第二段階に入った個人ゲノム

個人ゲノムの推進者、James D Watson(写真:ロイター/アフロ)

我が国の個人ゲノム検査の現状

我が国でも個人の遺伝子検査サービスが普及してきたが、サービスを購入した人はまだ10万人を超えたぐらいだろう。現在提供されているほとんどの検査はSNPアレーと呼ばれる方法を用いた検査で、これまで様々な疾患との関連が明らかになっている遺伝子領域の多様性を調べる方法が主で、会社ごとに使っている領域が異なる。

個人ゲノムの解析は急速に進み、日々疾患リスクを算定する新しい方法が開発されている。しかしSNPアレーで調べた場合、自分のデータを新しい方法で調べ直すことが難しい場合が多い。要するに、発展性が限られる。

ゲノムの塩基配列決定を用いる個人ゲノム検査第二段階

新しい方法に基づいて自分のゲノムについての解釈を常にアップデートしたいという場合、全ゲノムの塩基配列を調べる必要がある。これならどんな方法が新たに開発されても、それを利用して解析し直すことができる。しかし、信頼のおけるゲノム解析サービスにゲノム解析を頼むと、最も安いサービスを選んでも15-20万円はかかるのではないだろうか(この算定は推測)。人ゲノム解析に最初1000億円以上かかったことを考えると、破格の安さだが、普及している個人ゲノムサービスと比べると、気軽にというわけにはいかない。

幸い私の友人の中には全ゲノム解析を済ませて、毎日のように発表される新しい方法を自分のゲノムデータを使って調べなおし、期待どおり自分のデータの解釈をアップデートできることを確認している人たちがいる。彼らの経験についても紹介したいと思っているが、全ゲノムの塩基配列を全て読むことから個人ゲノムの第二段階が始まると思う。

1.5段階としてのエクソーム解析

全ゲノムを解読する代わりに、タンパク質をコードしている部分を全て解読する方法がエクソーム解析で、全ゲノム解析の前段階として現在個人データが蓄積している。このサービスだと、10万円ぐらいで調べてもらうことは可能だろう。例えば、ほとんどのガンが発生する時エクソームに変異が認められるため、ガンの成り立ちを調べ、治療戦略を練るために現在広く使われるようになってきた。ただ、我が国では、ガンのエクソーム解読を行う医療機関は一部の国立機関に限られている。

5万人のエクソーム検査論文

個人ゲノムの解読に基づく遺伝子検査の第二段階が始まっていることを示す論文が12月23日号のScienceに、バイオベンチャーのリジェネロンと米国で電子化された患者記録を基盤に病院を含む様々な健康サービスを展開するGeisinger健康システムから発表された。タイトルは「Distribution and clinical impact of functional variants in 50,726 whole exome sequences from the DiscovEHR study.(DiscovEHRプロジェクトに参加する50726人のエクソーム配列解析に見られる機能的変異の分布と臨床医学的インパクト)」だ(Science vol 354, 1550, 2016)。

Patient PortalとGeisinger MyCode

この研究に参加しているGeisinger Health Systemは、患者さんのデータを電子化して保存、患者さんがどの医者にかかってもPCからデータ取り出せるPatient Portalと呼ばれるサービスを提供する大手の医療システムだ。Patient Portal事業と並行してGeisingerはMyCodeと呼ばれるバイオバンクを展開し、会員の血液や唾液を集め、自前で集まったサンプルの全エクソーム解析を進めている。こうして解析した全エクソームデータが5万人を超えた時点で、私たちのゲノムの中に存在する生まれつきの変異を調べたのがこの論文だ。

もちろん大規模エクソーム解析はこれまでなんども発表されているが、この研究の特徴は全エクソームデータがPatient Portal の医療レコードと連結されていること、さらにMyCodeに参加した40%以上が、家族で参加していることで、家系解析による精度の高い疾患リスクが算定できる点だ。この研究のハイライトはまさにこの点に尽きる。今後同じデータを使って順々に検査項目を調べれば、新しいデータが無限に得られるという話だ。

完全な遺伝子を持つ人間は存在しない。

論文に示された多くの解析データは到底紹介しきれないので、一端だけを紹介する。

まず、私たちはタンパク質をコードする遺伝子全体にわたって2万を超す多型を持っており、そのうち遺伝子の機能が欠損する変異がなんと平均21個もある。はっきり言って、全ての遺伝子が正常な人などまずいない。

5万人も調べると、全体で18万近い遺伝子機能が失われる変異がみつかる。さらに、1313個の遺伝子では、両方の染色体で機能が失われている個人が特定できる。この人たちを詳しく調べることで、今後それぞれの遺伝子の機能を理解できると期待される。

民間主体の研究やサービスの重要性

他にもこの研究では、高脂血症や高尿酸値など様々な検査項目と相関する遺伝子についてのデータを示しているが、全て省略する。

繰り返すが、この論文の重要なメッセージは、患者さんの視点に立ってpeer to peerサービスを目指してきたPatient Portalがゲノムを調べたことだ。自前で5万人のエクソーム解析を行えたということは、この検査がもはや高価でないことを示している。今後は、Patient Portalに参加する個人が、自らお金を払ってゲノムデータを健康情報と連結させて、より高いサービスを受ける動きが加速するだろう。全ゲノム解析を健康情報とリンクさせる第二段階に入るのも時間の問題だ。

世界の現状から見ると、我が国はようやく第一段階入り口でさまよっている。なぜこうなったのか?最も大きな要因は我が国のゲノム研究が未だに官主導で行われていることだ。Patient Portalのように患者さんの立場で医療情報を電子化し、提供するサービスの上に個人ゲノム検査を加えるという観点が研究者や役所に欠けていたことだと思う。結局このままでは、個人情報の保護と倫理問題の議論だけが進んで、何も前に進まないことになる。

長期的視野で官学に頼らず。個人ゲノム第二段階実現をめざす民間企業が生まれるのを期待したい。