのさんじゅーろー。すっかり城がお気に入りの様子。この写真は観光協会が作った2019年の年賀状にもなった(高梁市観光協会提供)
お城に住み着いて人気が出てきたころのさんじゅーろー。すっかり城がお気に入りの様子。この写真は観光協会が作った2019年の年賀状にもなった(高梁市観光協会提供)

相原さんはこう話す。「偶然にも日本一の山城に登ってきたというのは奇跡だと思います。山は他にもたくさんありますし、普通の山だったら保護してくれる人間もおらず、のたれ死んでいたかもしれません。備中松山藩出身の武士・谷三十郎も、家を出て、大阪で道場を開き、京都で新選組の隊長になるわけですが、さんじゅーろー(猫)が家を出て城主になる姿と、なんだかオーバーラップしてしまいます」

再び逃亡。”殿”はどこへ?大捜索が始まった

こうして正式に観光協会の飼い猫となったさんじゅーろー。10月10日、地元紙に初めて掲載されて以来、テレビなど他のメディアからの取材が相次ぎ、一躍”時のねこ”となった。前述のとおり、備中松山城への来城者数は昨年(2018年)10月、前年同月比103%まで回復。もっと多くの観光客を招くため、さんじゅーろーへの期待は日に日に高まっていた。

ただ、このころは、城の管理人が毎日餌をあげていたが、いわば野良猫と同じ状態。城内に住み着いているのは確かだが、本丸から人が歩いて20〜30分ほどかかるふいご峠で見かけたという目撃情報があったかと思えば、数日姿を消した後、再び本丸に現れるといったように、その行動範囲はかなり広かったらしい。時には「さんじゅーろーに会いたい」とわざわざやってきた観光客が会えずに帰ることもあったという。

そんななか、大事件が起こる。11月4日のこと。その翌日に週刊誌の取材があり、東京から記者がやってくる予定だった。そこで、相原さんは「記者さんがさんじゅーろーと確実に会えるように」と、夕方、城にいたさんじゅーろーを成羽町にある相原さんの自宅へ、車で連れ帰ったのだった。

「私の家に連れて帰るのは初めてでははく、ワクチン接種などで病院へ行くために連れ帰ったこともあったので、そのときが3度目でした。夕方、自宅に着いて、家の中に入ってからさんじゅーろーを放せばよかったのに、その日は家の門の前で外に出してしまったんです。すると、パーッと一目散にどこかへ逃げていってしまって…」(相原さん)。これが昼間ならば、姿が見えればつかまえられたかもしれない。だが、その日はもう薄暗く、どこにいるかさえ、すぐにわからなくなった。

「大変なことになってしまった…」。夜遅くまで探しても見つからず、翌朝、明るくなってから探そうと家に戻ったが、一睡もできなかった。「せっかく世間から注目されるようになって、お客さんも増えてきたのに…。もしもいなくなってしまったら、お客さんや職員やまちの人たちを落胆させてしまう…」。翌日の取材はもちろん中止。それから、相原さんとともに働く観光協会事務局の職員たちも総出で、さんじゅーろーの大捜索が始まった。

さんじゅーろーの特徴が書かれた実際の捜索チラシ(高梁市観光協会提供)
さんじゅーろーの特徴が書かれた実際の捜索チラシ(高梁市観光協会提供)

「どんな些細な情報でもいいですから捜索にご協力ください」と、逃げ出した相原さんの自宅を中心に、郵便局員、農協職員、宅配業者、町内会の役員、老人クラブ、保護猫団体など、協力してもらえそうな団体や人たちにはすべて声をかけた。さんじゅーろーの写真と特徴が書かれたチラシを400枚作成して配布。また、地元紙やケーブルテレビ局にも協力をお願いし、「さんじゅーろーが行方不明。見かけた方は連絡を」と呼びかけてもらった。

その甲斐あって、地域の多くの人たちの協力を得ることができ、目撃情報が続々と集まった。中には「体の色がなんとなく似ている」といった”偽さんじゅーろー情報”も10件以上あったという。情報が寄せられるたび、相原さんら職員は、業務の合間をぬって情報提供者の元へと赴いた。「さんじゅーろーがいなくなったというだけで、これだけ地域の人たちが心配し、関心を持ってくれているのかと、ありがたい気持ちでいっぱいでした。ただ、同時にそのことが、なんとしても見つけ出さねばならないという、これまで経験したことのないプレッシャーにもなっていました」(相原さん)

そのころの相原さんの様子について、観光協会事務局次長の南賀隆さん(39)はこう振り返る。「パソコンのモニターよりも下に顔があって、昼になると弁当箱を開けるけど何も食べず…落ち込みようといったらすごかったです」。南さんはそんな相原さんに、「今は苦しいですけど、もし見つかったら、素晴らしい未来が待っているはずですよ。だからみんなで頑張りましょう。きっと見つかりますよ」と励ました。

地元紙にはこのころ、地元の人が詠んだこんな時事川柳も投稿された。

「さんじゅーろー 城下の声を 聞く旅に」

ついに発見!19日間の逃亡劇に幕

そんななか、「白い札を首に付けた茶白の猫がいる」との有力な情報が入ってきたのは11月12日。成羽町にある羽山ライスセンター付近での目撃情報だった。さんじゅーろーの首につけた白い札には名前と連絡先が書かれている。ちょうどいなくなる前、その札をつけた首輪が緩くなっていたので、観光協会事務局職員の池田綾子さん(31)がしっかりと締め直していた。今から考えるとそれがよかった。もし結び直していなければ、木や枝に引っかかったら危険だったろうし、札がなくなってしまっていたら特定する目印もなくなっていただろうからだ。

首輪の白い札には名前と、裏には連絡先の電話番号が書かれている(筆者撮影)
首輪の白い札には名前と、裏には連絡先の電話番号が書かれている(筆者撮影)

相原さんと一緒に駆けつけた観光協会事務局職員の大樫文子さん(36)はその時のことをこう振り返る。「『えっ、いるんですか?すぐ伺います』と、事務局長(相原さん)と一緒に喜びいさんで駆けつけたんです。道中ではすでにもう泣いていたんですよ。でも、着いたらいなくなっていて、『30分くらい前にはそこにいたんだけど、山の方へ入って行ったよ』と。その後、暗くなるまで周囲の山を探すも姿は見えず。で、がっくり肩を落として戻ってきたんですが、でも、その猫は白い札をしていたとのことで、さんじゅーろーにほぼ間違いないこと、元気でいたことがわかり、失望だけではなく、希望も持つことができたんです」

11月23日。祝日のその日も、相原さんは朝からずっと探していた。夕方、疲れ果てて自宅に帰ってくると、家の電話が鳴った。近所の人からだった。「いま、さんじゅーろーに似た猫が家の庭にいる」

そこは相原さん宅から直線距離でおよそ300メートル離れた場所。相原さんがすぐに駆けつけると白い札が見え、その猫は間違いなくさんじゅーろーだった。「僕を見ると、その家の裏山にダーッと逃げていきました。でも、見えなくなるギリギリの所で振り返って立ち止まったんですよ。『追いかけたら逃げる…』。そう思うと足が動かず、10分くらいその場で名前を呼び続けました。すると、ついにはトコトコと僕の方へ向かって歩いてきてくれたんです。でも、戻ってきても、すぐには手が出せませんでした。つかまえようとして、もしまた逃げられてしまったらと思うと震えてしまって…。それで、確実に僕の胸元までさんじゅーろーが入ったところで、倒れこむように抱きかかえました」(相原さん)

長かった19日間が終わった瞬間だった。さんじゅーろーをつかまえたその態勢のまま、相原さんは観光協会事務局職員のグループLINEに、立て続けに3通の短いメッセージを打った。必死で一緒に探してくれた仲間たちに、すぐにでも吉報を伝えたかったからだ。

「みんなーー」

「泣いてくれーー!」

「さんじゅーろーが僕の胸のなかに」

すると、すぐに他のメンバーたちから立て続けに返事があった。

「え!!!」

「まじですか!」

「どこにいたんですか?」

それから相原さんと職員たちのやりとりが続き、トーク画面は数時間、喜びと涙の言葉、スタンプであふれた。次長の南さんはそのとき、しばらく携帯を見ていなかったそうだ。「ふと見ると、未読100件以上となってたので驚きました。感動に完全に乗り遅れてしまいました(笑)」

逃亡する前、5.3キロだった体重は3.8キロまで減っていた。「抱き上げたとき、軽っ!と思いました。でもケガはしていないし、落ち着いていました。僕の家に連れて帰ると、何事もなかったかのように、いつもどおり部屋でのんびり休んでるんです。僕にはそれが安心しているように見えた。さんじゅーろーにしたら、ちょっと城下を散策に出かけてきた、くらいの感覚なのかもしれませんが」(相原さん)

無事に見つかって相原さん宅に戻ってきた直後のさんじゅーろー(相原さん提供)
無事に見つかって相原さん宅に戻ってきた直後のさんじゅーろー(相原さん提供)

翌日、相原さんは観光協会事務所へさんじゅーろーを連れていった。必死で探し回った他の職員たちもさんじゅーろーと再会を果たし、「無事に見つかって本当によかったね」と喜びあった。逃亡劇はとんだお騒がせ事件となってしまったが、相原さんと職員たちの絆を深め、多くの反省と学びをもたらした。「これまでは猫の生態や行動などについて全く無知でした。今後、猫城主として観光PRをする役割を果たしてもらおうというのなら、まずは猫のことをもっとよく知り、ストレスを与えたり逃げ出したりしないよう、飼育環境を適正に整えることが大切だと痛感したんです」と相原さんは話した。つづく。

フリーランスライター/写真家/児童書作家

1966年生まれ。関西大学社会学部卒業。1995年阪神淡路大震災を機にフリーランスライターになる。週刊誌やスポーツ紙などで日々のニュースやまちの話題など幅広いジャンルを取材する一方、「人と動物の絆を伝える」がライフワークテーマの一つ。主な著書(児童書ノンフィクション)は「犬のおまわりさんボギー ボクは、日本初の”警察広報犬”」、「猫のたま駅長 ローカル線を救った町の物語」、「備中松山城 猫城主さんじゅーろー」(いずれもハート出版)、「こまり顔の看板猫!ハチの物語」(集英社)など。現在は兵庫と福岡を拠点に活動。神戸新聞社まいどなニュースで「うちの福招きねこ〜西日本編」連載中。

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