基礎研究と応用研究をどう評価すべきか?

ヒトゲノムとクリントン(写真:ロイター/アフロ)

基礎研究は、よくInterest oriented research(興味に基づく研究)とも呼ばれる。自分の興味を満たすことが目的なら自分でなんとかするしかないと、17世紀近代科学誕生以降、基礎研究は研究者が自分でお金を工面して細々と行うものだった。しかし産業革命を経て基礎研究が技術開発につながることが認識されると、物理や数学などの基礎科学への公的助成がはじまる。10年以上前に読んだのでどの本だったか記憶が定かではないが、19世紀の終わりに英国議会が基礎研究に対する助成を決めた時、アカデミーは「研究とは個人の興味で行うもので、国から金をもらう筋合いはない」と、一度は拒否したらしい。もちろんこれは長く続かず、現在ほとんどの国で、直接、間接に公的助成が得られないと、基礎研究ができない。

ただ公的助成の主目的は、個人の興味を満足させることでなく、成果が技術に還元され国民が豊かになる(あるいは体制が維持される)ことに尽きる。お金のあるうちは、それでも優れた個人の興味を満たすことが、間接的に国力につながると説得できていたが、財布の紐が締まってくると、「出口を示す」ことが助成の条件になっている。

これは決して我が国だけではない。現役時代ケンブリッジの幹細胞研究所のアドバイザーを勤めていたが、英国でもMRCは出口を示すことを強く要求しており、「どの国でも同じ問題で苦労している」ことを知らされた。

しかし考えてみると、どの研究が出口に繋がっているのか決めるのは本当は難しい。例えば国が要求する研究により生まれた特許の申請数が本当に役にたつ研究の指標になるかは大いに疑問だ。すなわち、特許件数が目的化し、その先にある役にたつということが無視された特許だけが並ぶ報告書が増える。

このような問題を議論し、評価のあり方を検証していくことは、財政の財布の紐が締まりつつある現在重要な課題だ。これに応えたのが、ハーバードビジネススクールのグループが4月7日号のScienceに発表した論文で、NIHが助成した研究と特許の関係を調べている。(Li et al, The applied value of public investments in biomedical research(医学・生命科学の公的投資の応用的価値), Science 356, 78, 2017)。

この研究では1980年から2007年にNIHが助成した研究について、1)研究から直接特許が生まれたか、あるいはFDAの承認を得た医療が開発されたか。2)特許やFDA承認のための申請書に論文が引用されているか、の2点について調べている。

結果だが、NIH助成による研究の場合8.4%が直接成果として特許につながっている。一見少ないように思えるが、次に助成を受けた研究成果が特許の申請書に引用されているかを調べると実に31%がその特許に貢献している。FDA承認の医療実現については、直接開発に繋がった研究は1%に満たないが、FDAの認可を求める申請書で引用された研究は5%に達している。

すなわち、直接特許申請に至ったかだけで助成の効果を決めるのは短絡的で、長期的視野で見ればかなりの生命科学研究が技術の開発を後押ししていると結論している。

次に、グラントの申請書のアブストラクトの内容を検索し、Medical Subject Headingにリストされているキーワードが使われた場合は応用を目指していると判断し、それ以外を基礎研究と分類して、特許の申請書に医学と直結しない基礎論文も引用されているのか調べている。

結果は明確で、特許やFDA承認医療で引用されたかという視点でみると、基礎研究も応用研究も同じように技術開発に貢献度している。さらに、無脊椎動物を用いた研究も、技術の開発という点では、ヒトやマウスを用いた研究と同等だ。

結論としては、長期的視野で特許や技術開発への貢献を調べると、基礎研究も応用研究も差がないことになる。もし直接成果としてあげられた特許がどれほど役に立ったかについて調べることができれば、もっと面白い結果になったかもしれない。要するに、客観的調査に基づく長期的視野に基づき、科学全体の活動を維持することが最も重要で、目先にだけ囚われた助成は結局国の技術力低下につながると結論できる。

個人の興味の満足に研究費が出せなくなった世の中では、おそらく若い研究者は育たないだろう。今の政治家や役人は忘れていると思うが、私の卒業したバブル期は、日本は基礎研究に金をかけずに先進国の成果にただ乗りしているという「ただ乗り論」が叫ばれ、基礎研究への助成を増やせというのが政治家からも叫ばれていた。この時のレガシーがヒューマンフロンティアサイエンスプログラムだが、今の政治家はこのようなプロジェクトが今も続いていることを知らないのではないだろうか。

一方今の政治をみると、政府が役人に「記録はすべて破棄しました」と平気で語らせて恥じないことからわかるように、過去を忘れることで成立しているように思う。未来を展望する政治は決して過去をおろそかにはしない。大学法人化も含めもう一度過去の政策を調査し、未来の方針を示せる機関の設立が待たれる。