運動によりアルツハイマー病の症状が改善するメカニズム

(写真:アフロ)

昨日に続いて、アルツハイマー病治療のための新しい分子標的に関する論文を紹介する。

運動を続けるとアルツハイマー病の発症を予防したり、あるいは病気の進行を遅らせる可能性があることを指摘した論文はこれまでも散見される。しかし必ずしも運動の効果を示すデータばかりではなく、発病してしまうと1週間に一回程度の運動では、ほとんど進行を遅らせることができないことを示す研究もある。このよう疫学的観察研究は、その背景の因果性がはっきりしない現象論で止まることが多い。

ところがブラジル・リオデジャネイロ大学、米国コロンビア大学、そしてカナダ西オンタリオ大学の共同チームが1月号のNature Medicineに発表した論文は、運動により誘導されアルツハイマー病の神経シナプス結合を改善させる分子を特定した点で画期的な研究だと思った(Laurenco et al, Exercise-linked FNDC5/irisin rescues synaptic plasticity and memory defects in Alzheimer’s models (運動と連動するFNDC5/irisinがアルツハイマー病のシナプスの可塑性と記憶を回復させる)Nature Medicine 25:165, 2019)。

運動すると筋肉の膜上に発現しているFNDC分子が切断され、irisinと名付けられた分子が細胞から離れて血中に分泌されることがこれまでの研究で知られていた。著者らは、アルツハイマー病(AD)に運動が効果があるなら、このirisinがその原因ではないかと着想し、FNDCに対する抗体を用いて脳を調べ、筋肉だけではなくADの主要な病巣である海馬でも強くFNDCが発現してirisinを分泌していることを確認する。

次に進行したAD、初期のAD、そして正常の海馬でのirisin量を調べ、進行性ADで脳内のirisinが著明に低下していること、また患者さんの脳脊髄液中のirisinも著明に低下していることを発見する。

面白いのは正常人では脳脊髄液中のirisinは年齢とともに上昇するが、ADになるとこの上昇が全く起こらない、あるいは少し低下する点だ。あたかもirisinが私たちの脳の老化を守ってくれているようだ。

そこでマウスモデルを用いて、脳細胞のFNDCをノックダウンする実験を行い、脳内でのFNDC合成がなくなると、海馬のシナプスの可塑性が低下するとともに物体認識の記憶が低下することを明らかにする。この結果は、筋肉だけでなくFNDCは脳にも発現して老化するシナプスの機能を守っていることを意味する。

では、irisinを投与することでADの症状は改善するのだろうか?もちろん一足飛びに人間で確かめるわけにはいかない。そこで、ADモデルマウスにirisinを投与する実験を行い、期待通りシナプスの可塑性と物体認識記憶が元に戻ることを突き止めた。この機能が回復したマウスの脳組織を取り出してシナプス活動を調べると、シナプス興奮の低下が大きく改善されることも示している。すなわち、irisinの低下はADの記憶症状をかなり説明することができる。

治療を考えると、脳内にirisinを注射するのは難しいので、脳内で合成されるirisinだけでなく、筋肉で合成されるirisinもこのようなアミロイドによる記憶低下を防ぐことができるのか調べるために、末梢からirisinをコードするアデノウイルスベクターを注射する実験を行い、末梢で合成されたirisinが脳内に移行して記憶を戻す作用があることを確認している。将来、irisinタンパク質そのものを用いた治療も考えられるだろう。

そして最後に、ネズミを一日1時間強制的に泳がせアミロイドで刺激した脳の記憶低下を抑えられるか調べ、運動がADに効果があるというこれまでの研究の分子メカニズムがirisinで説明できるかどうか調べている。結論はyesで、初めて運動とADとの相関関係が分子的に説明された。

これだけ見ると画期的な結果に思えるがもちろん問題もいくつかある。この研究はirisinが人間のADで低下していることを示しているが、機能回復実験は全て動物レベルの話で、人間もirisin投与が同じようにADに効くかをわからない。また、記憶障害実験がアミロイドを投与してシナプス機能を見る急性実験で行われており、時間をかけて進行する典型的ADでも同じ効果があるかを調べる必要があるだろう。

しかしシナプスレベルでの効果については再現は容易だと思うし、もしこの結果が正しく、人間でも運動で確かにirisinが高まっていることが証明できれば、irisinはアルツハイマー病の薬剤として大きく期待できる。更には、しっかりした運動メニューができれば、記憶力低下をエクササイズで防ぐことすらできることになる。

個人的には、現在使われているアリセプトと同じような対症療法になるのだろうと思うが、期待している。