東南アジア民族の形成と縄文人

(ペイレスイメージズ/アフロ)

古代人のゲノム解析が進み、アフリカから、ヨーロッパ、さらにはオセアニア、アメリカでの各民族の形成過程が、遺跡に残る人骨から得られたDNAの解析から明らかにされつつあるが、東南アジアから我が国にかけての民族形成過程について調べた論文をNatureやScienceといった一般誌でお目にかかることはなかなかない。

ところがようやく、7月6日号のScienceに東南アジアから我が国の縄文人までカバーした古代人ゲノムの研究が発表された(McColl et al, The prehistoric peopling of Southeast Asia(先史時代の東南アジアの民族形成), Science 361:88, 2018: DOI: 10.1126/science.aat3628)。研究の主体はケンブリッジ大学だが、我が国の研究者も多く参加しており、そのおかげで縄文人についての記述が多く、初めて日本民族形成のイメージをつかむことができた。

この研究ではマレーシア、ラオス、タイ、ベトナム、インドネシア、フィリピン、そして愛知県伊川津貝塚から、2ー8千年前の人骨を集め、そのDNAを解析している。東南アジアや我が国で、古代人ゲノム研究が進まない理由は、研究レベルの問題もあるが、もう一つは高温多湿地帯のためDNAの変性が激しいことがある。この研究では、この問題をMYbaitsと呼ばれる液中で人間のDNAだけを精製する方法を用いて、低い精度ではあるがなんとか全ゲノムを解読し、古代人同士、あるいは現代人と比較している。

論文は50近くの図や表を擁する膨大な研究で、これにより東南アジア出土の古代人ゲノムはGroup1ー6までの6グループに分けることができることがわかった。例えばGroup1にはラオスHoabinhiansで発見された東南アジア最古の人骨DNAやマレー半島のJehai出土のDNA分類され、Group2にはベトナムの新石器時代から青銅器時代の人骨が分類される。他のGroupの分類とゲノムの構成については全て割愛するが、このように分類した先史時代のゲノムと現代の各民族を比べることで、西から移動してきた現生人類が農業とともに東南アジアに定住する過程を推定することが可能になる。

この膨大な話を全て紹介するのは無理なので、私が気にいった次の2つの話を紹介する。

1) この研究が行われた動機の一つは、各民族の定住を促した農業がどのように東南アジアに広まったかを明らかにすることだ。これまで、8千年前に出土した東南アジア最古の人骨Hoabinhiansが代表する狩猟採取民族が独自に農業を発展させ、東南アジアに広めたとする説と、東アジアで農業を始めた民族が、徐々に東南アジアの狩猟採取民を征服して置き換わっていったという説が存在していた。今回古代人ゲノムが解析され、それぞれの関係が明らかになった最大の成果は、東南アジアの民族が、文化的に優位な民族が他の民族を征服し置き換えるのではなく、混血を繰り返しながら文化を共有していったことが明らかになったことだ。これはインドヨーロッパ語文化圏の形成に並行して、ヨーロッパの先住民が、ヤムナ民族に置き換わったのとは全く違う。すなわち、異なる民族間で、ある種の平和的融合を通して混血と定住が進み、各地域の民族が形成されたのが、東南アジアの特徴と言える。事実それぞれのグループにはインドやパプアニューギニア民族からの遺伝子流入も見られることから、この融合範囲はかなり広い。

2) もう一つの話は、我々日本人にとって最も関わりのある問題、すなわち縄文人や現代日本民族の形成過程だ。縄文人の遺伝子解析はこれまでも行われており、東アジア人とも、東南アジア人とも違った、まだわからないルーツがあるとされていた。この研究で、ラオス・マレーシアの古いゲノムが解読されることで、このわからなかったルーツの一端がラオス・マレーシアを中心に分布していた最初の東南アジア人Group1に最も近いことがわかった。ただ、Group1に分類していいかと言われる混血が進んでおり、特に東アジア民族からの遺伝子を受け入れていることが分かる。すなわち、ラオス・マレーシアに移住してきたGroup1の末裔が東南アジアを経て日本に到達するまでに、その途上の民族とおそらく平和的に混血を繰り返して日本に到達したのが縄文人になる。そしてこの縄文の遺伝子は私たちにも脈々と受け継がれている。伊川津縄文人を2.5-3千年前(この研究で解析された骨の年代は2600年となっている)とすると、その後の3000年のうちに更に東アジア人と混血を繰り返して現代日本人が形成されたことになる。縄文や弥生人の人骨は多く残っているはずだ。これらの解析が進めば、日本列島で起こった過程も明らかになるだろう。

東南アジアでも、歴史が始まると多くの争いが起こり、征服や支配が行われた。しかし、農業が始まる頃の定住と民族形成が征服ではなく融合が基本だったことは、東南アジアの精神性の重要な基盤となっているのかもしれない。タイ・バンコックの国立博物館を訪れた時、タイ民族が7種類の民族のゲノムが混じり合ってできていることを誇りにしているビデオ展示を見て、純血を重要視しない王国があると感心した。しかも、その民族の中には日本民族も含まれている。

この論文を読んで、世界一多様な遺伝子が混じった民族であることを誇りにする日本人でありたいと思った。