ヒットラーの医学者達

(写真:REX FEATURES/アフロ)

Hitler's Scientists

英国のジャーナリストJohn Cornwellさんの著書「Hitler’s Scientists」は、ヒットラー政権下のドイツの科学とそれを支えた科学者についてのレポートで、科学者が本質的に政権と一体化する宿命を背負っていることを再認識させる本だ。この本によると、様々な分野の中でも、医師・医学者が最もナチスを熱狂的に支持したようで、ピーク時には驚くことにドイツ医師会員の45%がナチ党員になっている。これは、例えば弁護士会の25%と比べると倍近く、医師達が圧倒的な政権支持基盤を形成していたことがわかる。

この本はもちろん、ナチスの原爆開発とハイゼンベルグの果たした役割や、毒ガスの開発とドイツの化学などあらゆる分野にわたる本だが、医学出身の私にとってはやはり、当時収容所で行われた人体実験について述べた章が最も印象深く、他人事ではないと深く反省さされた。

特に興味を惹かれるのは、ナチスによるユダヤ人大量虐殺の前に、ナチスと科学者が、知的障害や精神障害を持つ人を「Lebensunwertes Leben(生きる価値のない命)」と決めつけ、社会への負担であるとして抹殺する「Rassenhygiene(民族改良)」計画を策定、実行したことだ。この計画を理論的に支えたのは、当時ドイツの指導的精神科学者達で、この中に有名な医学者クレッペリンやアルツハイマーも含まれているのを知ると改めて驚く。

この民族衛生計画はヒットラー政権下で実行に移され、精神疾患施設や学校は定期的にナチの点検を受け、「AktionT4」と呼ばれる安楽死担当室が設置され、20万人を超えるれっきとしたドイツ人がガス室送りになる。事実、後にユダヤ人大量虐殺に用いられるほとんどの技術はこの時開発されたもので、例えばシャワー室にしつらえたガス室などがそうだ。

この時、おそらく生体実験は行われなかったと思うが、殺された人たちの一部の脳は、幾つかの研究室に研究材料として提供されている。これも「既に亡くなった人の脳だから使わせてもらおう」というのではなく、わざわざガス室に出かけて、できるだけ新鮮な脳を摘出することが日常だったことが書かれており、研究者が積極的にこの計画に関わっていたことを示している。

1月6日号のScienceの記事

ベルリン在住のレポーターMegan Gannonさんが、ガス室と直結して行われた医学研究の後日談を、1月6日号のScienceに書いているので紹介する。タイトルは「Germany to probe Nazi-era medical science(ドイツはナチス時代の医学について調べを始める)」だ。

記事の内容は、ガス室で殺された後、数カ所のカイザー・ウィルヘルム研究所(現在のマックスプランク研究所の前身)に送られ、研究に使われた脳標本がその後どう処理されたかの全貌を明らかにするため、マックスプランク研究所(MPG)がイニシアチブをとって、研究所に残る標本の再調査を四人の研究者に許可したというニュースについての解説だ。

話は1980年に遡るが、一人のジャーナリストがHitler’s Scientistでも言及されている神経病理学者Hallervordenが用いた38人の知的障害児の脳標本を発見する。このガス室に直結する標本が今も残っていることを重く見たMPGは、ナチス時代の10万にも及ぶプレパラートを、丁重な儀式を行って地下に葬る。

その後科学界の戦争協力についての調査が進み、当時の医学研究者がナチスと一体だった例が続々と明らかになり、MPGは前身のカイザーウィルヘルム研究所が積極的にナチスの犯罪に関わったことを認め、犠牲者に対して歴史的な公式謝罪を行うとともに、全貌解明に動き始める。特に焦点になったのは、戦争の終わった後も研究者が由来を知りながら、標本を使用し続けたのではないかという点だ。

事実先述のHallervordenは、戦後も国際的に活躍、1953年には神経医学の教科書の共同執筆者として、当時犠牲になったHans-Joachimさんの脳標本を瘢痕回の組織例として写真を掲載している。

一連の調査により、2015年には当時の犠牲者の新たな脳切片が発見され、すべての標本が埋葬されたわけではないことが明らかになる。この事実に直面したMPGは、さらに徹底的な調査を行う目的で、今回四人の研究者にすべての資料を開示し、当時何が行われたのかの全容解明に踏み出すことを決める。

これがレポートの内容だが、この調査の目的は、当時のMPGと研究者達が受動的にT4計画に関わったのではなく、標本のために積極的に関わった「ヒットラーの医学者逹」だったことを明らかにするためだ。

多くの人はこれを聞いて、何を今更と思われるかもしれない。しかし、「ヒットラーの医学者逹」の暗い歴史を暴き出すのは、当時の研究者を断罪するためではない。私たち研究者自身に潜む「ヒットラーの医学者」を暴き出すためだ。ドイツが新しい国家主義に揺れ始めている今この時期に、この決断を行ったMPGには頭がさがる。

この記事を読んで、我が母校の京大医学部出身、石井四郎指揮下の731部隊を思い出した。おそらく私の先輩たちも731部隊の研究に協力し、標本の一部は京都大学にあるのではないだろうか。しかし私が在籍した期間、教授会でこの問題を議論したことはなかったし、私自身話題として取り上げることを考えたこともなかった。今更遅いと言え、この記事を読んで恥ずかしく感じる。