我が国では脳死移植の導入が遅れた。この原因を我が国の葬儀の大半を執り行う仏教の教えと関係があるように思いがちだが、本来の仏教は死体自体にそれほど頓着することはないように思う。韓国でも脳死移植導入が遅れたことを考え合わせると、死体を傷つけることを忌み嫌う心情は、先祖を大事にする儒教から来ているのではないだろうか。

死体を利用することについての宗教的態度を比べると、キリスト教、特にカソリックの立場は明確で、ルネッサンス時代には解剖を観察することが医学者だけでなく、画家や彫刻家にも勧められていたことは、アルベルティの「絵画論」によく現れている。実際、18世紀まで、ヨーロッパでは多くの解剖図譜が描かれたが、描かれたのは死体と言うより、体内が露出した生き生きとした身体と言っていいのではないだろうか。

一方、スクリーチ著の「江戸の身体を開く」(作品社)を読むと、日本の解剖図譜では死体を腑分ける過程として描かれている。これは、小野小町が死んだ後、朽ち果てていく様を描いた「小野小町九相図」の伝統といってもいい。

この文化の違いがはっきり出た論文が、最近Annals of Neurologyという雑誌に掲載されたので、ぜひ紹介したい(Dreier et al, Annals of Neurology 83:295,2018)。すなわち、死にゆく脳の活動を正確に記録したという研究で、まず我が国では不可能だと思う。といっても、脳死の話ではなく、心臓が停止した後、脳が死ぬまでの過程の話だ。実際、この過程は医師になれば日常的に経験する過程だし、医師でなくとも何回かは経験する。

脳への循環が止まると途端に脳細胞は変性を始め、10分以内に回復が不可能になる。この時脳細胞で何が起こっているのかは、動物モデルで詳しく研究されている。ラットを用いた研究から、脳の死へのプロセスには2つの重要なイベントがあることが明らかになっている。循環が停止して酸素の供給が止まり、脳内の酸素濃度が急速に低下すると、これを感知したグリア細胞により脳細胞の活動を停止させるスイッチが入る。短い期間だが細胞を守ろうとする反応だ。この脳活動を停止させている間に、細胞膜の電位を維持する努力が行われるが、循環が止まったままでは1-2分しかもたず、細胞の内と外の違いを維持することができず、細胞膜の脱分極が始まり、この脱分極はまだ生きている隣の領域へと拡大する。この脱分極が起こると、もう脳細胞が元に戻ることはない。

このプロセスを生理学の言葉で言い換えると、細胞の興奮性を抑制した上で、脳細胞が細胞内外のイオン濃度を保つためATP依存的に様々なポンプを用いてイオンを汲み出したり、組み上げたりして膜電位を元に戻そうとするうちに、ATP切れに陥り、結局膜電位差を維持できずに脱分極が広がるとされている。

では人間でも同じことが起こっているのか?これを確かめるのは簡単ではない。これまで、脳波計を用いて、循環が止まった後亡くなるまでの過程が調べられているが、頭蓋の外からの記録は解釈が難しい。実際には、脳内に直接電極を設置して記録を取る必要がある。

今日紹介するドイツベルリンのシャリテ病院とシンシナティ大学からの論文は生命維持装置を外した後の脳細胞の活動を脳内の電極で記録した研究でAnnlas of Neurology2月号に掲載された。タイトルは「Terminal spreading depolarization and electrical silence in death of human cerebral cortex(人間の脳皮質が死にゆく過程で見られる最後の脱分極と電気的停止)」だ。

この研究では、脳出血や外傷で呼吸中枢の機能が失われたため、生命維持装置を装着した患者さんが、家族の判断で生命維持装置を外す時、許可を得て脳皮質表面、あるいは深部の数カ所に細胞の興奮性を記録する電極を設置、様々な脳の活動指標をモニターしながら、脳内の酸素分圧の低下から始まる脳細胞の最後の様子を記録している。

もちろん一人一人の患者さんは、生命維持装置を外す前に様々な処置を受けているので、詳しく見ると死にゆく過程は、十人十色だ。しかし結論的には動物も人間も違いはなく、急速に酸素濃度が低下すると、同じコースを辿って脳細胞が死を迎える。

おそらく新しい発見として、脱分極が活動中の神経へ広がる反応は、まだ酸素分圧が下がらない前から、散発的に見られる。これが何を意味するのか明確に答えてはいないが、今後脳波を解釈する上で、脱分極=不可逆的死と決めつけることの危険性を警告している。

全員共通に見られる過程をピックアップしてまとめるとすると以下のようになるだろう。酸素濃度が急に低下すると脳細胞の活動を止めるメカニズムがあり、これによりほぼ同時に脳の興奮が止まる。これは、ATPを使って脳細胞をなんとか回復させようとする防御反応の表れで、これが維持できる間はまだ回復の可能性がある。しかし、ATPが尽きてしまうと、脱分極が始まり、これはまだ努力を続けている領域を巻き込んで広がってしまうというシナリオだ。

もちろんこの研究に協力していただいた患者さんのおかげで、急性心停止の場合の蘇生をどう図るかのための貴重な資料が得られたと思う。

しかし死のプロセスも、人間となると意外とわかっていないのだという印象を持った。いずれにせよ私の脳も、いつか同じ過程に見舞われるが、それまでは頑張ろうという気にさせる不思議な論文だった。