酵母ゲノムに刻まれた人類と発酵の歴史

酒には発酵食品がよく合う(写真:アフロ)

昨日に続いて今日もお酒の話になりそうです。

発酵食品というとみなさんは何を思い浮かべられるでしょうか?

私自身は残り少ない人生を楽しく暮らしたいと、最近はお酒中心の食生活を送っています。もちろん大酒を飲むことはないですが、酒を楽しむ生活をできるだけ続けたいと考えています。そのためでしょうか、毎日の食卓を思い起こしてみると、発酵製品の上る頻度が大変多いのに自分でも驚いています。お酒の中で一番よく飲むのがワインですが、もちろん発酵飲料です。しかしビールや酒や焼酎でも同じで、必ず発酵過程が必要です。次にワインとともに食べるパン、発酵バター、チーズは全て発酵食品です。おそらく和食でも同じではないでしょうか?味噌汁や醤油、お漬物など多くの発酵食品を思いつくことができます。この発酵には酵母が使われますが、このような多くの発酵食品を開発してきた人類の歴史は酵母を飼いならしてきた歴史だと言えるかもしれません。

このことを見事に示してくれたのが、2016年に、ビールの国ベルギーのルーヴェンキリスト教大学がCellに発表した酵母のゲノムについての論文でした(Gallone et al, Cell 166: 1397, 2016:私のブログでも紹介していますので参考にしてください。)。世界各国で醸造に用いられている酵母157種類のゲノムを比べ、人間の好みや文化が酵母を変化させ多様化させた過程について教えてくれました。この論文の結果を一言で表すとすると、「醸造に使われる酵母には、人類の歴史、文化、各民族の嗜好が記録されている」と言えます。ただ、これだけではあまりにそっけないので、私のブログでまとめて紹介した内容をもう一度引用しておきます。

1) 世界中でアルコール醸造のために使われる酵母は、ほんの数種類の先祖から由来している。

2) 中でもビール酵母の多様性は大きく、英国やヨーロッパ内のビール酵母の多様性は著しい。一方、アメリカのビール酵母は、多様性が低い。

3) 酵母の系統の確立は17世紀頃で、微生物学の概念が生まれるより前からそれぞれの土地で、人間の手で系統化された。

4) ビール酵母は醸造から醸造へと麦汁に植え注がれ培養を続けていくので、すでに胞子形成能力など野生の力を失っている。一方、ワイン酵母は、ブドウや昆虫とともに自然を生き続けているので(自然ワインのこと)、胞子形成能や自然ストレスへの耐性が維持されている。

5) ビール酵母は、2種類の異なる先祖から由来しているが、醸造後に目指す味が同じため、匂いや味に関わる遺伝子の変化がよく似ている。

6)ビールだけでなく、日本酒やワインでも嫌らう、強いスパイシーなクローバーの匂いは主に4VGという物質由来で、この物質を作る酵素は酵母から除かれていることが多いが、この匂いを特徴とするドイツのヴァイツェンビール酵母では例外的に維持されている。

酒好きの私が最も関心したのは、4)で、ビール酵母は人類に飼いならされすぎて自然を生き抜く力を全部失ってしまっているのに、1年間葡萄の木にしがみついて発酵を助ける自然ワイン酵母は、自然の中で生き残る野性の力を残しているという点でした。今も、ワインを飲むたびに、葡萄にしがみついて自然を生き抜いて醸造に参加してくれた酵母が愛おしく思えます。

しかしベルギーの研究では、人間によって飼いならされていない野生の酵母が解析されておらず、何が野生に近いかなど全く判断できませんでした。これは、野生の酵母が発見されていなかったことにもよります。そしてあれから2年、野生の酵母も加えたなんと1011種類の世界中の酵母のゲノムを解析した論文が、今度はワインの国フランスの首都ラスブールから4月19日号のNatureに発表されました。(Peter et al,Genome evolution across 1,011 Saccharomyces cervisiae isolates(1011種類の出芽酵母分離株のゲノム進化), Nature 556:339, 2018,https://doi.org/10.1038/s41586-018-0030-5)。

ベルギーの研究と同じで、この研究でも酵母の全DNAの配列を解読して、酵母同士の関係を比べています。ただこの研究では、ベルギーの研究の8倍、なんと1011種類の酵母を調べ、さらに人間に影響されていない野生の酵母を解析に加えていることで、全世界に広がった酵母同士の関係をかなりのレベルで明らかにすることができています。また、日本の酒についてもかなり深く解析していることも、日本人にとっては有難いことです。

内容は多岐にわたり、専門的なことも多いので、独断で面白いと感じた内容だけを箇条書きにまとめておきます。

1)まず野生の酵母と比べてわかった最も重要な発見は、すべての酵母が中国由来であることです。醸造に使われる出芽酵母(S.cervisiae)は近縁種から約30万年前に中国で分離したと推察されます。この野生の酵母がいつ発酵に使われるようになったかはわかりません。しかし1万5千年前後には中国からアジアを含むさまざまな地区に広がっています。

2)この中から、大きく2種類の系統が食用に今度は人の手で分離されていきます。一つはヨーロッパ、アメリカ、アフリカで発酵に用いられる酵母群で、ワイン酵母やビール酵母も含まれます。もう一つの系統がアジア各国、アメリカ、ロシア東部に見られる野生種に近い酵母群です。そして、この間に両者が様々な割合で交じった数多くの雑種が含まれています。

3)面白いことに、東アジアでは酵母を野生に近いまま利用しているようです。その意味で、日本の酒酵母は醸造用としては最も野生に近いようです。とはいえ、酒造りの方法から考えても人間が飼いならしていますから、ビール酵母と同じですでに野生の力は失っているようです。

4)醸造用として酵母が飼い慣らされるのが、日本の酒では4000年前と、ワインの1500年より古いのに驚きます。「ワインはもっと古くから飲まれているのでは?」と不思議に思われるかもしれませんが、製法として確立したことを指すのだと思います。4000年前といえば、日本はまだ縄文時代です。一方、1500年前というとローマ時代後期です。そう考えると、酒造りの歴史では我が国はどの国にも負けないようです。

5)ただ酒酵母とワイン酵母が種として分化したのが約1万3千年前と推定されていますから、だいたい中国外に広がった時期に一致しています。

6)醸造用酵母のゲノムの特徴については、今回の研究も先にまとめたベルギーの研究とほぼ同じ結果で、例えばビール酵母では胞子形成は全くできないことも確認されています。酒酵母も同じで、染色体異常をもつ種へと変化して、野生の力は失っています。

この論文ではここで紹介した何倍ものデータが示されており、到底紹介しきれるものではありません。お酒の席で話の種にするにはこの程度の紹介で十分ではないでしょうか。論文はオープンアクセスで誰でも読めますから、興味のある方は是非読んでみてください。楽しい論文で、私もお酒を飲むたびに思い出すのだろうと思っています。