もし顔のない「のっぺらぼう」に育てられたら?

(写真:アフロ)

プサメティコス王の禁じられた実験

私たちの能力の何が生まれつきで、何が学習した結果なのか比べる方法が一つだけある。それは、子供を生まれてすぐに社会から隔離し、学習の機会を完全に奪って育て、特定の能力が発達するかどうかを調べることだ。例えば言語を介するコミュニケーション能力は生まれつき備わっているのか、あるいは学習が必要かについては今も議論が続いているが、おそらくこのような実験ができれば決着がつくだろう。しかし、そう分かっていても、このような実験が可能だとは誰も思わない。

そんな禁じられた実験を行った王がいたことを、ギリシャの歴史家ヘロドトスは書いている。それがエジプトのプサメティコスI世だ。プサメティコスは、地球上に最初に誕生した人間がどの民族で、何語を話したのかと疑問を持った。そして、もし人間の子供を孤島に隔離し、成長に必要なサポートだけ与えて育てた時、最初に発する言葉こそが、最初の民族の言葉だと考えた。そして、この実験を実行し、2年目に子供たちはフリギア語で「Bekos(パン)」と叫んだので、最初の民族がフリギア人であると納得したという話だ。

サルを用いたプサメティコスの実験

ヘロドトスの記載とはいえ、実際にこの実験が行われたかどうかは定かではない。ただ、人間の代わりにサルを使ったプサメティコスの実験は実際に行われており、今日は最近発表されたハーバード大学からの研究を紹介したい(Arcaro et al, Seeing faces is necessary for face-domain formation(顔を見ることが顔認識領域の形成に必要), Nature Neuroscience, in press, 2017,doi:10.1038/nn.4635, 2017)。

サルや人間だけでなく、犬ですら他の個体に出会うと、次の出方を探るためまず相手の表情をよもうとしているように見える。このまず顔を見るという行動が、生まれついての本能なのか、コンピュータのディープラーニングのように、学習しているうちに顔から見た方が相手の出方がわかると学習したからなのか、その理由は明らかではない。そして、この問題こそプサメティコスの方法を試すにはうってつけの課題だ。すなわち、顔を見たことのないサルを育てればいい。

プサメティコスの方法をそのまま当てはめると、生まれたばかりのサルをすぐ親から隔離し、サルや人間と出会わないように育てることになる。しかし、この方法だと、他の個体と出会わなかったための結果なのか、顔を見なかったことによる結果なのか、区別するのは難しい。そこで著者らは、愛情を持ってミルクを与えたり、あやしたりと人間の手で育てるのだが、サルに近づくすべての人間は顔を溶接時に使うマスクで隠し、決して表情を見せないようにして世話をし、実験している。もちろん他のサルとも出会うこともない。この条件で育てて1年以上経った時点で、初めてビデオで顔というものに出会うことになる。

プサメティコスの実験と同じで、いくらサルとはいえ少しかわいそうな気がする。しかし、ケージには母親代わりの毛皮の人形(顔はない)を入れ、常に愛情を持って接することで、サルが不安に陥るのを抑えている。

顔のないのっぺらぼうに育てられると顔に反応する脳領域が失われる

論文を読んでみると、このようなプサメティコス実験は以前にも行われている。サルを育てる1~2年の間、実験できる日をひたすら待ち続ける苦労をいとわず、プサメティコス実験をやろうという研究者がいるのに驚く。ただこれまでの研究と異なり、この研究の重要性は、顔を見ないで育てた結果を行動解析だけでなく、MRI検査による脳の反応も調べている点で、顔に反応する脳領域が最初から存在するのか、あるいは学習で生まれるのかがわかる。

詳細を省いて結果を紹介すると、

1)顔を見ないで育ったサルは、普通のサルの下部側頭葉内にある、顔を見て興奮する領域が全く形成されない。

2)手や体など、体の他の部分に反応する脳領域は正常に発達する。

3)視覚認識の基本になる、網膜の空間地図が投射された脳領域は正常に形成される。

4)顔を見ないで育ったサルは、人間の写真やビデオを見ても、顔に視線を向けることは稀で、視線は体の他の部分に集中する。

5)例えばハンマーなど、静物を見た時の視線の動きは他のサルと変わることはない。

とまとめられるだろう。

以上の結果は、網膜の刺激を処理する空間地図は脳内にできていても、この領域への刺激を統合して顔というカテゴリーを形成するには、顔を見て育つ必要があることを示している。私たちは毎日表情から人の心をよもうと腐心するが、結局これも学習の結果だとすると、成長期にどんな顔を見て育つかは重要だ。