タツノオトシゴのゲノム

(ペイレスイメージズ/アフロ)

一般の方だけでなく、例えば医療従事者や、理科系の教師、研究者にとっても、ゲノム解析に基づく進化研究について耳にすることはあっても、あまりなじみはないだろう。最近はメディアもあまり取り上げない。今日は、勉強したいと思う人たちのために、今週号のNatureに掲載されたタツノオトシゴのゲノム論文を紹介しよう。

たしかに何年か前までは、様々な動植物の全ゲノム解析についての論文がNatureやScienceなどの一般科学雑誌にも多く掲載され、メディアも取り上げていた。もちろん、現在も続々ゲノム解析論文は発表されているが、ほとんどが専門誌に回るようになっている。それほど地球上の様々な種についてのゲノム解析は当たり前の話になっている。

それでも、だれもが不思議がる極めて特異的な性質の進化について明快なシナリオが書け、多くの人を面白いと思わせると、一般紙にも掲載されるチャンスはある。

そんな例が今日紹介する中国、ドイツ、そしてシンガポールの研究施設から共同で発表されたタツノオトシゴのゲノム解析で12月15日号のNatureに発表された。幸いなことにこの論文はオープンアクセスで誰もが読むことができる。私の解説も是非図を見ながら読んでほしい。タイトルは「The seahorse genome and the evolution of its specialized morphology(タツノオトシゴのゲノムと特異的な形態の進化)」だ。

研究はタツノオトシゴの全ゲノムを解読し、魚とは思えない形態や機能を見たときにだれもが感じる一つ一つの疑問をゲノムから見直している。論文は読みやすく、読んだ後でなるほどと納得するのだが、私自身は読みながら著者らにマインドコントロール されてているのではと思ってしまった。

まずタツノオトシゴと他の魚との系統関係が解析されている。これまでタツノオトシゴはトゲウオの仲間で、ティラピアやメダカは近縁の仲間であると考えられてきた。今回、ゲノムが明らかになりこれが確認された。およそ一億年前の白亜紀に他の種から分離したことがわかる。タンパク質をコードする遺伝子で見ても、コードしない遺伝子でみても、進化速度が速い。すなわち、遺伝子の変異の数が多い。おそらくこの早い進化の結果かくも不思議な形態ができたのだろう。

次にタツノオトシゴの特異な特徴が形成される時、遺伝子喪失が起こったのではないかを調べるため、他の魚と比べている。

タツノオトシゴには歯がなく、突き出たクチバシからプランクトンなどを吸い取って食べている。このことは、進化の過程で必要のない歯が失われたことを示している。この原因をゲノムに探ると、骨や歯の形成のために我々が持っているカルシウム結合性のリンタンパク質の中で、歯のエナメル質の形成に関わる遺伝子の全てが欠損していることがわかった。

他にも、鳥類のように歯を失った脊椎動物で、エナメル形成に関わるこのファミリー遺伝子の欠損が知られているが、エナメル形成に関わる全ての遺伝子が欠損しているのはタツノオトシゴだけだ。

写真から分かるように、タツノオトシゴは魚なのに胸ビレがない。この胸ビレ喪失に対応する遺伝子喪失を探し、Tbx4と呼ばれる遺伝子が欠損していることを発見している。例えば同じ胸ビレを失ったフグではHoxd9a遺伝子の発現パターンの調節変化がこれに関わっている。このように、形態進化の道筋は多様だ。Tbx4はノックアウトするとマウスの後ろ足がなくなることも知られている。この研究では今はやりの遺伝子編集を用いてゼブラフィッシュのTbx4遺伝子をノックアウトし、この遺伝子を喪失すると確かに胸ビレが欠損することを確認している。

遺伝子欠損で意外だったのは、匂いを感じるための嗅覚受容体の数がたった25個しか見つからないことだ。もともと水中に暮らす動物は嗅覚受容体の遺伝子の数は少ないのだが、ダントツに少ない。鼻の長い象は2000個もの嗅覚受容体遺伝子を持っている。おなじように鼻の長そうなタツノオトシゴの顔つきからはこの数は意外だ。あまり動かないことにも関わっていると思うが、今後タツノオトシゴの生態を考える上で重要な発見だ。

次に、進化で数が増えた遺伝子についても探索して、パトリスタシンと呼ばれる魚の卵の成分を分解する酵素の遺伝子が増加していることを発見する。タツノオトシゴはオスが育児嚢と呼ばれる場所で卵を孵化させるが、この孵化時にこれらの酵素で卵の殻の分解を助けて孵化を助けていると考えられる。

メスが体内で孵化させるプラティフィッシュもパトリスタシン遺伝子の数を増やしており、体内での孵化に必須の進化だと言える。しかし、それぞれの魚は異なる遺伝子を増幅しており、ここでも進化の道筋の多様性伺い知れる。

最後に、ではタツノオトシゴの特異な形態はゲノムから説明できるのだろうか?この疑問に対し、著者らは遺伝子のスウィッチに関わる重要な領域(CNE)がタツノオトシゴで異常に多く失われていることに着目している。しかもタツノオトシゴで失われたCNEは形態形成に関わる重要な遺伝子の近くに存在している。このことから、CNEが大きく変化して形態形成に関わる遺伝子の発現が大きく変化することで特有の形が生まれたのではと提案している。これを裏付けるため、7箇所のCNEを選んで標識遺伝子をつないでゼブラフィッシュに導入してその機能を調べ、タツノオトシゴが失ったCNEが確かに領域特異的遺伝子発現に関与していることを示している。

以上が示された結果だが、皆さんのタツノオトシゴのイメージをゲノムは説明できただろうか?

私は納得してしまったが、ここまで美しいシナリオだとやはりマインドコントロールされているのではと疑ってしまった。