Asperger's children:アスペルガーとナチの関係

(ペイレスイメージズ/アフロ)

ハンス・アスペルガー

アスペルガー症候群という名称は、一般の方にもかなりポピュラーになっているのではないでしょうか。何か一つのことにこだわりがあって優秀なのだが、社会性がなくコミュニケーションのとりにくい人がいると、「彼(男性が多い)はアスペルガーとちがう?」などと門外漢でも簡単に診断を下しているのをしばしば耳にします。

このアスペルガーという名前は、ウィーン大学小児病院で自閉症概念の成立に力を尽くしたHans Aspergerのことで、症候群に名前が付いているだけではなく、フィラデルフィアのカナー医師とともに、自閉症概念の成立にも大きな貢献があった医師だとされています。彼の業績は、長い間カナー博士の業績に隠れて忘れられていたのですが、1944年に彼が発表した学位論文を読んだ英国の精神科医Lorna Wingにより再発見され、アスペルガー症候群という名前とともに世界的に有名になります。

もちろん1973年卒業の私は、この病気について習ったことは全くありません。私自身がアスペルガーのことを詳しく知ったのは、「レナートの朝」の著者として有名な、シルバーマンが自閉症について一般向けに書いた「NeuroTribes」を通してです。そこには、小児の行動をありのままに把握し、理解を通して独自の見解に基づいて診断する真摯な医師の姿が描かれています。同じ病院には「夜と霧」の著者でユダヤ人収容所を生き延びたフランクルなど多くのユダヤ人が働いており、ナチスのオーストリア併合をきっかけに全員職場を追われます。しかし、生粋のオーストリア人のアスペルガーはそのまま職にとどまり、医師として研究者として困難なナチス時代を過ごし、戦後もそのまま児童精神科医として恵まれたキャリアを全うし、1980年にオーストリアで死去しています。

アスペルガーとナチス

NeuroTribesを読んだあと、私はアスペルガーが、ナチスの社会負担を軽減することを目的とした発達障害児を安楽死させる政策に抵抗した良心の医師であるという印象を持ちました。誰だってあの時代にナチスに対しおおっぴらに抵抗するのは難しいと思います。彼が自閉症と診断した子供が、結局ナチスのプログラムで殺されたとしても、仕方なかったと思っていました。

ところが、今日紹介する オーストリア・ウィーン医科大学からの論文は、これまで私が持っていたナチに密かに抵抗した医師というアスペルガーのイメージを完全に覆しました。チェコで出版されている雑誌Molecular Autismに4月19日に発表されました(H.Czech. Hans Asperger, National Socialism, and“race hygiene” in Nazi-era Vienna(ナチ支配下のウィーンにおけるハンス アスペルガー、ナチス、そして民族浄化) Molecular Autism 9: 29, 2018 :https://molecularautism.biomedcentral.com/articles/10.1186/s13229-018-0208-6)。

これに続いて、この論文の中でも紹介されている Eith Sheffer著「Asperger’s Children」が5月1日に発売されました。早速手に入れて、この本も読みました。両方を読んで、アスペルガーがナチスに対する批判者ではなく、実際には積極的な支持者だったことを認識すると同時に、私自身が関わってきた医学の持つ現在についても多くのことを考える機会になりました。今日は、そんな感想も交えて、この論文を紹介します。

論文の概要

ナチス時代、ウィーン大学で発達障害の子供の治療を目的に設立されたHeilpaedagogik(教育治療)では、発達障害児の安楽死も治療の一つとして認め、ナチスの民族浄化の名の下、多くの子供達を殺したことが知られています。戦後連合国による調査が行われ、アスペルガーを除いて(終戦時はクロアチアに従軍中)この病院で働いていた医師全員がナチスの協力者として病院から追放されます。従軍中だったとはいえ、この病院に深く関わってきたアスペルガーだけが追放を逃れたことから、彼がナチスへの抵抗者だったことを裏付けているように思えますが、逆の意見も根強くあった様です。

この研究では、これまで見落とされてきた様々な当時の資料を集め、彼がナチスに小さな抵抗を試みていたとする、彼自身の証言も含めたこれまでの記録の正当性を再検討しています。アスペルガーが反ナチスだったとするこれまでの根拠として、1)ナチスの組織に属さなかった、2)ナチス当局にマークされていた、3)自分が扱った障害児が安楽死処理を受けないよう、診断をごまかした、の3点が挙げられていました。

この研究ではこれまで記載されていたこれらの証拠にはほとんど正当性がないことを当時の文献を掘り起こして証明しています。

43ページの長い論文なので、詳細を省いてこの論文の反論を次の様にまとめてみました。

1) 彼はナチス直下の組織ではないが、ナチスが認める関連組織には属しており、また彼の倫理活動の中心だった、カソリック組織は必ずしも反ナチ集団ではなかった。

2) 役所側に残っている、ゲシュタポのアスペルガーに対する評価によると、彼は要注意人物としてマークされていなかった。

3) 安楽死施設の方に残っている小児病院での彼の診断書と、安楽死施設の医師の診断書を比べ、彼が診断を軽めにして安楽死を防ごうとした痕跡がないどころか、彼のほうが安楽死施設の医師より重い診断を下し、子供が親の負担になると書き添えた診断書も存在すること。

などが主な論点になると思います。すなわち、彼がナチスの協力者で、安楽死施設へ送られることを知った上で障害児についての診断を行なったことが記録で裏付けられました。

Asperger’s Childrenを読んで

この論文を読んだ後、5月1日に発売されたSheffer著 Asperger’s Childrenを読んで、彼が有名な小児精神医になろうと、ナチスの思想に賛同する指導者Hambergerを介して近づき、積極的協力者になった経緯がよくわかりました。この本では、ナチスが発達障害児の治療と称して安楽死を選択肢に加え、システムを作り上げた過程についても知ることができます。特に私の印象に残ったのが、ヒットラーがこの可能性を思いついた経緯でした。民族浄化、ユダヤ人迫害の延長線上に自動的に発想されたものではなく、発達障害を持つ父親がヒットラーに安楽死を求めて直訴したことがきっかけになってシステム化された様です。 もちろん一冊の本、一編の論文だけで結論を下すことは難しいと思いますが、私にとっては十分説得力がある様に見えました。

しかし、80年近くたって、自閉症の概念形成に貢献したことが間違いないアスペルガーを糾弾する意味があるのでしょうか?

私は、過去の人を糾弾する目的ではなく、生きている私たちを戒める意味で十分価値があると思っています。

多くの科学者がもつ、有名になりたいという気持ちは、ときの権力や思想と結びつきやすいことです。かくいう私も、ミレニアムプロジェクトではそれを経験しています。そして、近代に入るとどんな政権も、科学を味方につけようと躍起になります。ドイツだけでなく、戦前には優生思想が「科学的」結論として政策に反映されました。我が国もそうですが、断種は各国で行われたのです。これには「違いの原因を定義する学問」としての遺伝学の関与が必須です。そして、科学とは無関係に振り分けが行われたこともあったでしょうが、遺伝学に基づく以上、振り分けには医師の診断が必要だったのです。

アスペルガー症候群の名前はその後、自閉症を多様な状態としてありのままに捉える(この考えにはアスペルガーも大きく寄与しています)自閉症スペクトラム概念の誕生で、診断名から外されます。これは、医師の行う診断という極めて重い行為を軽減するものだと思います。とはいえ、今子供の発達障害で問題になるのは、「診断」の遅れです。特に遺伝子診断の遅れが治療機会を奪ってしまいます。この様に、診断はやはり医学で最も重要な行為です。

そう考えると、医師としては診断という振り分けの重みを十分理解し、これが社会的差別に繋がらない世の中を作るために努力するしかないと思います。Asperger’s Childrenはいつか翻訳されると思いますが、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思いました。