論文(ドイツ医師会雑誌6月号)を読んで「心」と「体」について考えた。

デカルト(提供:アフロ)

平成25年の秋、高野山大学が大阪で毎年開催している一般向けの講演会で話をしたことがある。「ダーウィンが来た:新しい因果性の科学」などと堅い話をして、全く受けなかったが、この講演会のプランナーであった京都大学医学部の大先輩、村上 和雄 筑波大学名誉教授は、「心は遺伝子の働きを調節する。」というタイトルで、心と体の関わりを面白おかしく話され、大受けしていたのを覚えている。この時、村上先生は「笑いの身体的影響」についての自らの実験の話をされた。

その実験の内容だが、一般の方に昼食を摂っていただいた後、初日は「糖尿病のメカニズム」についての講義、2日目はコンビ漫才をライブで聞いてもらい、食後の血糖上昇に及ぼす笑いの効果を調べている。

結果だが、漫才を聞いて大いに笑った時と、医学の講義を聞いた時とを比べて、血糖の上昇が著明に抑制できた、という結論だ。茶目っ気の多い村上先生ならではの実験だが、決して話題のための実験ではなく、論文として発表されているのを知って感心した。

そして何よりも、「脳」ではなく「心」を語ることが、一般の人との対話には重要であることを学んだ。

こんな話をするのも、最近、同じ「心と体」の問題を、今度は音楽について調べたドイツ・ルール大学からの論文を読んだからだ。「ドイツ医師会雑誌国際版(6月号)」に掲載されている(Dtsch Arztebl Int 2016; 113: 347, DOI: 10.3238/arztebl.2016.0347)。タイトルは、「Cardiovascular effect of musical genres-a randomized controlled study on the effect of compositions by WA Mozart, J Strauss, and ABBA. (心血管に影響する音楽ジャンル~モーツアルト、ヨハンシュトラウス、アバの作品の効果に関する無作為化比較研究)」だ。

研究では、平均年齢47歳、平均血圧が124/77mmHgの健康人120人をランダムに2グループに分け、片方にはモーツアルト交響曲40番、ヨハン・シュトラウスワルツ集、そしてスウェーデンの音楽グループABBAのアルバムを順不同に聞いてもらい、それぞれのジャンルを聞いた前後の血圧、脈拍数、そして血清コルチゾール濃度を調べている。一方、対照群には静かな部屋で安静にしてもらった後、同じ検査を受けてもらう。

結果は、全ての検査で、音楽を聞いた方が静寂の中で安静にするより、心臓に良い効果があるというものだった。血圧と脈拍に対しては、モーツアルトの交響曲が最も高い効果を示し、収縮期圧で4.7mmHg、脈拍数では毎分6回程度低下する。次に効果が高いのはヨハン・シュトラウスで、ABBAの音楽は静寂よりは効果があるが、モーツアルトやヨハン・シュトラウスより少し劣るという結果だ。

話のネタとしてはわかりやすいし、おそらく一般の人だけでなく科学者にとっても文句のない研究だ。しかし、村上先生の実験も含め、この様な研究を、「話題・ネタ」として一般の人との対話のチャンネルだけで終わらさないことが科学者にとっては重要なことだ。

デカルトの2元論以来、科学者は「心」と「体」を分離して、「世間」の人の直感からずいぶんかけ離れた「科学領域」を育成してきた。しかし、21世紀に入って、当時の「心」は「脳」という言葉でかなり置き換えることができる様になった。今日、紹介した2つの話も、実際には「脳」と「体」との関係に変えて説明することは簡単だろう。

とは言え、「脳」の経験する歴史の違いが「心」になり、脳科学永遠の課題「私・自己」になる。そう思うと、これまで一般向けには「心」、科学者間では「脳」と使い分けていた「心」と「脳」を、今後どう使い分けるかは21世紀に残された重要な課題だ。

例えば現代の人工知能研究の発展がソフトバンクの孫社長に続投を決めさせたと報道されているが、私にとって人工知能研究で一番面白いのは、「人工知能は自己を持つか?」という問いだ。

デカルト以来、「心」は神の領域に追いやって、「体」を研究するのが医学であり、生命科学だった。そして今度は、人工知能という「体」のない知能が研究対象になっている。血糖検査や血圧を計ることができない「体」のない人工知能で、本当に自己が成立していることがわかるのか?新しい問題がここにある。