サピエンスの歴史 III 出アフリカ

(提供:MPI EVA Leipzig/ロイター/アフロ)

ヨーロッパ中心に歴史が見られた時代、ホモサピエンスはシナイ半島を通ってヨーロッパに移動したと考えられていた。しかし、多くの発掘が進み、時代測定が正確になると、現生人類が出アフリカを果たしたのは10万年以上前でアラビアルートを使ったことがわかってきた(図1)。一方、シナイ半島ルートは約5万年前まで使われることはなかった。もちろん、少ない数で出アフリカが試みられることはあったと思うが、化石として現在残る出アフリカの痕跡が、なぜ10万年前と5万年前の2波に分かれたのか考えてみたい。ただ、今回は個人的意見も多く混じっているので、お話として読んでいただければと思う。

気候変動

人類に限らず、動物の移動を促す要因は、大きく分けて他の種との関係による生物学的要因と、気候学的要因に分かれる。まずホモサピエンスの出アフリカ時期前後の気候について見てみよう。

映画ジュラシックパークで有名になった、恐竜の闊歩するジュラ紀から地球は温暖化時代に突入し、5000万年前にピークを迎える。以後現代まで、温暖化と寒冷化を繰り返しながら、しかし平均気温は下がり続け、人類が最初に誕生した500万年前から我々ホモサピエンスが生まれた70万年前を比べると、ざっとだが平均気温は7-10度ぐらい低かった。

従って、アフリカで生まれてから出アフリカまで、地球全体でみると氷河期と現在と同じような温暖な時代を10回以上繰り返している。この間、ネアンデルタール人や直立原人は出アフリカを果たすが、おそらく移動はユーラシアが暖かい時期に獲物を追いながら行われたのだろう。

最後の氷河期は約12000年前に起こり、強い淘汰圧になったと考えるが、この時期には現生人類はアメリカ大陸を含むほぼ世界全土に分布を終えていた。

こう考えると、完全に否定することは難しいが、人類の出アフリカが気候変動だけに強く影響されたとは考えにくい。

アラビアルート

出アフリカに及ぼす気候要因の影響が強くないとすると、他の種との関係で出アフリカの時期が決まった可能性が高い。まずもう一度ホモサピエンスの出アフリカルートを以前もお示しした図を用いて説明しよう。

遺跡の年代から見るホモサピエンスの出アフリカルート、 Science:DOI: 10.1126/science.aai9067をもとに筆者作成。数字は万年前
遺跡の年代から見るホモサピエンスの出アフリカルート、 Science:DOI: 10.1126/science.aai9067をもとに筆者作成。数字は万年前

現生人類が生きていた年代が明らかな遺跡をつなぐと、図示されたルートが現れる。このルート上のアラビアやインドなどで見つかる遺跡では人骨は発見されておらず、石器など遺物の年代から測定されたものだが、オーストラリア出土の最古の現生人類が6.5万年前と確定していることから(Nature、547: 306, 2017) 、南ルートの年代は概ね正しいと考えていいだろう。すなわち早くからこのルートは開いていた。

そのインドで、直立原人が通常使っていた石器より進歩した石器が38万年前の地層から見つかった(Akhilesch et al, Nature 554, 97, 2018)、この結果は、この地域が早くから現生人類、あるいは古代人類との交流があったことを物語っている。ネアンデルタール人の分布から考えると(後述)、古代人類がネアンデルタール人であった可能性は低いが、オーストラリアの原住民にデニソーワ人のゲノムが流入していることを考えると、デニソーワ人だった可能性も高い。

もちろん、現生人類はもっと早くからインドに移動していた可能性も捨てがたい。

いずれにせよ、アラビアからインドにかけてのルートにはホモサピエンスの移動を妨げる強い人類はいなかったようだ。

シナイ半島ルート

私たちの先祖がネアンデルタール人と交雑していたというライプチヒ・マックスプランク研究所のペーボさんの発見のおかげで、私たちはなんとなくネアンデルタール人を友好的に感じるようになり、我々の先祖と熾烈な争いを経て滅ぼされた「敵」のイメージは薄まった気がする。しかし、現生人類のシナイ半島からの出アフリカが、5万年近く遅れていることから、このルートが気候以外の要因で閉ざされていたと考えざるをえない。

事実、シナイ半島への現生人類の進出は10万年以上前で、今年の1月にはイスラエル・カメル山近くの洞窟からなんと16万年前の現生人類の骨が発掘された(Hershkovitz et al, Science 359: 2018)。このことは、現生人類は早くからシナイ半島に進出を果たしていたものの、北上が抑えられていたと考えられる。

このシナイ半島ルートを抑えていた要因こそが、ネアンデルタール人だ。図2はネアンデルタール人が分布していた地域を図1に重ねたものだが(大まかな図で細部は正確でない)、アラビアルートには存在しないが、シナイルートは完全に現生人類とぶつかっているのがわかる。

図1にネアンデルタール人の遺跡が発見される領域を筆者が書き加えた。数字は万年前
図1にネアンデルタール人の遺跡が発見される領域を筆者が書き加えた。数字は万年前

新しい発掘データから、現生人類は20万年前にすでにシナイ半島に進出していた可能性がある。とすると、20万年前に進出したシナイ半島からの北上を阻み続けたのはネアンデルタール人だった可能性が高い。そして、5万年になるまで、この衝突ではネアンデルタール人の方が優勢に立っていたのだろう。だからと言って、現在のシナイ半島のように両者の衝突が常に起こっていたわけではないだろう。ネアンデルタール人は寒冷地に適応しており、現生人類は温暖な地域に適応していたため、自然に分離していたのかもしれない。

ただ5万年前、この均衡が壊れ、現生人類が怒涛のごとく、ネアンデルタール人の居住するヨーロッパへ侵入を始める。

何がこの均衡を破ったのか、サピエンスの歴史最終回となる次回考えてみたい。