アレクサンドル・リトビネンコ暗殺事件の医学

(写真:ロイター/アフロ)

アレキサンドル・リトビネンコ暗殺事件(アレクサンドル・ヴァリテラヴィチ・リトヴィネンコ:1962年8月30日- 2006年11月23日)を覚えているだろうか。

リトビネンコは、ロシアKGBのエージェントで、ロシア実業家でウラジミール・プーチン大統領の政敵ボリス・ベルゾフスキー暗殺を命じられた時、命令を拒否したため弾圧を受け2001年に英国に亡命した。英国では自らが関わったロシアの様々な陰謀を暴露し、プーチン政権批判の先頭に立っていた。ところが、2006年、ポロニウム210(polonium(Po):原子番号84の第16族元素の一つ安定同位体は存在しない。/Polonium-210(210Po):ポロニウムの同位体の1つ。)と思われる放射性物質による毒性により暗殺され、当時大きく報道された。

なんとリトビネンコが運び込まれた病院で治療や検査に関わった医師によるリトビネンコの症例報告が7月22日号の「The Lancet」に掲載された。タイトルは「Polonium-210 poisoning: a first-hand account(ポロニウム210中毒:現場からの報告)」だ。

高濃度のポロニウム210中毒など、世界中探しても経験できる症例ではない。「1度起これば必ずまた起こる。」と考えるのが医学の世界で、貴重な経験を論文にまとめるのは何の不思議もない。しかし、2006年の事件の症例報告に10年以上経過したことから、重大な政治問題が背景にあることを実感する。

論文の内容は、リトビネンコが診察に訪れてから23日目に死亡するまでの臨床データと、その時、医師達が考えたことの記録、そして死亡後調べられたボロニウム210の体内分布のデータだ。

後の方から紹介すると、レトビネンコはなんと44億ベクレル(Bq)のポロニウム210を摂取していた。死亡までの累積被曝は、腎臓で140Gy、肝臓で92Gy,骨髄で17Gyに達している。直接被曝で4Gy照射を受けると、骨髄死に至ることを考えると、この数字がいかに恐ろしいかわかる。

なぜそんな大量の放射能を運んだり、飲み物に混ぜたりできたのかと、一般の方なら不思議に思われるだろう。ポロニウム210から出る放射線はα線のみで、紙一枚あれば遮ることができる。従って、これをポケットに隠し持っていても、暗殺者側が被爆する危険はない。しかし、いったん体内、そして細胞内に取り込まれると、DNAを切断し、生体高分子にも直接影響する。

ではリトビネンコの治療に当たった医師は、患者の症状から何を考えたのだろう?

正直ポロニウム210とは、想像もできなかったというのが結論だ。

最初、和食レストランで食事の後、胃腸の異常と強い下痢で病院に入院する。その時、中毒と感染症が疑われるが、まず感染症として治療が始まる。しかも、難治性のクロストリジウム(真正細菌の一属。偏性嫌気性で芽胞を形成するグラム陽性の桿菌)が便から発見されたため、感染症として抗生物質の治療が続けられる。

ところが入院1週間でレトビネンコが自分の経歴を明かし、自ら暗殺の対象になった可能性があることを医師に告げ、タリウム中毒(thallium(Tl):原子番号81の第13族元素の一つ)などが疑われるようになる。しかし、尿中にも検出できずにタリウム中毒の検査は、終わる。その後、原因の決め手は得られないまま、急速に貧血、脱毛、など放射線障害によるとみられる症状が進行し、放射能による障害が疑われる。事実、入院2週間目以降の白血球数は0になる。しかし、ガイガーカウンター(放射線測定器)で体表面を調べても何も検出されず、この段階でも抗生物質による副作用ではないかという疑いすら除外できていなかったようだ。

そしてようやく死ぬ前日に、血液をスライドグラスに塗布してレントゲンフィルムで露光させることで初めて、α線を照射している放射性物質が大量に体内に存在することがわかったという経過報告だ。

この高い放射能のため、未だ組織の顕微鏡検査は行われていない。生前に採取された骨髄標本には、ほとんど血液が存在していないのがわかる。

結論としては、最初の下痢症状はタリウムと同じで、ポロニウム自体の毒性による症状、その後は、放射線障害による症状と結論できる。

教科書に記載するなら、「下痢を伴う胃腸症状を訴え、1週間以降、急速に放射線障害を発症する患者で、ガイガーカウンターで体表の放射線が検出できない場合は、ポロニウム中毒が疑われる。この時、スライドグラスに血液を塗抹し、レントゲンフィルムを感光させ放射線を検出する方法が、体内のα線照射物質による障害と診断するために有効」とまとめられる。

国家が行う犯罪が、私たちの想像を超えることがこの論文からわかる。

どの民主国家でも、権力を持つということは、市民から隠された力にアクセスできるようになることだ。これを乱用するかどうかは、決して政治家の良心だけの問題ではない。基本法や憲法で、あらゆる権力の行為がいつか明るみに出るよう契約を交わすと共に、国民一人ひとりが国家主権者として国家の権力を監視・制約することでしか防げないことが、この論文を読んだ私の印象だ。

その意味で10年という月日を経た後でも、この事件が一般医学雑誌に掲載されたことは正しい選択だと思う。