開頭手術を受けている間にサキソフォンを演奏

(写真:アフロ)

21世紀科学にとっての最大の課題「言語」

言語は人間特有の能力で、他の動物を抑えて地球に100億近い個体が生存し、地球の大気まで変化させる原動力になっている。この意味で、言語の誕生過程を理解することは、21世紀最大の科学の課題だ。

しかし言語だけ取り出して研究するのは難しい。個人的には、言語の誕生を理解するためには、言語とともに道具の使用、音楽を合わせて考えていくことが重要だと思っている。実際失語症の患者さんの中には道具がうまく使えなくなる失行症や、音楽がわからなくなるamusia(失音楽症)が併発することが知られている。また言語より先に誕生した、道具や、そしておそらく音楽も、言語の誕生とともに、長い眠りから覚めたように大きな質的転換をとげて急速に発展する(JT生命誌研究館に書いた「道具と言葉」「音楽と言語」を是非一読願いたい)。

脳外科手術の間に脳の刺激実験を行ったカナダの医師ペンフィールド

音楽能力を支配する脳領域の研究者は増えてきたと思うが、今日紹介するニューヨーク・ロチェスター大学からの論文のように人間の脳を直接操作した研究には滅多にお目にかかれない。この論文は、良性の脳腫瘍にかかったプロのサキソフォン演奏家の腫瘍摘出手術中に、音楽に関わる脳領域を直接刺激すると音楽能力が選択的に障害されることを示した症例報告で、9月11月発行のCurrent Biologyに掲載されている(Garcea et al, Direct electrical stimulation in the human brain disrupts melody processing(人間の脳を直接電気的に刺激するとメロディーの処理が障害される), Current Biology , 27:1-8, 2017)

脳科学を学ぶ学生なら誰もが知っていることだが、脳外科の手術中に電極を挿入して患者さんの反応を調べたのが、カナダのペンフィールドで、彼のおかげで脳の各領域と、体の各部分の感覚や運動との対応関係が明らかになった。これは、他の手術と異なり、脳外科手術の多くは患者さんの意識を保ったまま行われるからだ。もちろん人間の刺激実験が行われるのは最後の最後だが、脳に関しては人間を調べることでしかわからないことも多く、現在も患者さんの了承をとって同じような研究は続いている。

実験の概要

ただペンフィールド時代と異なるのは、脳機能を調べるイメージング技術が進んでいることで、この研究でも、ピッチ、メロディー、リズムなど様々な音楽の要素に関わる脳の領域を前もって詳しく調べている。

実際には音楽に関わる脳領域は人により大きく異なる。芸術は右脳と言われるが、例えばプロの音楽家では言語と音楽は左脳に支配される確率が高いことがわかっている。なんと、有名なフランスの作曲家ラベルは左脳の出血により、言葉と音楽理解の両方を失っている。AEさんの場合は多くの一般人と同じで、右脳の上側頭回と言われる場所が最も音楽に反応することを確認している。

さらに、開頭中にサキソフォンを演奏させることまで計画に入れており、手術中にAEさんが負担なく演奏できるように、息継ぎが短くて済む特注の音楽を聴かせ、弾けるように練習させている(ビデオで見るとこの音楽とはなんと朝鮮民謡「アリラン」だったので驚いた)。

そしていよいよ実験だ。まず、音楽を聞いたり、マイクをもって口ずさんだり、さらにはサキソフォンが演奏できる最も楽なポジションを選んで座らせる。そのまま全身麻酔で眠らせた後、開頭して脳を露出させた後、麻酔が冷めるのを待つ。そして、絵を見てものの名前を言うテスト、聞いた言葉を繰り返すテスト、聞いたメロディーを口ずさむテスト、を行ってもらう間に、本人が知らないうちに音楽に関わる上側頭回の様々な箇所に電気刺激パルスを加え、その時、課題の遂行に影響があるかを調べている。

刺激すると音楽ができなくなる脳領域

長い話を短くまとめると、MRIで特定した領域(上側頭回)を刺激すると、言語や絵を認識する能力にはまったく影響はないが、音楽課題の遂行が大きく抑制され、まったくメロディーを口ずさめなくなってしまう。さらにその周辺の領域を刺激した場合も、場所によっては小さな間違いが誘導できることがわかった。そして、抑制されるのはほとんどメロディーで、リズムやピッチには影響なく、さらに驚くことにAEさんは自分が間違ったことをよくわかっている。

そしていよいよ最後の実験。この結果が手術中の音楽能力の低下によるものでないことを示すため、開頭されたままのAEさんになんとアリランの短いパッセージを演奏させている。おそらく、AEさんは開頭のままサキソフォンを吹いた人類最初の演奏家になったと言えるのだろう。

結論は上側頭回の電気活動が乱されると、音楽を演奏する能力が乱されるとい結果で、特に新しい話ではない。

しかし、このグループは、現代のペンフィールドになるべく、同じ実験を言語と音楽について繰り返そうと着々と準備を重ねているようだ。さらに小さな領域の刺激を調べる研究は、音楽と言語を支配する脳回路の関係解明に重要な貢献が期待できるような気がする。このグループの提案に賛同してこの研究に参加するボランティアの皆さんに感謝。