ホモ・サピエンスを他の人類から分ける重要な性質

(写真:ロイター/アフロ)

ササとパンダ、ユーカリとコアラといった具合に、食性がきわめて限られている動物は多いが、悪食とすら言える人間のような多様な雑食性を持つ動物はそう多くないはずだ。ホモ・サピエンスの一人として食を考えると、民族による食の違いはきわめて大きく、食べ物の違いが民族のアイデンティティーになっているとすら言える。しかし各民族でどれほど食が多様化しようと、人間の交流が進むと必ずその壁にチャレンジするアウトサイダーが現れ、最終的に一般的食へと転換する。その結果、今や日本人もカタツムリを食し、外国人がフグを食べる。このあらゆるものにチャレンジする性格と、特殊を極める性格が両立しているのがホモ・サピエンスの特徴で、我々をネアンデルタール人や、デニソーワ人から分けたとする問題提起がドイツ イエナのマックスプランク人類史研究所とミシガン大学考古学博物館の研究者から行われた (Roberts and Stewart Defining the ‘generalist specialist’ niche for Pleistocene Homo sapiens(ホモ・サピエンスのgeneralist-specialistニッチを定義する)Nature Human Behaviour, 2018: https://doi.org/10.1038/s41562-018-0394-4)。 なるほどと納得したので紹介しよう。

この研究者に限らず、生物に興味がある人ならなぜ我々ホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人など他の人類を差し置いて地球の王者となったのか、その謎を解きたいと思っている。以前述べたように、個人的にはシナイ半島で10万年もの間、現生人類とネアンデルタール人が互いの領域に深く踏み込むことなく生きていたのに、5万年頃から急にこのバランスが崩れ、現生人類がヨーロッパを制圧したのは、音節を使った言語の誕生ではないかと思ってきた。さらに、この音節を使う言語の獲得をホモ・サピエンスだけが成し遂げられたのは、偶然のいたずらではないかとすら思っていた。

ところが、この論文の著者らは、ホモ・サピエンスだけがgeneralist-specialist、すなわち何にでもトライし(generalist)、それを極める(specialist)能力を持っていたことが、世界のあらゆる場所に進出できる駆動力となり、必然的に他の人類を凌駕したのではないかと考えている。ただ考えるのは自由だが、確たる証拠とは言わなくても、それを裏付ける合理的理由を示す必要がある。

この理由を列挙したのがこの論文で、特にホモ・サピエンスが、普通なら避けるはずの過酷な環境へ進出した例を探し出し示している。

全ての人類はアフリカで生まれ、その後他の大陸に移動するが、直立原人の次に出アフリカを果たした第2世代を見ると、ネアンデルタール人はヨーロッパから西アジア以上に居住域は広がらず、また正確にはわかっていないが、もう一種類の第2世代デニソーワ人もアルタイを中心にした領域のみに居住していたと考えられている。これに対し、30万年前にはアフリカを支配し、約10万年ぐらい前から、アラビアからインドを通る南ルートを辿って出アフリカを果たしたホモ・サピエンスは、なんと6.5万年前には海を渡ってオーストラリアまで到達している。さらに、5万年ほど前にシナイルートを通って北に移動を開始したグループは、その後ベーリング海峡を渡り、瞬く間に南アメリカまで全世界に拡がった。

この移動過程を遺跡から追っていくと、あえて困難な場所を選びそれに適応してしまうチャレンジ精神をホモ・サピエンスだけが持っていた可能性が見えてくる。論文で示された主な証拠をまとめると以下のようになる。

1) ホモ・サピエンスの出アフリカが最初に行われた南ルートには、人類一般の棲息場所としてのサバンナだけではなく、サウジの砂漠、そしてサバンナの民には苦手な熱帯雨林に加え、海面が下がっていたとはいえ海が存在しており、これらを乗り越えるだけでなく、それぞれの環境で居住し子孫を残しながらオーストラリアにまで広がったのは、GS能力がないと不可能だ。

2) それだけでなく、アフリカに始まり、ユーラシア、そしてアメリカまで、ほとんど生存に適さない高地をホモ・サピエンスがわざわざ選んで住み着いた遺跡が残っている。

3) 極地とも言えるベーリング海峡を渡り、アメリカ進出を果たしている。

以上の具体例として、ナミブ砂漠、カラハリ砂漠、北極圏の遺跡、チベットやアンデスに見つかる遺跡が挙げられているが、詳細はいいだろう。要するに、なんらかの必要性にかられたとはいえ、わざわざ生存に適しそうもない環境を選ぶチャレンジ能力は、決して最近の話ではなく、数万年前の遺跡から、ホモ・サピエンスにだけ見ることができるという結論だ。

確かに面白い指摘で、十分納得できるが、この可能性をどう証明していくのかは21世紀の課題だ。生きたネアンデルタール人を見ることができない以上、遺跡と、現存の人間の行動、そしてそれに対応する脳回路を関連させていく地道な研究が必要になると思う。ぜひそのような総合的考古学が我が国にも根づくことを願っている。