ネットで医学情報を不特定多数の方に伝えることは難しい。医学・医療に関わる人間なら、論文に報告されている新知見を、蓄積された膨大な知識の中の一部として受け取り、また再現性がない場合もありうることを理解しているが、一般の方、特に病気を持つ本人や御家族になると、同じ知見が専門家以上に重く汎用化されて受け取られる可能性が高い。

とはいえ私たちのNPOのHP(aasj.jp)で医学・生物学の論文を紹介するコーナーでは、病気についての論文も数多く紹介している。これは専門論文紹介というスタイルをとっていることと、患者さんからの質問や意見に対して、ニコニコ動画などを通してバックアップすることで、記載された内容に責任をとる体制があるからだ。

しかし、Yahoo個人のようなパブリックなメディアを使うときは、責任の取り方がはっきりせず、病気の話は、書かないと決めていた。しかし、6月9日ダウン症に伴う認知機能低下を治療する可能性を示したスペインからの論文をNPOのHPで紹介しながら、これまで自らに課してきたこの禁を破ろうと決意した。

“Safety and efficacy of cognitive training plus epigallocatechin-3-gallate in young adults with Down’s syndrome: a double blind randomized placebo-controlled phase 2 trial”(ダウン症若年成人での認知トレーニングとEGCCを組み合わせた治療の安全性と有効性:第2相2重盲検無作為化治験)というタイトルの論文で「The Lancet Neurology」(vol 15, 801, 2016)に掲載予定だ。

まず、ざっと簡単に論文の内容を紹介する。

16歳-34歳のダウン症の方にepigallocatechin-3-gallate(EGCG)6mg/kgを毎日服用するのと並行して、認知機能改善訓練を受けてもらう。対照群として、EGCGの代わりに偽薬を飲んでもらい、同じように改善訓練を実施する。この治療を1年続けて記憶力、実行機能、抑制的自己制御能、そして適応能力のテストを両者で比較すると、EGCGを飲んだグループが、これらすべてのテストで良いスコアを出したという結果だ。要するに、EGCG+認知プログラム改善訓練の組み合わせでダウン症の認知能力の低下を抑えることがでるという内容だ。

読んで、画期的な話だという印象を持った。

ダウン症の論文をフォローしているわけではないが、これまでダウン症の方の脳機能が改善する方法があるとは考えたこともなかった。もし本当なら、一人でも多くのダウン症の方に伝えたいと思うのが人間として当然の思いだ。

さらに、この研究で使われたEGCGとはいわゆる緑茶に多く含まれる茶カテキンで、一般的にサプリメントとして広く服用されているものなのである。カテキンの含まれるトクホ飲料は読者の皆さんにも馴染みがあるだろう。この研究で用いられたのも、「Decaffeinated Mega Green Tea Extract」と呼ばれる米国Life Extension社のサプリメントで、45%のEGCGを含んでいる。

このことは、我が国でも、その気になれば明日から同じ治療を始めることが直にでもできることを意味している。(と聞いて明日から我が国のトクホ飲料を買い込んで、がぶ飲みすることは慎んでほしい。一般的にカテキン飲料には多くのカフェインが含まれており、カフェインによる副作用が危惧されるからだ。例えばK社の飲料では茶カテキン540mg,カフェイン80mgとなっている)。治療にかかるコストもほとんど問題にならないだろう。

最後に、高濃度茶カテキン服用で心配される肝臓障害だが、今回対象になった41人では肝臓や心臓への副作用は現れず、それほど心配せずに長期に服用が続けられることを示唆している。それでも副作用が皆無とはいえないので、この治療が我が国で行われるなら、医師の指導のもと経過観察を行うのがいいだろう。

では手放しで患者さんに推薦できるのか?問題点も含めて整理しておこう。

これまで茶カテキンは「がんやメタボを含む多くの病気に効く万能薬」と言ったイメージで捉えられてきた。一見、素晴らしいようだが、「万能」と言った途端に科学的根拠が失われるケースも多い。

一方、このグループは、

1)EGCGがダウン症の脳で発現が上昇しているDYRK1A(dual-specificity tyrosine-(Y)-phosphorylation-regulated kinase 1A:脳の発達と機能に関連するセリン/スレオニンキナーゼ)の機能を阻害する作用を持つ、

2)DYRK1A分子の発現が高いトランスジェニックマウスでは認知障害が起こる、

3)マウスモデルの認知機能低下をEGCGが抑制する、

という実験結果に基づいてEGCG治療を始めており、また第1相の安全性治験も終えていることから、科学的に研究を進めてきたと評価できる。

今回の治験も、第2相治験なのでまだ対象数が少ないとはいえ、臨床治験の方法は信頼に足る。ただ、EGCGと組み合わせた認知機能改善訓練の実施が厳密にコントロールされていない印象があり、訓練の有無も含めもう少し厳密な治験を望みたいと思う。

最も気になるのは、評価に使われたメンタルテストがこのグループ独自に作成した方法である点だろう。この方法は2015年、「Frontiers in Psychology」(Vol6, 706)に発表されており、成人のダウン症の認知機能を多面的に評価するために開発された力作だ。この論文で強調されているように、認知機能の改善方法が開発できるとは考えられてこなかったダウン症では、このようなメンタルテストが存在しなかったことは事実だ。従って、この方法以外に評価法がないと言われればそれまでだが、従来の方法を使って結果を補完することがないと、示された変化がどの程度なのか実感できない。ただ、この問題は、次のステップの治験が進めばおのずと解決される問題だ。また、MRIを用いた画像による評価も並行して行っており、脳内の領域結合性が促進していることが示されており、新しいメンタルテストも信頼できる可能性は高い。

最後の問題は、この研究が16歳-34歳のダウン症を対象に行われている点だ。もちろん成人になってからの認知機能低下を食い止めることは重要な課題だし、結果は大いに歓迎する。しかし、誰もが願うのが、脳の発達時期に正常に近い知能を発達させることだろう。もし著者らが言うように、ダウン症での知能低下がDYRK1A遺伝子の高い発現に起因し、EGCGがDYRK1A機能抑制を介してダウン症に効いているなら、発達時の障害発生を食い止められる可能性がある。

このような実験は乳児期のマウスで行うのは難しい。従って、動物モデルで効果が確かめられた成人期から治験を始めたのは、著者らの慎重さの表れかもしれない。いずれにせよ、早期に成長期の知能発達に対する治験を望む。

最後に私自身の判断だが、ダウン症の方にとって有望な治療だと判断する。この稿を書く前に、大阪大学小児科の北畠先生にも問題がないか論文を見てもらった。彼の結論も概ね私と同じなので、我が国でも同じような治験が進むことを期待したい。茶カテキンだと言って、副作用がないとはいえない。今後、厳密に計画した大規模な世界規模の治験が進むことを期待する。

ダウン症の方は認知症だけでなく多くの障害を抱えて長い人生を歩む。これらの障害が一つでも軽くなることを願うし、EGCGの今後の研究結果についても逐次報告していきたいと思う。